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数式は解くな、読め――「わかるまでの時間」を短くする話

「は・じ・き」

この三文字で、あの円を思い出した人は多いと思います。円を線で三つに割って、求めたいところを指で隠すと、式が出てくる。

速さ=距離÷時間。
はじきの公式。

はじきの公式

生徒が苦手意識をもちやすい公式だと、先生もわかっていたのだと思います。少しでも親しみを覚えてもらうためか、小学5年生の担任、I先生は、こう教えてくれました。

「横線を右側の外まで伸ばしてごらん。ほら、帽子をかぶった坊やみたいになるだろう」

はじき坊や 
÷が目で、×が口、帽子をかぶった少年に見える
……ような気がする

しばらくの間、5年4組を席巻した通称「はじき坊や」の活躍もあり、計算は難なくでき、テストも解けました。それどころか、いまでも忘れていません。

ただ、同時に覚えているのは、あの「わかるまでの時間」です。

当てはめれば、解ける。解けるけど、自分が何をしているのかは、わかっていない。わかるようになるまでには、時間がかかります。考えてようやく腑に落ちる。その間が、ずっと苦しいんです。

理系に進めば、誰でも覚えがあると思います。

そして社会人になっても、思い知ることになります。

はじき坊やで経験したあの苦しい時間は、何度でもやってくる。

新しい分野に入るたび、また「当てはめられるけど、わかっていない」から始まる。そして毎回、理解までの時間を、自力で埋めることになるんです。

この記事は、その理解までの苦しい時間を、少しでも短くするための話です。


うわ、無理、めんどくさ

工場の設備、モノの作り方、製品づくり、テック系の事業企画。私は3業界で4職種を経験してきました。その領域を跨ぐたびに、まったく知らない分野の数式が出てくるんですよ。

報告書に、会議資料に、装置の検討書に。

忘れられない場面があります。

担当する工程が変わって間もないころ、先輩にこう言われました。

「これ、圧損計算しといてね。参考はこのエクセルね」

先輩は、さもすぐできるようなトーンでそう言って、自分の仕事に戻っていきました。

ファイルを開きます。

セルに、数式が組まれていました。クリックすると、数式バーに長い式が出ます。別のセルをクリックする。また長い式。説明らしきものは、どこにもありません。

誰が作ったのかも、わかりません。たぶん代々受け継がれて、いまも現役で使われている。

仕方なく、あるセルの数式についてわかりそうなワードを拾っては、ネットで検索しました。小一時間ほどで、元になっている式の正体にたどり着きます。

ΔP = λ・(L/D)・(ρv²/2)

うわ、無理、めんどくさ。

ここからが、長かった。

式は見つかったんです。でも、意味がわからない。記号の意味を一つ調べては、その説明の中にまた知らない言葉が出てくる。それをまた調べる。気づけば、数時間。

頼まれた「圧損計算」には、まだ一歩も入れていません。

数字を入れれば、答えは出るんですよ。出るんですけど、その答えが何なのか、合ってるのかどうか、私には判断できない。判断できないものを「できました」と出すのか? 出せないだろ。

もちろん、「わからなければ聞いてね」と、みんな言ってくれます。優しいんです。実際、聞けば教えてくれます。

ただ、教えてもらえるのは説明までです。その説明を理解するのは、こちらの仕事。聞くことと、わかることは、別なんですよね。

こういうことが、職種や分野が変わるたびに起きます。教科書を開けば古いフォントと硬い説明。専門書を二冊読めば、書いてあることが微妙に違う。そして現場に出てくるのは応用問題だけ。「今日はこの公式を使います」とは、誰も言ってくれません。

あの「当てはめられるけど、わかっていない」苦しい時間が、また始まるんです。

正直、数式なんて、見ずに済むなら見たくもありません。


これ、漢文と似てないか?

それでも、逃げられない式はあります。

ものづくりの世界では、モノがつくれないと、めちゃくちゃ詰められます。量産の立ち上げで、製品がうまく作れなくなったことがありました。毎日夕方、客先に進捗を報告する。現場では、原因を探し、条件を変え、また結果を見る。その繰り返しです。

「その対策、明日の朝までにやれ」

そんな言葉が、平気で飛んできます。客先にも余裕はありません。こちらが止まれば、相手の工程も止まる。失敗すれば、首が飛ぶ。現場は24時間体制で、良品が出荷できるまで終わらないんです。

あの時間を一度経験すると、わからないものを、わからないままにしておく方が怖くなります。
式は、できれば避けたい。
でも、式が読めなければ、現象を説明できない。
現象を説明できなければ、対策が打てない。
対策が打てなければ、また同じことが起きる。

だから、逃げるわけにはいかない式があります。

「結局、これは何を言ってるんや?」

そう考え続けるしかありませんでした。きれいな勉強法はありません。教科書に書いてあることを読んで理解しようとしてみたり、数式をながめてみたり、とりあえず数字を入れてみたり。

そんなことを繰り返していたある日、久しぶりにあの圧損計算の式をながめていて、ふと思ったんです。

これ、漢文と似てないか?

