定住し、育てるという「冒険」。母さんは「港」から世界を見ている
わたしが厚い信頼を寄せていた上司が、会社をやめるという。
新たな挑戦を決心したのだ。
「船は港にいれば安全。だがそれは船がつくられた目的ではない」。だから「航海に出る」。それは彼が自身の息子に常日頃語っている言葉だそうで、このたび彼は、自ら範を示すことを決めた。普段からエネルギッシュな上司がその日はより一層、自信に満ちて生き生きとしていた。
野望を持ち、覚悟を決めて、信じた道を進む。その勇敢な背中は、息子の目にきっと強烈に焼きつき、いつか人生の指針となって彼を導くのだろう。
けれど、航海に必要なのは勇気と覚悟と能力のほかに、もう一つあるよな、とわたしは思った。港だ。
燃料の補給や修理、そして休息。彼の家には、港を守る妻がいる。持ち前のフットワークの軽さで一年の半分以上は海外で働いているだろう彼に、育児の現場業務は物理的にできない。父の背中を見て学ぶ息子の土台をつくるのは、毎日食事を与え、家を整え、心身のケアをする母親だ。
「港を維持管理」している立場にふと自分を重ね、わたしは思う。仕事や学びのチャンスに飛びつける彼の機動力が羨ましい。わたしは本来旅好きだが、気軽に外国に行く自由は今はない。仕事のチャンスが転がっていても宿泊を伴う出張はもちろん、飲み会でさえ、事前にベビーシッターを手配しなければ出られない。インスピレーションの赴くままに世界を飛び回っていたら出会えたかもしれない無数のチャンスの存在を、知ることさえなく、静かに年老いていくのだろう。
けれど、動けない人生にもまた面白さがあることに、わたしは最近気づきはじめている。
育児には定住こそ必要だが、その内側は実は変化に富んでいるのだ。
育児や家庭は一見すると、「動いていない」ように見える。当事者ですら、そう錯覚する。毎日同じ場所、同じ生活、同じ子ども。変化や刺激を求める人には不向きと思われるかもしれない。
でも実際は、感情も、関係性も、発達も、毎日ものすごい速度で変わっていく。驚くほどダイナミックな世界を生きている、というのがわたしの実感だ。
「宿題した?」と毎日うんざりするほど同じ台詞を繰り返していたかと思えば、ある日自ら静かに机に向かっている姿にそっと感激したり、かと思えばその翌週には「学校に行きたくない」と布団の中で泣いているのを見て戸惑ったりする。彼の世界で何が起こっているのか、すべてを理解することはできないけれど、わたしは持てる想像力を総動員して、どう振る舞うべきかを選び、耐え、時に強く導いたり、明るくおどけて緊張を和らげてみたりする。そうやって試行錯誤し、失敗しながら、この「異文化」にとことん付き合う。
ドイツ人の友人とルームシェアをしていた時のことを思い出した。
ある朝、咳がひどく、自室から出てこなかったわたしに、彼女は「何か買ってきてほしいものはある?」と尋ねてくれた。マスクが欲しいと頼むと、彼女はなにやら不思議そうな顔で出かけて行った。帰宅した彼女が手渡してくれたのは、美容液たっぷりのフェイスパックだった。「マスクってこれだよね?風邪の時に、これが欲しいの?」。咳は治らないけど美肌になれそうだ。わたしは新鮮な驚きとともに少し笑ってしまった。コロナ禍を経験する前の欧州諸国には、「風邪をひいたらマスクをする」という習慣がなく、商品自体もほとんど流通していなかったのだ。
海外生活は思いがけない出来事の連続である。相手と自分の前提が違うために、思わぬところに齟齬が起きて頭を抱えたかと思えば、常識として疑わなかった狭い思い込みを爽快にぶち破られて、感動したり爆笑することもある。それは育児がわたしにもたらすドラマティックさと、どこか似ている。
「世界を飛び回る」人と、「定住して育てる」人は、対極のように語られることが多いが、わたしの中では、そう遠くない場所にいる。
グローバルに生きる人に必要なのは、他者への想像力と柔軟な発想、それを実践する行動力、失敗を引き受ける覚悟、そして何より、「変化や不確実性を面白がれる」感性だと思う。それは子どもを育てるわたしが必要としている資質と、重なる。
物理的に動けないことが、奪うものは確かにある。
偶然の出会いも、思いがけない仕事の縁も、場所を変えることでひらける視野も、わたしにはほとんど訪れない。知らない土地で自分を試す自由や、行き詰まったときに環境ごと変えてしまう身軽さも、今のわたしにはない。
けれど一方で、動かないことでしか得られないものも、ある。
同じ場所にとどまり、同じ子どもの変化を毎日見続ける。昨日できなかったことが今日できるようになる瞬間に幾度となく立ち合い、紆余曲折しながらひとつの「人格」が形成されていく神秘に触れる。その長い過程の一端を、確かに自分が担っていると、実感する。
動き続ける人生が、世界の広さを教えてくれるのだとしたら、動かない人生は、世界の深さを教えてくれるのかもしれない。
今は息子たちの母として「定住し、育てる」わたしだ。
けれどもしかすると、彼らの手が離れたら、わたしも大航海とまではいかなくとも、小さな船で沖に出てみることがあるかもしれない。
そうなったとしたら、きっとその時も、わたしは今と変わらず、日々未知との遭遇に胸を躍らせ、移りゆく世界を面白がっているような気がする。
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