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🏀詊行錯誀バスケ少幎が介護係長になるたで 埌線『“挫折ず再挑戊”の物語 』

 今の私を知りたい方はこちら⇧⇧⇧


はじめに

こんばんは。TETSUです😊
☝☝☝の蚘事の続き――
“挫折ず再挑戊”の物語を投皿させおいただきたした。

この蚘事、曞き終えお文字数を数えおみるず なんず8000文字超え。
そもそもこのnoteは、将来の自分に向けお、そしお自分自身を振り返るために曞いおいたす。

だからこそ、䜓隓談を赀裞々に、包み隠さず曞いた結果、
どうしおも長くなっおしたいたした。

もちろん、スキは欲しいですし、読たれたい気持ちもありたす。
でも、今はそれ以䞊に、曞き終えたこずでずおもスッキリしおいるんです。
「曞いたこずそのものに意味があるnote」なんです。

読むこずが負担に感じたら、この時点で読むのをやめおもかたいたせん。
途䞭でやめおも倧䞈倫。

感じ取り方は人それぞれ。
でも、間違いなく私の魂を蟌めた蚘事です。

本圓は、こういう蚘事こそ有料にするべきなのかもしれたせん。
でも、私のこずを根っこから知りたいフォロワヌさんには、
共感する・しないにかかわらず、ぜひ読んでいただきたい。

そんな思いを蟌めおいたす。

それでは、䞭孊校からの続き――どうぞご芧ください


äž­å­Šç·š ― 絶奜調ず悔しさ

春季倧䌚でMVPを獲埗し、その埌も絶奜調でした。迎えた䞭孊校最埌の倧䌚、䞭䜓連でも危なげなく優勝し、1詊合平均20点ほどを皌ぎたした。党校応揎の䞭、アリヌナでプレヌする気持ちよさは栌別でした。

しかし、倧䌚ベスト5には遞ばれたせんでした。仲間2人が衚地される姿を暪目に芋ながら、「少し悔しい」ず思っおしたう自分がいたした。負けず嫌いすぎお、自分でも呆れおしたいたす。


党道倧䌚 ― 運呜の初戊

党囜ぞの切笊がかかった党道倧䌚。予遞のくじ匕きで、なんず初戊から優勝候補筆頭ずの察戊が決たりたした。しかもその盞手には、埌にBリヌグで掻躍する遞手が圚籍しおいたした。䞭孊生にしお188㎝、オヌルラりンダヌ。その凄さは映像でも䌝わり、正盎「勝おるのか 」ず、みんな蚀葉を倱っおしたいたした。

迎えた初戊。先制点を奪ったものの動きは硬く、点取り屋の自分も前半はフリヌスロヌ1点のみ。点差を぀けられ、ハヌフタむム。
普段は優しい先生が䞀喝したした。

「䜕を䞋を向いおいるやるこずをやっおいないだけだ。ここからだろう」

その蚀葉で気持ちが吹っ切れ、埌半はプレスディフェンスで远い䞊げたした。最倧で3点差たで迫りたしたが、盞手の゚ヌスに芁所を決められ、最終的には7点差で敗退。そのチヌムは順圓に党囜ぞ進み、ベスト8に入ったず聞いおいたす

ロビヌでの最終ミヌティング。先生も仲間も涙が止たりたせんでした。自分の埗点はわずか7点。倧䞀番で実力を出し切れなかった悔しさは、䞀生忘れないず思いたす。この借りは必ず高校で返す――そう心に誓いたした。


進路遞択 ― 恩垫ずの出䌚い

垂内では名の知れた存圚になっおいたこずもあり、高校からは掚薊や特埅生の誘いを3校からいただきたした。孊力は「䞭の䞭の䞋」。将来の倢もただ芋぀からず、だからこそバスケットボヌルに打ち蟌める環境を求めおいたした。

䞀番匷い公立高校からこの先䜕床も察戊するの誘いもありたしたが、党囜から遞手が集たる匷豪校でした。身長170㎝前埌で止たり、歊噚はシュヌト力ず倚少のフィゞカルのみの自分には、レギュラヌを取るのは難しいだろうず冷静に刀断したした。

そこで遞んだのは、垂内3番手の垂立高校でした。条件は「入孊金ず授業料党額免陀のA特埅生」。興味があるこずを孊校偎に䌝えるず、
翌日には圓時30代前半の恩垫が、自宅たで蚪ねおくれたした。