漢文って、知ってる漢字が並んでいるのに、読めない。でも読み方の順序を知ると、突然意味が通る。文字そのものは、最初から知っていたのに。

数式も同じでした。

=も、÷も、文字も、記号は全部知ってる。知らないのは、読み方だけ。

そのとき、わかったんです。

数式は、解くものじゃない。読むものでした。

そして読み方さえあれば、あの苦しい時間は、ぐっと短くできる。


「は・じ・き」を、読んでみる

では、実際に読んでみましょう。せっかくなので、あの式でいきます。

速さ = 距離 ÷ 時間

はじき坊やで、散々計算したやつです。でも「計算する」のと「読む」のは違います。

まずは一度、そのまま読んでみてください。

「はやさ いこーる きょり わる じかん」

文章のように理解できたでしょうか。
私は理解できません。ですので、意味が通ずるように、読めるようにしてみます。

まず、左の「速さ」。ここは、いったんそのまま置いておきます。

次に 「=」。これは「左と右が同じだよ」という意味です。なので、同じような言葉に言い換えて、「とは」と読んでください。

つまりこの式は、「速さとは、距離÷時間のことです」と言っている。右側さえわかれば、左側がわかる構造です。

右側を見ます。距離÷時間。

まず「距離」。式の中の言葉は、省略されています。これは補足していうと「進める距離」のこと。式は言葉を省きたがるので、省かれた言葉を補って読むと、ぐっとわかりやすくなります。

「÷」は、割合をしめすので、「あたり」と読めます。私にはまだわかりにくいので、さらに言い換えます。「あたり」というのは、「ある〇〇に対してどれだけ」ということです。

つなげます。

距離÷時間は、「ある時間あたりに進める距離」。
さらに言い換えて、「ある時間に対してどれだけの距離を進めるか」。

「は・じ・き」の翻訳

これが、速さの正体です。時速60kmなら、1時間という「ある時間」で、60km進める。

いま、何をしたか。

記号を一つずつ訳したわけですが、大事なのはそこじゃありません。最後に、式全体を、一つの文章として読んだことです。

「速さとは、ある時間に対してどれだけの距離を進めるか、ということ。」

数式は、記号の暗号ではなくて、説明の文章なんです。だから、自分がわかる言葉で、文章として読む。それがすべてです。

はじき坊やは、計算のやり方を教えてくれました。でも式の中身を理解するには、文章として扱うべきだったんです。


実務の式を、読んでみる

ここからが本番です。

あの日、私の前に現れた実物でいきます。

ΔP = λ・(L/D)・(ρv²/2)

配管の圧力損失、略して「圧損」を計算する式です。流体力学という学問で出てくる、ダルシー・ワイズバッハの式といいます。

……はじき坊やより記号が増えましたね。「うわ、無理」となった人、それが正常です。私もなりました。

まず左の ΔP。これが圧力損失です。
圧力というのは、空気や水などにどれくらい力がかかっているかというものです。天気予報で出てくる気圧も圧力の一種です。

実は、配管の入口から、水や空気を流すと、出口では圧力が落ちている。その「入口と出口で落ちた分」というのが圧力損失です。


ここで、はじきと少し違うことが起きます。はじきでは、右側が「速さとは何か」の答えでした。今回の式の右側は、圧力損失が、何で起こるかという解説になっています。

つまりこの式は、こう言っています。

「圧力が落ちるのは、右側のこれたちのせいです」

では、犯人を見ていきます。

①係数を無視する

λ(ラムダ)。λは「係数」といって、配管の材質や状態で決まる調整用の数字です。調整用の数字なので、無視します。乱暴に聞こえますが、本当です。犯人を知るだけなら、読まなくていい。難しい式の記号が、ぜんぶ重要とは限らないんです。

②塊で読んでみる

次にL/D。Lは配管の長さ、Dは配管の太さです。
長さ÷太さ。これ、何を表しているか。

長さが長くなれば、圧力損失は大きくなる。
太さが細くなれば、圧力損失は大きくなる。

つまり、細くて長い配管ほど、圧力損失は、大きくなるということ。
なぜか。細くて長いほど、流れは配管の壁にたくさん触れるからです。触れれば、こすれる。こすれれば、抵抗になる。

L/Dは、まるっと言うと「壁にこすれる抵抗の大きさ」です。

③ざくっと読んでみる

最後に ρv²/2。ここは塊ごと、ざっくりでいいです。見てほしいのは一つだけ。流れの速さvが、二乗で入っている。二乗ということは、効きが大きい。速さが2倍なら、損失は4倍。

速く流すと、すごく損をする。それだけ読めれば、現場では十分でした。


犯人を見つけるための①~③をつなげて、文章にします。

「圧力が落ちるのは、壁にこすれるせい。そして、速く流すほど、ひどく損をする。」

圧損計算式の翻訳

これだけです。

考えてみれば、知ってる感覚でした。長くて細いストローは、吸うのがしんどい。勢いよく吸うほど、もっとしんどい。あの記号だらけの式は、それだけのことを言っていました。

