教育の境界線|配慮と甘やかし⑦ 友達とのトラブルを、教員が代わりに解決してよいですか?
休み時間、二人の子どもが言い争いになった。
一人は「先に取られた」と言い、もう一人は「貸してくれると言った」と主張する。
互いに興奮し、自分の言い分を繰り返している。
教員が話を聞き、「今回はあなたが悪い。
謝りなさい」と結論を出す。
謝罪させ、握手をさせれば、短時間でその場は収まる。
子どもだけでは解決できない問題を、大人が整理した配慮に見える。
しかし、教員が結論から関係修復まで代行してしまってよいのだろうか。
子ども同士のトラブルでは、教員の支援が必要なことがある。
興奮して話せないなら、まず離して落ち着かせる。それぞれから事実を聞く。
起きたことと感じたことを分け、相手に伝える言葉を一緒に考える。
話し合いの順番や約束を示しながらも、何を伝え、これからどうしたいかは本人たちに考えさせる。
これは配慮である。
反対に、教員がすぐに善悪を決め、謝る言葉まで指定する。
本人が納得していなくても、「仲直りした」という形をつくる。
その後、同じことが起きても、また教員の判断を待たせる。
これでは問題を解決したように見えて、子どもが事実を整理し、相手と折り合いをつける経験を奪っている。
甘やかしに近づく。
もちろん、暴力、いじめ、継続的な支配関係がある場合は、子ども同士の話し合いに任せてはならない。
安全を確保し、事実を調査し、必要な組織対応をするのは大人の責任である。
被害を受けた子に関係修復を強いてはならない。
だからこそ、すべてのトラブルを子どもに任せるのでも、大人がすべて決めるのでもない。
安全を守ったうえで、本人が解決に参加できる部分を残すことが必要だ。
教員は、解決策を先に教えるのではなく、「何が起きたのか」「相手に何を伝えたいのか」「次はどうしたいのか」と問いかける。
最初は言葉を補っても、次のトラブルではどこまで自分で整理できたかを見る。
対応を見直しながら、本人が担える部分を少しずつ増やしていく。
配慮と甘やかしの境界線は、子どもが解決に参加できるよう支えるのか、大人が結論と関係修復まで代行するのかだ。
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