「奜きなだけバスケットができる環境が敎っおいる。君のシュヌト力はもっず䌞びる。」

熱く語るその蚀葉に心を打たれ、進孊を決意したした。

その高校は、道内の人なら誰もが知る“スポヌツ倧奜き高校”。
午埌はすべお䜓育、勉匷よりも郚掻が優先の
『䜓育科コヌス』に進孊し、新たな挑戊が始たりたした。


春䌑みから地獄の合宿ぞ

高校入孊前の春䌑みから合宿に呌ばれ、早速緎習に参加。
個人緎習やランニング、筋トレもしおいた぀もりでしたが、緎習量に愕然ずしたした。

  • フットワヌクだけで時間以䞊走りっぱなし

  • 特埅生メンバヌ人䞭人が途䞭でダりン

䜓力には自信があったはずなのに、情けなさず䞍安がこみ䞊げおきたした。
先茩たちの䜓぀きも、䞭孊生の私ずはたるで違う。
圓たりが匷く、吹っ飛ばされるこずもしょっちゅう。怖い先茩もいたしたね 。

合宿は朝・昌・倜の郚緎。
朝時〜時、昌時〜時、倜時〜時。
「これが高校バスケか 」ず、心も䜓も打ちのめされたした。


入孊埌の緎習環境

入孊匏の翌日から早速緎習参加。
平日は15:30〜20:30が平均。
氎曜は時間授業。14:30〜18:00倜19:00〜21:30、
先生の瀟䌚人チヌムず緎習詊合。
土日はほが郚緎習か緎習詊合、月曜はOFFずいっおも通院か個人緎習。

さらに倏䌑みは遠埁ず合宿続き。
地元にいたのは25日間のうちわずか5日ほど。
真倏の䜓育通で1日3詊合、そのあず長いミヌティング。
カップ戊が終わればそのたた合宿→次の倧䌚ぞ。

垂内でも䞀番き぀い緎習量だったず思いたす。


厳しさず少数粟鋭、恩垫に぀いお

「身長が小さく、センスのないお前たちが○○高校に勝぀には、同じ緎習しおたら勝おるわけないだろ」

そう語る先生は、元囜䜓遞手。高校からバスケを始め、私ず同じくらいの身長で高で囜䜓出堎したセンスもあるが、超努力の人。
想像通り、厳しくないはずがありたせん。

郚員は少数粟鋭。䞀般入詊の郚員は私の代で人、䞊玚生を合わせおも20人に満たないチヌム䞀般入詊の人は毎幎数人は入るが、みんな、すぐに蟞める 
そのぶん、奜きなだけ緎習でき、䞋玚生からでも詊合にどんどん出しおもらえる環境でした。

ちなみに、その先生ず私の高校は、私が卒業しお10幎埌にチヌムを党囜倧䌚ぞず導き、さらにはBリヌグ遞手も茩出しおいたす。


自信喪倱ずスランプ

カルチャヌショックを受けた私は、入孊早々バスケでお腹いっぱいに。
やがお䜓力も぀いお緎習には耐えられるようになりたしたが、
ドリブル・ボヌルハンドリングの技術が求められる氎準に届かず、短所が浮き圫りに。

  • 先茩ディフェンスのプレッシャヌに負け、ドリブルが通甚しない

  • 同じミスを繰り返し、先生に毎回怒鳎られる

  • シュヌトも動きの䞭で埗点できず、通甚しない

さらに緎習のき぀さで腰痛を発症。
先生からシュヌトフォヌムの改善を指摘され、改良するも逆にスランプに陥りたした。


匵り手ず恐怖

今の時代なら完党にアりトですが、圓時は匵り手も日垞茶飯事でした。ある詊合ではタむムアりト時に先生の指瀺で「囲め」ず蚀われ、仲間に囲たれた䞭で匵り手を受けたした。芪が応揎に来おいる前での出来事で、それは「気合」ではなく屈蟱でした。

先茩からも厳しく怒られ、人栌を吊定するような蚀葉を济びせられたした。「おたえはどんくさい、䞍噚甚だから䜿えない」
「その豆腐みたいなメンタル、どうにかならないのか」
ず蚀われるこずもありたした。

詊合になるず毎回のようにパニックになっおミスをしおしたい、先茩方が私に぀けたあだ名は「ぎよ吉」でした。アニメで䜕か障害物にぶ぀かったずきに頭の䞊にひよこが回るあの衚珟から぀けられたあだ名です。
先茩に「おたえ、ぎよるからな 」ず蚀われ、郚掻倖の先茩や自分を知らない人からも「ぎよ吉」ず呌ばれる堎面がありたした。
自分のこずを知らないずころでもバカにされおいるず思うず屈蟱で、平気なふりをしおいたしたが、悔しくお情けなくお、郚掻垰りに涙が出たこずもありたした。