あの日は、ここまでに数時間かかりました。いまなら、たぶん小一時間でたどり着けます。


コツは、ひとつだけ

ここまで、二つの式を読みました。

やったことを振り返ると、コツは結局、ひとつしかありません。

自分がわかる言葉で、文章として読む。

それだけです。

そのための技は、いくつかありました。

  • =は「とは」と読む。

  • ÷は「あたり」と読む。

  • わからなければさらに言い換える。

  • 省かれた言葉を補う。

  • 係数は無視していい。

  • 記号の塊は、まるごとざっくり読む。

  • 最後にまとめて読んでみる。

細かな技は、他にもあります。でも、ぜんぶやっていることは同じです。

教科書の言葉のままじゃなくていい。厳密じゃなくていい。自分の言葉に引きずり下ろして、一行の文章にする。

それができたとき、数式は暗号ではなくなります。


正しく読まなくていい

ここまで読んで、引っかかっている人がいると思います。

「そんな読み方をして、いいのか?」

λを無視しました。ρv²/2を「速いと損する」で済ませました。物理の先生が見たら、怒られるかもしれません。正しくない読み方です。テストだと赤点でしょう。

正直、私も思っていました。こんなやり方でいいのか、と。

でも、実務は待ってくれません。完璧に理解する時間はない。かといって、わからないまま進めるのも怖い。その板挟みの中で、ふと、はじきのことを思い出したんです。

あの、当てはめられるけど、わかっていない時間。あのとき、どうだったか。

思い返すと、速さという感覚自体は、はじきを習う前から知っていました。「あいつ足速いな」「新幹線って速いな」。生活の中の、ざっくりした理解です。

はじきで習ったとき、その感覚が、式の形に書き直された。

——ということは、私は「速さ」を二回学んでいます。

では、一回目のざっくりした理解は、「間違い」だったんでしょうか。

たぶん違いますよね。更新されただけです。最初のざっくりした理解があったから、式が乗っかった。順番が逆では、乗らなかったはずです。

数式の読みも、同じです。

今日の読みが浅くてもいい。ざっくりでいい。間違っていたら、そのとき読み替えればいい。理解は、そうやって層になっていきます。

それに、思い出してください。研究者でもない限り、式を導出する必要も、論文を書く必要もありません。目の前の仕事で、その式が何を言っているかが掴めれば、動けます。

4つの職種を経験して、はっきり言います。

とりあえず使う分には、これで十分でした。

完璧な理解を待っていたら、会議は終わっています。


AIに聞けばいい、のか

ひとつだけ、先回りしておきます。

「いまはAIがあるんだから、式の意味なんて聞けばいいのでは?」

そのとおりです。私も聞きます。AIは式を説明してくれるし、わからなければ何度でも聞き直せる。

実際のところ、AIは史上最強のはじき坊やです。当てはめれば解けたあの円のように、聞けば答えてくれる。あのころよりずっと、楽にしてくれます。

ただ、AIの画面には、いまも小さくただし書きがあります。

「AIは間違えることがあります。回答は確認してください」

正しいかどうかの判断は、まだこちら側にある、ということです。

だから、このただし書きが消えるまでは、AIの説明を理解できるくらいには、読める必要がありそうです。

読む力は、AIに置き換えられるものではなくて、AIを使いこなすための前提だと思うのです。


はじき坊やは、何度でもやってくる

私はいまでも「うわ、無理、めんどくさ」となります。

4職種を経験して、読み方を見つけて、それでもです。新しい分野の、見たことのない式を前にすると、最初の反応は変わりません。たぶん、これからも変わらないんだと思います。

はじき坊やは、何度でもやってきます。姿を変えて、次の現場にも、その次の現場にも。

あの「当てはめられるけど、わかっていない」時間も、一緒にやってきます。

たぶん、これからもです。

でも、あの時間との付き合い方は、少し変わりました。

以前は、あの時間の中で、「ほんとにできるかな、これ」とばかり思っていました。

いまは、「まだ読めていないだけ」と思えます。

だから、次に何が来ても、まぁいけるだろうと思えるんです。

その違いは、大きい。

理解ってたぶん、正しい説明を覚えることじゃないんです。

自分がわかる言葉で、読めるようになることです。

だから最初の理解は、雑でもいい。

間違っていてもいい。

読み違えたら、そのときまた読み直せばいい。

理解は、一度で完成するものではなくて、何度も読み替えながら育っていくものだからです。

次にまた、見たことのない式に出会ったときも。

知らない専門用語だらけの資料を渡されたときも。

たぶん、やることは同じです。

あの苦しい時間は、なくなりません。それでも、短くはできます。

解かなくていい。まず、わかる言葉で読めばいい。とりあえずの読みで動いて、違ったら、読み直せばいい。

たぶん、それで十分です。



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