あなたたちは自分の豊かさを知らない (第1回|ヨーロッパから見た日本)
ヨーロッパで発見した日本の豊かさ
私はヨーロッパ北部のある国に住んでいる。
この国の平均収入は日本よりはるかに高い。街は清潔で、社会保障も整っている。客観的な数字だけを見れば、「豊かな国」だ。
しかし私は、ここで暮らしながら、豊かだと感じたことが一度もない。
逆説的なことに、日本にいるときのほうが——収入が少なくても、貯金が心もとなくても——はるかに豊かだと感じる。食事をするとき。深夜に街を歩くとき。病院に行くとき。電車に乗るとき。あらゆる場面で、日本には「何か」がある。
その「何か」の正体を、このレポートで書いておきたいと思った。
日本に住む日本人に、伝えたいことがある。あなたたちが「当たり前」だと思っているものは、世界では当たり前ではない。そしてその「当たり前」を自分たちの手で壊しかけている。
豊かさの正体
「銀行口座の数字」だけが給料ではない
「給料が少ない」「生活が苦しい」と嘆く日本人の多くは、銀行口座の数字しか見ていない。
しかしヨーロッパから日本を見ると、別の景色が見える。
まず、食べ物だ。
牛丼屋に行けば、500〜600円で一杯食べられる。今の為替で換算すれば、およそ3ユーロだ。仮にこの為替の恩恵をすべて取り除いて、倍の6ユーロだったとしても——私の住む国には、あのクオリティのものをあの値段で出せる店は存在しない。さらに倍の12ユーロを出せば、やっとどこかで近いものが見つかる程度だ。
コンビニに行けば、深夜でも温かい弁当が買える。ファミレスへ行けば、落ち着いた空間でちゃんとした食事ができる。安くて、おいしくて、24時間いつでもどこでも手に入る。
「収入が高いからヨーロッパ人のほうが豊かだ」と思うかもしれない。しかし収入は倍でも、生活費はそれ以上に高い。家賃も食費も光熱費も、収入の差を上回る勢いで跳ね上がる。だからヨーロッパの平均的な生活は、日本人が想像するよりもかなり質素だ。外食はほとんどの場合、特別な日のイベントであり、日常的に外食できる余裕はない。皮肉なことに、ヨーロッパ人自身もその錯覚に気づいていない。通貨が強く収入が高いから、自分たちは豊かだと思っている。しかし日常の生活実態を見れば、その豊かさは数字の上だけのことだ。
食べ物だけではない。夜に何かしたいと思ったとき、日本には選択肢がある。コンビニも開いている、飲食店も開いている、街に出れば人がいる。ヨーロッパの夜はそうではない。バーに行くか、クラブに行くか、せいぜいその程度だ。夜に開いている店はほとんどなく、夜の街にできることは驚くほど少ない。
医療も違う。日本では、体調が悪ければその日のうちに医者にかかれる。しかしヨーロッパでは、まずかかりつけ医の予約を取るところから始まる。その予約だけで1週間かかることはざらだ。そこでようやく診てもらっても、たいていは「様子を見ましょう」と鎮痛剤を渡されるだけで終わる。本当に耐えられないほど辛くて専門医への紹介状をもらっても、そこからさらに1〜2週間待つことになる。
これは他人事の話ではない。私の身近なコミュニティの中だけでも、「あと少し遅かったら死んでいた」という経験をした人が何人もいる。深刻な状態でも、システムがそれをはじき続ける。
日本人は、これほどの医療インフラを「当たり前」として受け取っている。
あなたが「貧しい」「苦しい」と感じている生活を、ヨーロッパに住む人間から見れば——それでも十分すぎるほど豊かに映る。
これが「豊かさの正体」だ。銀行口座に映らない給料。数字にならない資産。安くておいしい食事、24時間のインフラ、すぐに行ける医療、安全な夜道——そうしたものに囲まれたその生活は、世界基準で見れば十分すぎるほど豊かだ。
問題はそこではない。手元に現金がない、将来の蓄えがない、年金が不確かだ——その未来への不安こそが、日本人の閉塞感の正体だ。
豊かさが「見えない」理由
便利さが思考を奪う
なぜ日本人は、自分たちの豊かさに気づかないのか。
答えは単純だ。あまりにも当たり前になりすぎているから。
ヨーロッパに来て初めてわかる。夜8時に店が閉まる不便さ。医療アクセスの悪さ。電車が平然と遅延する日常。宅配が「明日か明後日」で来るのが普通であること。これらの「不便」を経験して初めて、日本の「便利」が輪郭を持つ。