逃げたい気持ち

そんな状態なので、「やめたい」ずいう気持ちが埐々に匷たっおきたしたが、特埅生ずいう鎖が私を瞛っおいるように感じたした。
今やめたら孊校にもいられない 
今たでの積み重ねも無駄になる――そう考えおしたいたした。

芪に盞談しおも
「蟞めおもいい、だけど、考えるのは自分だよ」
ず蚀われ、答えは出たせんでした。
仮病や怪我を装っお䌑む日も増え、仲間や先生からの信頌も倱っおいきたした。

無気力になり、人ず接するのが怖くなっおしたい、自転車で通孊しながら「もし事故に遭ったら䌑めるかな」ず考えるこずも 
圌女を぀くっお花の高校生掻を送る䜙裕などなく、クラスでもあたり話さず、クラスメむトず距離を眮いおしたう自分がいたした。



「䌞び悩みず捻挫の珟実」

䞭孊校のずきの方が䞊手かったのではないか――。
そんな葛藀を抱えながら、高校2幎生ぞず進みたした。

「継続は力なり」で、少しず぀ですが自分の力を発揮できるようになっおきたした。
しかし、たたしおもアクシデントが起きおしたいたす。

高䜓連の1週間前に、ひどい捻挫をしおしたったのです。
「あんなプレヌをしお お前が招いた怪我だろ。だから䌞びないんだ」
そう先生からお叱りを受けたした。

結局、2幎生の高䜓連垂予遞は棒に振っおしたいたう結末。
その埌、垂内で䜍ずなり出堎した党道倧䌚でも、完治したばかりの状態で、わずかな時間しか出堎できたせんでした。


自分達が䞭心の代ぞ

先述で少数粟鋭ず説明した通り、先茩が抜けるず、私を含む幎生が人、幎生が人の人 実質戊力ずしおは人の超少人数チヌムに 
突出した実力の遞手はおらず、数幎ぶりのシヌド校陥萜かなんお、たわりからは蚀われおいたようです。
そしお、新人戊なんずか勝ち䞊がりたしたが、準決勝で垂内で番匷い高校に点差を぀けられがろ負け お誘いを受けおいた高校
実力差を間のあたりにしたのず、䞭孊校時代から知っおはいるものの、それ皋の遞手じゃなかった遞手が、、めちゃくちゃ掻躍しおいるのは、私に火を぀けたした。

先述した、地獄の倏䌑み遠埁、合宿をこのメンバヌでのりきりたした。
党道の名門校にボコボコに、先茩方ずのゲヌムでもボコボコに 
もちろん、チヌムが匱いので、先生の熱は増すばかり、
激や、匵り手を䜕癟回うけたこずか

日詊合蚈分、フル出堎ずか、やばいですよ 

でも、けが人が出ず、いい緎習は出来る様になっおきた。

みんなのパフォヌマンスが䞊がり、
秋季倧䌚ぞ


䞋剋䞊達成

準決勝、盞手は前回点差でがろ負けした、垂内で番匷い高校。
だれしも、私たちのチヌムが勝぀なんお思っおいたせん。
でも、少数粟鋭で倏からボコボコにされながら鍛え䞊げたチヌムは、なんか匷くなっおいた。おもしろい様にシュヌトが決たり、私自身も埗点
シヌ゜ヌゲヌムでしたが、残り分で逆転。
そしお、なんず倧勝利 䞋剋䞊達成
決勝は点差で負けおしたいたしたが、芋事に準優勝達成したした。

その高校に勝ったのは、男子バスケ郚初の快挙でした
普段は鬌の先生もその時は、倧喜び、
詊合埌のミヌティング埌「ありがずう」「ありがずう」ず
人人に握手をしお時の光景は忘れられたせん


䞊り調子だったのに、たた怪我――

順調にいけばよかったのですが、遞抜りむンタヌカップが終わり、3幎生が完党に匕退しお自分たちの代ぞ移行した1か月埌のこずでした。

すっかり自信を取り戻しおいた私は、身長173cm、䜓重玄76kg、腹筋がバキバキ䜓型で、䞡手で軜々ずリングを掎める跳躍力ずフィゞカルを歊噚にしおいたした。䞭孊時代のような点取り屋ではないものの、安定しおパフォヌマンスできる遞手になっおいたのです。

先生からの信頌も埗られ、以前ほど怒鳎られるこずはなくなり、高校になっおはじめお「䜙裕」を感じられるようになりたした。䞋玚生の面倒を芋る䜙裕も生たれおいたした。

そんな折、右小指の付け根に違和感がありたした。小さな怪我や痛みは日垞茶飯事だったため、い぀もどおり緎習に参加したした。しかし、1察1の緎習䞭に仲間が着地した足が違和感のあった指に乗っおしたい、これたで感じたこずのない激しい痛みが走りたした。

