見出し画像

教育の境界線|配慮と甘やかし⑤ 掃除が苦手な子を、掃除当番から外してよいですか?

掃除の時間になると、その場から離れてしまう子がいる。

ほうきで舞うほこりが苦手なのかもしれない。大きな音に耐えられないのかもしれない。
複数の子と役割を分担することが難しく、何をすればよいか分からない可能性もある。

そこで、「掃除が苦手なら、やらなくていいよ」と掃除当番から外す。

無理をさせない配慮に見える。
しかし、その子だけが何の役割も持たず、他の子が代わりに掃除を続ける状態を固定してよいのだろうか。

学校の掃除には、教室をきれいにすることだけでなく、共同生活の場を自分たちで整えるという意味がある。

その目的を残すなら、役割を変える方法がある。

ほこりが苦手なら、机を拭く。
大きな音が苦手なら、静かな場所の整理をする。
複数人で動くことが難しいなら、担当する範囲と手順を明確にする。
体調に合わせて、短い時間から参加する方法もある。

同じ作業ではなくても、自分にできる形で集団に貢献している。
これは配慮である。

反対に、本人が嫌がるからという理由だけで、役割をすべてなくす。
何が難しいのかを確認せず、できる仕事も探さない。
その負担を、いつも周囲の子どもに引き受けさせる。

これでは、困難を取り除くのではなく、共同生活に参加する機会と責任を取り除いている。
甘やかしに近づく。

もちろん、けがや病気、強い感覚過敏などにより、掃除を休むべき場合はある。
安全や健康を優先することは、責任の放棄ではない。

ただし、休む必要があることと、今後も役割を持たなくてよいことは同じではない。
状態に応じて、参加方法を定期的に見直す必要がある。

全員に同じほうきを持たせることが公平なのではない。
それぞれが可能な形で、共有する場所に責任を持てることが大切だ。

別の役割を用意するときも、形だけの仕事にしてはならない。
本人の仕事が本当に教室の役に立ち、周囲からも一つの役割として認められることが必要である。
参加時間やできる作業が増えたかを確かめ、本人と相談しながら役割を見直していく。

配慮と甘やかしの境界線は、参加できる役割に変えるのか、集団に貢献する役割そのものをなくすのかだ。

いいなと思ったら応援しよう!

みん教|学校の「当たり前」を問い直す チップは要りませんので、共感してもらえたのであれば、是非色々な方に広めていただければ幸いです。