見出し画像

大企業病とその実態

「大企業の社員は、自分で何も作っていない」

こういう批判を見かけることがある。
雑な言い方だが完全に間違いとも言い切れない。

大企業や元請けの仕事は、一人の職人が自分の手で全部作るような仕事とは違う。
多くの部署、多くの会社、多くの専門分野をつないで、一つの製品やサービスとして成立させる仕事である。

多分自動車会社が一番わかりやすい。
自動車会社なら、車両全体の要求、法規、品質、コスト、日程、取引先、量産、保証、市場での責任までを見る。
部品そのものの細かい技術は取引先側に深くあることも多いが、それを車として成立させる責任は元請け側に残る。

だから、大企業は「何も作っていない」のではない。
作っているものが、部品そのものだけではない。

大企業が作っているのは、仕様、責任分界、品質保証、量産可能性、法規適合、供給網、承認経路、意思決定の通路である。
つまり、個別の作業ではなく、全体が成立する仕組みを作っている。

ここを見落とすと、「手を動かしていないから何もしていない」に見える。

ただし、個人単位で見ると、この批判が当たってる場面も多い。


大企業は仕組みが強い。だから個人が強くなくても回る

大企業の強さは、個人の能力だけではない。

過去の設計資産、承認ルート、帳票、試験規格、取引先関係、品質保証の仕組み、暗黙の判断基準。
こういうものが積み重なっている。

会社の強さは、すごい個人が毎回ゼロから頑張ることだけで成り立っているわけではない。
むしろ大企業ほど、個人差を吸収するために仕組みを作っている。

これは強みである。

誰か一人が抜けても、すぐに全部は壊れない。
新人でも、決められた流れに乗れば一定の仕事ができる。
個人の能力差を、仕組みで吸収できる。

ただ、ここには副作用もある。

仕組みに乗って仕事をしているだけの人が、自分で仕組みを作れる人に見えてしまう。
部署の看板、過去の設計、先輩たちが作った型、取引先の実力に乗っているだけなのに、自分が仕事を成立させているように見える。

だから外からは、「この人は会社の仕組みに乗っているだけで、一人では何もできないのでは」と見える。

これは、当たっている。

大企業には、仕組みを作る人と、仕組みに乗る人がいる。
そして、数として多いのは当然後者である。


優秀な人は、普通の個別案件にはあまり出てこない

大企業にも、当然ながら優秀な人はいる。

ただし、大企業であってもそういう人はいつも足りない。

全体設計、重要判断、重大不具合、次世代システムの基礎設計、部門間の難しい調整、経営判断に近い案件。
本当に強い人は、こういうところに吸われる。

だから、普通の個別案件や日常的な問い合わせに、毎回一番強い人が出てくるわけではない。

大企業が扱う案件は、数も多く、影響範囲も大きい。
一方で、全体を理解して判断できる人は足りない。

だから会社は、分業と階層で回すしかない。
少数の強い人が全体や難所を見て、日常案件は多くの人が手足として動く。

この構造自体は必要である。

問題は、その「手足」や「窓口」に立つ人は、本当は相手の言葉を理解し、意味を変換し、必要なら上に正しく戻す能力が要ることだ。

しかし現実には、窓口は数が必要になる。
数が必要になると、どうしても人の質はばらつく。

将来のエース候補も、最初は個別案件をやる。
ただ、人数全体で見れば少数であり、目立つのは普通の人、あるいは弱い人になりやすい。

その結果、外からはこう見える。

大企業の窓口は話が通じない、何を聞いても持ち帰るだけ。
自分で何も判断しない。
この人は何のためにいるんだ?