しかし日本に住み続ける人には、その比較軸がない。
さらに深刻な問題がある。過剰な便利さは、思考を退化させる。24時間いつでも何でも手に入る環境では、「なければどうするか」を考える必要がない。深夜に小腹が空けばコンビニへ行けばいい。少し体調が悪ければすぐ病院へ行けばいい。この「考えなくていい環境」が積み重なることで、日本人は自分の豊かさを能動的に認識する力を失っていく。
そして豊かさを感じられないまま、「もっと現金が欲しい」という渇望だけが残る。
この渇望が、次の章で見る構造的な自己破壊を生む。
豊かさを自分で壊す構造
日本人が自分たちの豊かさを壊している構造は、二つある。
10円のために企業を殺す
一つ目は、安売り競争だ。
10円でも安いスーパーのために少し遠くまで足を運ぶ。その気持ちはわかる。しかしその行動が積み重なると何が起きるか。
100円の商品があるとする。仕入れ値は50円、人件費や経費を乗せたコストは合計80円、利益は20円だ。そこに競争が入り、価格を90円に下げたとする。消費者が得るのはたった10%の10円だ。しかし店の利益は20円から10円へ、半分になる。さらに競争が続いて85円、80円と下がれば、利益はゼロになる。
消費者が10円を得るために、企業は利益の半分を失う。
この構造を続ければ、企業は賃金を上げられない。賃金が上がらないから消費者の手元は増えない。手元が増えないから、10円でも安いスーパーのために少し遠くまで足を運び、価格.comで何十分もかけて10円でも安く買う。日本のデフレはこの自業自得のループの産物だ。
医療という名の「安心の外注」
二つ目は、医療だ。
数千円で診てもらえる環境では、人は考えない。「なんとなく不安だから行く」が合理的な選択になる。この「安いから外注する」という行動が積み重なって医療費は膨張し、社会保険料は上がり続ける。そして日本人は「社会保険料が高い」と嘆く。
構造的な自業自得だ。
選択肢は単純だ。保険料を高く維持してリスクを社会全体で吸収するか、保険料を下げる代わりに窓口負担を上げてリスクを個人が引き受けるか。窓口負担が上がれば、なんとなく不安だからという理由での受診は自然に減る。医療費が抑えられ、その分保険料も下げられる。どちらかを選ぶしかない。
「貧しい人に高い窓口負担は酷だ」という反論が来る。しかしこの反論は、貧しい人を判断能力のない存在として扱っている。命に関わると自分で判断したなら、人は10万でも20万でも払う。その判断と覚悟を本人に返すことは、冷たさではなく自律した人間としての尊重だ。
富裕層がリスク10%で生きるなら、低所得層はリスク30%を引き受ける。その代わり、毎月の保険料という「見えない重税」から解放される。これは罰ではない。トレードオフの正直な提示だ。
「自分の症状が受診すべきかどうか判断できない」という人には、AIという選択肢がある。今のAIは最新の医療情報を網羅しており、知識のアップデートが止まった医者よりも、症状に対して正確な判断を返せる場合も多い。受診すべきかどうか迷ったら、まずAIに症状を説明して判断を仰げばいい。それで十分なケースは思いのほか多いはずだ。
コンビニ受診が減れば、医師の時間は本当に重篤な患者に集中する。医療の質は下がらない。配分が正しくなるだけだ。
豊かさを現金に換える技術
「積み上げ原価」という思考停止からの脱却
現物の豊かさを「見える豊かさ」に換えるためには、価格設定の哲学を変える必要がある。
日本の企業の多くは「原価に少しの利益を乗せる」という価格設定をしている。しかしこの方式は、自分の価値を自分で破壊する行為だ。代替不可能な技術・サービス・体験を持ちながら、原価積み上げで価格を決めることで「安いもの」というポジションに自らを縛り付ける。
なぜ値上げができないのか。その根本には、目標設定の誤りがある。
日本企業の多くは、売上高・販売数量・市場シェアを目標にしている。しかし企業本来の目的は利益を上げることのはずだ。この三つの目標はいずれも、値上げを阻む方向に働く。
売上高を目標にすると:値上げで売上が減るから値上げできない
販売数を目標にすると:値上げで数が減るから値上げできない
