教育の境界線|配慮と甘やかし⑧ ルールを守れない子だけ、別の対応にしてよいですか?
授業の始まりには、全員が席に着くというルールがある。
ところが、一人の子は教室の中を歩き続け、なかなか座ることができない。
注意すると興奮し、授業どころではなくなることもある。
そこで教員は、その子だけ後ろで立って参加することを認める。
他の子には座るよう求めているのに、一人だけ別の対応をするのは甘やかしなのだろうか。
同じルールを全員に同じ形で適用することが、必ずしも公平とは限らない。
まず考えたいのは、そのルールの目的である。
席に着く目的が、安全を守り、説明を聞き、周囲の学習を妨げないことなら、立ったままでもその目的を満たせる場合がある。
立つ場所を決め、他の子の視界を遮らず、学習には参加するという約束を本人と確認する。
ルールの形は違っても、ルールが守ろうとしているものは維持されている。これは配慮である。
反対に、本人が嫌がったり興奮したりするたびに、何の確認もなくルールを適用しない。
授業を妨げても、安全上の問題があっても、「この子は仕方がない」で終わらせる。
これでは、困難に応じた別の方法ではなく、本人が引き受けるべき線までなくしている。
甘やかしに近づく。
もちろん、行動の背景には、感覚、発達、心身の状態などが関係している可能性がある。
本人の態度や意欲だけで判断してはならない。
必要に応じて、保護者や専門職と支援方法を検討することも必要である。
別の対応を始めたあとも、それが学習参加につながっているか、周囲の安全や学ぶ権利を守れているかを見直す。
周囲には個人情報を説明するのではなく、「同じ目的に向かう方法は一人ひとり違う」と伝えればよい。
公平とは、全員に同じ形を強いることではない。共通の目的と責任を、可能な方法で引き受けられるようにすることだ。
別の対応は、担当する教員によって変わらないよう記録し、関係者で共有したい。
なぜその方法が必要か、何を守るための対応か、いつ見直すかを説明できなければ、配慮ではなく場当たり的な免除になってしまう。
配慮と甘やかしの境界線は、ルールの目的を守る別の方法を用意するのか、困るたびにルールの適用そのものをやめるのかだ。
いいなと思ったら応援しよう!
チップは要りませんので、共感してもらえたのであれば、是非色々な方に広めていただければ幸いです。