これは単なる偏見ではなく、構造的に出やすい不満だ。


大企業のエースが出てくるときは、だいたい普通ではない

ここで一つ、皮肉な話もある。

もしあなたが仕事をしていて、大企業のエース級に会ったことがないとする。
それは必ずしも、「その会社に強い人がいない」という意味ではない。

むしろ、あなたやあなたの会社が、大企業側の弱い窓口、雑な連絡、薄い理解を吸収しながら、それでも案件を成立させられているからという可能性もある。

大企業のエースが個別案件に出てくるときは、たいてい普通ではない。

どうしようもない不具合。
部門間で誰も切れなくなった案件。
元請けと取引先の間で責任分界が壊れた案件。
市場影響が大きく、通常ルートでは処理できない案件。

普通の窓口や通常の仕組みでは処理しきれなくなったときに、ようやく強い人が出てくる。

だから、大企業の窓口担当者が微妙に見えるとき、単純に「大企業社員はポンコツだ」と言いたくなる。それも正しい。

ただ、あなたが何とかしているから「何とか出来る人が別にいる」と判断され優先度を下げられている場合もある。
皮肉なことに。

トラブルを何とか出来るレベルの優秀なあなたが大企業のポンコツ社員の不備を吸収してるなら、そういう意見が出るのも当然である。


大企業では、なぜこんなことがおきるのか

大企業では、情報は階層と部門をまたいで流れる。

その途中で、情報は要約され、丸められ、無難な表現に変わる。
誰が判断する話なのか、何が未確定なのか、どこにリスクがあるのかも薄くなる。

たとえば現場ではまともな担当がいたとする。
(担当がそもそもポンコツの場合については本稿の対象外にする)

「この条件だとA案は日程が成立しないのでNG。B案なら今から日程調整すれば可能です。ただし追加予算がかかります。見積もりを始めていいですか?PMは予算担当に話を通して並行で許容できる予算上限を決めてください」

という話だったとする。

これが一段上がると、

「A案は日程の、B案はコストの問題があります。詳細を精査中です」

になり、さらに上がると、

「対応は可能ですが、複数案がありまだ決めきれてないそうです」

になる。

彼らは嘘をついているつもりはない。
単純に課題の中身を理解できていない場合もあるが、それ以上に説明が面倒なのだ。
NGと言ったら「なぜNGか」を説明しなければならず、その理由は現場にしか説明できない。
コストが上がる、と言ったら追加予算を申請しなければならず仕事が増える。

中間に挟まる人にとっては問題解決が仕事のゴールではなく、その場を怒られずに乗り切る、がゴールであることも多い。
実際はゴールではないのだけれども、ゴールが何かすらわかってないまま仕事を進めてる人も珍しくない。

もちろん有能な中間層もちゃんといる。
彼らは課題の中身を完璧に理解していなくても問題を分解し、わかる言葉に翻訳して理解ができる。
ただそれが出来ない中間層でもその場では仕事が回って見えてしまうことが多いということだ。

要はこれが大企業で話が薄まる典型である。

情報を安全に流すための階層が、情報を薄める。
責任を明確にするための承認が、責任を分散する。
専門分化が、全体を見えにくくする。
手続きを守る人が、目的を見失う。

