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なぜ土方歳三は、日光の近くまで来ていたのか?

日光というと、多くの人は「東照宮」や「世界遺産」を思い浮かべる。

静かで、美しく、どこか神聖な場所。

けれど実は、幕末の戦火は、この日光のすぐ近くまで迫っていた。

しかもそこには、新選組副長・土方歳三の足跡がある。


今回、私は日光を歩きながら、改めてその歴史を調べていた。

すると驚いた。

土方歳三は、宇都宮城の戦いで負傷している。

そして宇都宮と日光は、現在の距離感で言えば、およそ35〜40kmほどしか離れていない。

車なら1時間もかからない距離だ。

つまり、私たちが今「観光地・日光」として見ている場所のすぐ近くで、旧幕府軍と新政府軍の戦いが起きていたのである。


さらに興味深いのは、当時の日光には、「東照宮を守ろう」とした人々がいたということだ。

徳川家康を祀る東照宮。

江戸幕府が崩れようとしていた時代、その象徴とも言える場所を、守ろうとした人々がいた。

その空気の中に、土方歳三や旧幕府軍の存在が重なってくる。


私は今回、実際に日光を歩いていて、不思議な感覚になった。

ここはただの観光地ではない。

山の信仰、修験道、徳川家康、幕末、そして戦争。

いくつもの時代が、折り重なるように残っている。

華やかな東照宮の奥に、もっと静かで、もっと激しい歴史の気配が眠っている。


そして思った。

なぜ土方歳三は、最後まで戦ったのか。

なぜ人々は、東照宮を守ろうとしたのか。

それは単なる「勝ち負け」ではなく、自分たちの時代や精神を守ろうとしていたのかもしれない。


日光を歩いていると、時々、「土地に記憶が残っている」と感じる瞬間がある。

観光だけでは見えないもの。

写真だけでは伝わらないもの。

そういうものが、この土地には静かに残っている気がした。


日本精神文化、日光、土地の記憶、スピリチュアルマーケティングについては、今後も発信していきます。

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