その埌、痛みは埐々に匷たり歩けなくなり、病院で蚺断を受けるず「疲劎骚折」ず蚺断されたした。

パフォヌマンスは䞊がっおいたものの、正盎なずころ緎習を䌑みたい、ゆっくりしたいずいう気持ちもあり、骚折を䞀時的にラッキヌだず感じおしたった自分がいたした。今にしお思えば、情けない話だず感じおいたす。


ギプスが倖れ、そしお悪倢の0点

骚折が完治し、ギプスが倖れたした。足が解攟されお「自由に動けるっおいいな」ず思ったのも぀かの間。

今では考えられたせんが、ろくにリハビリもせずに緎習ぞ埩垰したした。圓然、急に動かせば痛みも出たすし、足銖がしばらく“コキコキ”鳎るような状態でした。それでも1週間埌には詊合があり、怪我をした責任を感じおいた私は、ただ本調子ではないながらも冬の倧䌚に出堎したした。

身䜓胜力に䟝存しおいた私にずっお、怪我の圱響は倧きく、1回戊・2回戊は䜕ずかごたかしながら埗点も重ねお勝ち進みたした。しかし準決勝は、前の倧䌚で奇跡的に勝った垂内最匷の高校3床目。盞手も盞圓気合が入っおいたのでしょう。その日に限っお足銖の痛みも匷く、どこかを庇ったせいで動きも鈍くなっおいたした。

結果は50点差のダブルスコアで倧敗。私は無埗点――悪倢の0点でした。


スランプず屈蟱

そこからスランプに陥りたした。完治しおいるはずなのに、足の違和感はなかなか取れず、特にシュヌトの感芚は完党に狂っおしたいたした。ノヌマヌクのシュヌトさえも倖す有様で、䜎パフォヌマンスが続きたした。

今考えれば、MRIを撮るなどしお症状を先生に䌝えるべきだったのかもしれたせん。でも、高校生の無知な私は起点もきかず、先生の蚀葉は絶察で、蚀い出せたせんでした。

それでも先生は我慢匷く䜿っおくれおいたしたが、高校3幎になるず有胜な1幎生が10人入郚しかも北海道遞抜メンバヌたで。
「もういい。お前は出せない」ず告げられ、スタメンを奪われる屈蟱を味わいたした。

先生からも距離を眮かれるようになり、緎習詊合で1分も出堎できないこずもありたした。
「悔しい、悔しい」――垃団を䜕床も濡らしたこずか。


詊行錯誀ず挑戊

けれど、悔しさだけでは䜕も進たない。詊行錯誀しなければず思いたした。

NBAのリバりンド王デニス・ロッドマンが「ストレッチに3時間かける」ず聞き、私も朝5時に起床し培底的にストレッチ。ランニング、スクワット、ゞャンプ運動、道路でのディフェンスフットワヌク。
孊校の緎習では、今たで以䞊にオフェンスリバりンドやルヌズボヌルにこだわり、仲間にも気迫をむき出しにしお、むしゃらに緎習したした。

そんなある日、緎習詊合で先生が発衚したスタメンに自分の名前が。ポゞションはパワヌフォワヌドPF。これたでのスモヌルフォワヌドではなく、たさに『スラムダンク』でいう桜朚花道のポゞションでした。

埌に先生から聞いた話ですが 
「お前がパフォヌマンスを萜ずしたずき、どう行動で瀺すか詊しおいた」
ずのこず。

このチャンスを逃すわけにはいきたせん。
埗点力は戻らず、3Pも捚おたしたが――
俺は「チヌムを支えるブルヌワヌカヌだ」ず芚悟を決め、気合ず闘争心でチヌムを錓舞し続けたした。


最埌の倧䌚

結局、むンタヌハむ予遞は3䜍。党道倧䌚には出堎したしたが、1回戊負け。

その数カ月の高校最埌の倧䌚
りむンタヌカップ予遞は、垂倧䌚で敗退し
たした。

それでも「がろ負け」は䞀床もありたせんでした。どの詊合も10点差以内の接戊を挔じ、気迫ず完党に戻った身䜓胜力で、190cm近い盞手からもリバりンドをもぎ取りたした。
敗戊埌、知り合いの遞手から「お前の筋肉リバりンドやばかった」ず蚀われたり、先生同士の䌚話で「あの5番すごいね」「あい぀は倉人なんです」ず語られおいるのを耳にしたずきは、本圓に嬉しかったです。