だからこれは、単なる個人の連絡ミスではない。
大企業の構造から出る副作用である。


本来の中間層は、ただの中継係ではない

日本企業では、本来、中間層がかなり重要だった。

トップが大きな方針を出す。現場が現実を知っている。
その間にいる中間層が、方針と現実をつなぎ、仕様、計画、責任分界、優先順位に落とす。

良い中間層は、ただ情報を流すだけではない。

意味を補い、論点を切り、上に戻すべきことと、現場で決めるべきことを分ける。
部署間でズレた言葉を、判断できる形に直す。

これができると、大企業の分業は強みになる。
一人では到底できない大きな仕事が回せるようになる。

しかし、中間層が弱ると、ただの中継係になる。

上から来た言葉を、そのまま下に流す。
下から来た困りごとを、丸めて上に流す。
部門間のズレを訳さず、会議体に逃がす。
判断を持たず、関係者を増やす。

こうなると、大企業の強みだった分業と階層が、そのまま弱みに変わる。


「自分で何も作っていない」は、個人には当たることがある

ここで最初の話に戻る。

「大企業の社員は、自分で何も作っていない」

この批判は、会社全体に対しては雑だ。
大企業や元請けは、個人が全部を作る場所ではない。
分業された仕事を統合し、責任を持って成立させる装置である。

ただし、個人に対しては当たることがある。

過去の優秀な人が作った仕組みに乗っているだけ。
部署の看板で仕事が進んでいるだけ。
取引先や現場が実質を埋めているだけ。
自分は情報を右から左に流しているだけ。

こういう人は実際にいる。

そして、大企業ではそういう人でも、すぐには仕事が止まらない。
仕組みが強いからだ。

だから本人は、自分が弱いことに気づきにくい。
周りから見ると「この人、一人では何もできないのでは」と見える。

もちろん、大企業にいる人が全員そうだという話ではない。

本当に強い人はいる。
ただ、その人たちは仕組みを作る側、重要判断をする側、難しい案件をさばく側に回る。
個別案件の窓口には、毎回出てこない。

その結果、外から見える大企業の顔が、弱い窓口になりやすい。


本質は、意味を変換できる人の不足である

大企業で話が薄まる問題を、単に「連絡が下手」と捉えると浅い。

本質は、分業された情報を、意味に変換できる人が足りないことだ。
自分の部署と自分の本来の役割の理解と実践の不足だ。

相手が言っていることは、どの条件の話なのか。
何が確定で、何が仮置きなのか。
どこにリスクがあるのか。
誰が判断すべきなのか。
どの部署に、どの粒度で伝えるべきなのか。

これを理解できる人が窓口にいれば、情報の劣化はかなり減る。

しかし、それができない人が窓口に立つと、技術的な話がただの進捗報告になる。
判断が必要な話が共有事項になる。
未確定の前提が、いつの間にか決定事項のように扱われる。
リスクが「要調整」という便利な言葉に変わる。

これが積み重なると、会議は増えるのに何も決まらない。
関係者は増えるのに責任者がいない。
資料は増えるのに判断材料は薄くなる。

問題は、情報の量ではない。
意味の変換に失敗していること
である。


大企業の問題は、人が多いことではない

大企業に人が多いのは、当然だ。

扱っている案件が大きい。
影響範囲が広い。
法規、品質、コスト、日程、供給、顧客、保証まで見る必要がある。
一人で全部を見られる仕事ではない。

だから、分業も階層も窓口も必要である。
問題は、人が多いことではない。

分けた仕事を、もう一度意味のある形に統合できる人が足りないことだ。
窓口が、ただの連絡係になっていることだ。
中間層が、判断の翻訳者ではなく、責任を薄める装置になっていることだ。


最後に

大企業は巨大な製品やサービスを、多くの人、多くの部署、多くの会社を巻き込んで成立させる仕組みを持っている。
個人商店では扱えない規模の責任を引き受けている。

ただし、その中の個人が全員すごいわけではない。

むしろ多くの人は、過去の優秀な人が作った仕組みに乗っているだけ。
部署の看板、社内ルール、帳票、承認経路、取引先の実力、品質保証の仕組みに支えられている。

それ自体は悪いことではない。
大企業とは、そうやって個人差を吸収する仕組みでもある。

ただ、その仕組みに乗っているだけの人が、自分で判断しているつもりになると危ない

情報を運んでいるだけなのに、調整しているつもりになる。
判断を持っていないのに、関係者を増やして仕事をしている気になる。
意味を理解していないのに、資料にまとめて伝えた気になる。

そういう人が増えると、大企業では話がどんどん薄まる。

大企業の強さは、分業と統合にある。
大企業の弱さも、分業と統合にある。

分けるだけなら、誰でもできる。
流すだけなら、誰でもできる。

本当に必要なのは、分けられた情報を意味に戻し、誰が何を判断すべきかを切れる人である。

大企業の問題は、意味を翻訳できる人が足りない、という問題である。


いいなと思ったら応援しよう!