シェアを目標にすると:値上げでシェアが下がるから値上げできない
三つとも「値上げできない理由」として機能してしまっている。本来の目標である利益とは、真逆の方向を向いた目標設定だ。目標を利益に変えるだけで、値上げが「リスク」から「合理的な選択」に変わる。
値上げの算数——目標を利益に変えれば景色が変わる
数字で考えてみよう。売上100、原価50、人件費30、販管費10、利益10という構造の企業があるとする。
ここで10%値上げして、販売数が10%減ったとする。
売上:110×0.9=99
原価:50×0.9=45(販売数に連動)
人件費:30(固定)
販管費:10(固定)
利益:99-45-30-10=14
利益が10から14へ、40%増だ。売上総額はほぼ変わらないのに、手元に残るお金が4割増える。
そして減った販売数の10%分はどこへ行くか。消えるわけではない。他社の売上になる。経済全体のパイは変わらず、各社の利益率だけが上がる。値上げは自社にとっても、日本経済全体にとっても正しい選択だ。
さらに言えば、差別化された製品や唯一無二のサービスであれば、10%値上げしたところで販売数はほとんど下がらない。その場合、利益はほぼ100%増える。
「それでも値上げして販売数が20%以上落ちたらどうするのか」という反論がある。まず数字で答えよう。上記の構造では、10%値上げした場合に利益がゼロになるのは販売数が約18%減ったときだ。つまり18%以内の減少なら値上げした方が必ず得になる。
しかし仮に20%以上落ちたとして、それはむしろ重要なシグナルだ。10%の値上げで顧客の2割が離れるなら、その事業は価格競争でしか戦えていないということを意味する。そのビジネスモデル自体を見直すべきだ。価格以外に選ばれる理由がない事業を、低価格のまま延命し続けることは、経営者にとっても従業員にとっても、長期的には誰の得にもならない。
気づいた日本人が取り戻すもの
金銭的な余裕が国の体温を変える
過剰サービスが削られ、医療コストの配分が改善され、値上げが広がり賃金が上がれば、その結果として、手元に残る現金が変わる。
その余裕が生まれたとき、何が変わるか。
人は余裕があるとき、他者の利益を許容できる。値上げを「社会の循環」として受け入れられる。サービスの不完全さに寛容になれる。これは道徳論ではなく、認知的負荷が減ることで判断が変わるという心理的メカニズムだ。
その余裕を消費に変えるためには、将来のほうが価格が高くなるというインフレ期待の形成が不可欠だ。値上げの浸透・最低賃金引き上げ・医療コスト再配分という三つの政策が同時に動く必要があるのは、そのためだ。どれか一つでは、他の二つが足を引っ張る。
結論
日本はすでに世界最高の現物インフラを持っている。
私はヨーロッパで、それを知った。
あなたが「貧しい」と感じているその生活は、海外に住む人間から見れば豊かだ。それをもっとわかりやすく言うなら、こういうことだ。
中東には、高級スポーツカーを何台も持つ富豪がいる。誰もが羨む車を持ちながら、走らせる場所は砂漠だけで、行き着く先は誰かに見せびらかすための駐車場だ。山を駆け上がり、峠を越えて、海が見える瞬間に息を呑み、海沿いの道を夕暮れとともに走る——そういうことこそが、スポーツカーの喜びではないだろうか。現金があっても、それを味わう文脈がなければ豊かとは言えない。
日本人にはすでに、その文脈がある。四季がある。山がある。海がある。安くておいしい食事が24時間ある。安全な夜道がある。すぐに行ける医療がある。
必要なのは建設ではなく、気づくことだ。自分たちが「当たり前」として享受しているものの価値を正しく認識し、それを正しく換金する技術を取り戻す。
現金に余裕が生まれたとき、日本人はようやく、値上げを怒らず、他人の利益を妬まず、自分の仕事に誇りを取り戻すことができる。
今の日本に必要なのは、強欲を新たに獲得することではない。すでに持っている豊かさを、正しく換金する技術を取り戻すことだ。
そしてその豊かさの価値を、最もよく知っているのは——日本の外で暮らしたことのある人間だ。
次回:連載第2回「ヨーロッパから見た日本——英語が苦手なのは事実だ。しかし理由が違う」