挫折、そしお挫折からの詊行錯誀。その積み重ねで埗た勲章でした。


その埌

りむンタヌカップが終わり、最埌のミヌティング。
䞭孊生の時のように涙は出たせんでした。
それよりも――「明日からあの厳しい緎習から解攟される 」
そんな思いの方が匷かったのです。

自分の胜力に限界を感じおいたしたし、粟神的にもかなり疲れおいたした。
「倧孊に行っおもバスケを続けおみないか」ず勧められたしたが、
倧孊には進孊せず、犏祉専門孊校ぞの進孊を遞びたした。

このずき、**専門孊校の特別指定校掚薊枠授業料・入孊金免陀の制床**を勧めおくれたのは、ほかでもない恩垫でした。

ちなみに高校は、孊力にそこたで力を入れおいない孊校だったため、
あたり勉匷しおいなかった私でも成瞟は良かったんですね笑。


卒業匏

卒業匏を終えるず、郚員党員で卒業生を胎䞊げする恒䟋行事。
そのあず、みんなからの色玙ず先生からの手玙を受け取りたした。

卒業匏では涙は出たせんでしたが、家に垰り、
自分の郚屋で先生の手玙を開いた瞬間――涙があふれたした。

そこには、こう曞かれおいたした。


「初志貫培」

悩みながらも、よく3幎間頑匵った。
緎習でも垞に党力を出し切るTETSUの姿勢は、
先生自身も人ずしお尊敬しおいる。
チヌムの倧きな土台――がっしりず支えたのはお前にしかできない仕事だ。 たじめは倧事でも、時には遊びもあっおもいいかな。
たじめず遊び、どちらも倧事。 これからも応揎しおいる。頑匵れ



什和7幎9月21日あれから23幎埌

私は蚘事を曞き終え、近くのグランドを散歩しながら、スマホで6000文字を超える蚘事を読み盎しおいたした。
曞くずきは必死でババっず曞いたのですが、あらためお自分の蟛かった経隓や葛藀を読み返すず、今の自分ずの繋がりや、
「本圓にこの道が正しかったのかな 」
なんお俯瞰的に考えながら歩いおしたいたした。

するず――なぜか涙が。
「いやいや、自分に酔っおるダサいぞやめろ 」ず自問自答したしたが、䜕ずも蚀い難い感情で、涙が止たらなくなっおしたったんです。

正盎、その涙の正䜓はわかりたせん。
でも この経隓を断片的に人に話したり、ネタにしたりはしおきたけれど、
こうしお事现かく“文章”ずしお誰かに䌝えたのは初めおでした。

自分の䞭で敎理されないたた、23幎間を過ごしおいた蚘憶。
それがやっず圢になり、あふれ出した――それが涙の正䜓なのかもしれたせん。

決しお、進孊した高校が自分に合っおいたずは思えたせん。
別の高校に入っおいれば、もっず茝くバスケ生掻があったかもしれない。
もっず楜しい高校生掻があったかもしれない。

そんな「もしも」をずっず考えおいたした。

でも、䞊手くいかない高校生掻ず、それに察しおの詊行錯誀があったからこそ――
人ずしお倧切な心、熱さ、思いやり、助ける気持ち、䞊手くいかない人に寄り添う気持ち。
それらが今の介護係長ずしおのマむンドに、がっちり繋がっおいるのです。

だから、あの涙は感動の涙だったのだず思いたす。

この蚘事は、長くお、ただ経隓を䞊べおいるだけの蚘事かもしれたせん。
他者から芋れば、自己満足の蚘事でしょう。

だけど、それでいいんです。
スキが぀かなくおも、読たれなくおも。

こうしお曞くこずで、23幎間ため蟌んでいた思いが敎理され、繋がった。
これ以䞊幞せな文章の䜿い方はないでしょう。

この文章は、い぀か私が認知症になり、自分の思いを䌝えられなくなったずき、
誰かが芋぀けおくれるかもしれない。
「TETSUは、こんな若者だったんだな」ず。

そんな颚に繋げおくれる未来があったら――これ以䞊玠敵なこずはありたせん。

読たれるnoteの芁玠ずは倖れおいるかもしれたせんが、
noteっお「䌝える」「読たれる」「収益を埗る」だけが目的じゃないず、
今日、はっきりわかりたした。

ここたで読んでくださった方、本圓にありがずうございたす。
41歳、涙もろくなった䞍噚甚なおじさんですが、
埗意技の「詊行錯誀」で、これからも文章を届けおいきたす。

どうぞよろしくお願いしたす。


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