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ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』

ひたむきな自然児であるだけに傷つきやすい少年ハンスは、周囲の人々の期待にこたえようとひたすら勉強にうちこみ、神学校の入学試験に通った。だが、そこでの生活は少年の心を踏みにじる規則ずくめなものだった。少年らしい反抗に駆りたてられた彼は、学校を去って見習い工として出なおそうとする……。子どもの心と生活とを自らの文学のふるさととするヘッセの代表的自伝小説。

新潮社 裏書き


ヘルマン・ヘッセ

ヘッセ(1877-1962)について

ドイツの抒情詩人で小説家のヘッセは、南独カルプの牧師の家に生まれました。父母も祖父母もインドで布教に従事した経験がありました。彼はマウルブロンの神学校を脱走、その後の高校も中退し、書店員などを経て1904年『郷愁』の成功で作家として認められました。その後、『車輪の下』などの自伝的作品を書きましたが、第1次大戦中、公然と戦争を非難したためジャーナリズムから締め出されます。しかし、その後も平和主義を貫きました。『デーミアン』(1919年)、『シッダールタ』(1922年)、『荒野の狼』(1927年)の作品では精神と自然の対立に悩む自己の内面を追求しました。高度な精神文化の理想郷を『ガラス玉演戯』(1943年)に描き、1946年ノーベル文学賞を受賞しています。


マウルブロン僧院

ヘッセ作品へ至るまで

『車輪の下』は初めて読んだヘッセの作品です。むかし高校の課題図書の中に入っていたような気がします。その時はシュリーマンの『古代への情熱』を読んだ記憶があります。選んだ理由は本が薄かったからです。💦
理系の人間はこういう感じなので学生時代に純文学にはほとんど縁がありません。
ヘッセの作品に行きついたのは河合隼雄先生の『無意識の構造』からです。この本にはヘッセの作品のことが書かれています。河合先生はユング派の精神分析家です。ヘッセはノイローゼになるなど精神的に不安定な時期があり、ユング派の分析家による治療を受けています。(無意識の構造p132)
このような精神状態はヘッセの作品に大きな影響を与えていると思われます。二度の治療の後に『デミアン』と『荒野の狼』の作品がそれぞれ書かれています。

『車輪の下』に登場する友達へのヘッセ自身の投影

『車輪の下』を読むと、登場人物に若いころのヘッセの精神状態が反映されていることが分かります。

ハンスの親友となるハイルナーは、学校の画一的な教育や権威に強く反発していますが、芸術や文学、自然を愛する繊細で自由な性格の持ち主でした。ハイルナーは神学校を脱走しますが、ヘッセ自身も神学校を脱走して退学しています。

ルチウスは勤勉だったけれどケチで狡猾な男でした。ヘッセは彼に神学校に入るためただひたすら勉強した自分の姿を映したのだと思います。

最後の方に出てくる友達のアウグストは進学せず機械工となって庶民的な生活を送っていました。絶望的な状態にあったハンスにとって彼の平凡な生活は救いの一つだったのかもしれません。

ハンスの最後

ハンスの人生は唐突に終わってしまいます。機械工たちと飲み歩き一人で帰るときに誤って川に落ちてあっけなく亡くなります。急な展開にあれっと思うかもしれません。このことは、ヘッセの生い立ちがとても大きくかかわっています。

ヘッセは自伝的にハンスを描きました。ヘッセ自身は機械工になった後、書店員などをして立ち直ってゆきます。ハンスが川に落ちたころがちょうど人生の転換点だったのでした。ここからヘッセは自分の道を歩み始めます。これまでの押し付けの人生ではなく詩人、小説家として自分の道を歩むことになります。
『車輪の下』というのは車輪という大きな教育システムの下敷きになっていた若者の苦悩と葛藤の物語なのでした。この物語はここで終わるべき物語だったのです。

『車輪の下』はヘッセがユング派の精神分析家と出会う前に書かれていますが、内面対話について詳しく描かれており、人間の心理への興味が多分に感じられる小説です。また、ヘッセは家族の影響から東洋的な物の見方の素地があったのではないかと思われます。

河合隼雄、ユング、ヘッセに共通することは、ともに精神的な問題を抱えていたことと東洋的な思想に傾倒していたことです。
ヘッセの作品は日本人にはとても相性が良いのではないでしょうか。
ヘッセの作品については『デーミアン』以降にユングの思想も入って来ると考えられます。これから少し掘り下げてみたいと思っています。

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