第159話 木陰のベンチで世界と繋がる
教員として働く中でうつ病を経験し、休職・入院・リワークを経て回復の途中にいます。
このnoteでは、うまくいかない日も含めた闘病の記録と、自己肯定感について綴っています。
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いつも私の記事を読んで、
温かいコメントをくださる「ゆー」さんから、
こんな言葉をいただきました。
「今の僕にとっての朝活ですが、
木陰のある公園のベンチに座り、
日差しを浴びながら読書をしています。
鳥のさえずり、風で揺れる木々の音、
紙の本のページをめくる時の音。
ゆったりと流れるこの時間は自分が整う時間で、
とても豊かさを感じています。」
ゆーさん、ありがとうございます。
このコメントを読んだとき、
その公園のベンチが目の前に浮かびました。
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ゆーさんの言葉の中にあったのは、
いくつかの「音」でした。
鳥のさえずり。
風で揺れる木々の音。
紙のページをめくる音。
どれも、主張しない音です。
誰かに聞いてと言わない音。
注意を引こうとしない、温かい音。
ただ、そこにある音。
その音を聞いていたゆーさんはきっと、
五感でいろんなことを
感じ取っていたのだと思います。
そして、それらをまとめて、
「自分が整う時間」と書いていました。
この「整う」という言葉が、
とても素敵だなと感じました。
「整う」とは、
何かが増えることではなく、
乱れていたものが元の場所に戻ること。
最近ではサウナ用語としても、
よく聞くようになりました。
忙しさや焦りで
バラバラになっていた自分が、
一つにまとまっていく感覚。
木陰のベンチが、
その整う場所になっていたんだなと思います。
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また、一般的に言う「朝活」は、
何か生産的なことをするイメージがあります。
勉強する。
ランニングする。
仕事をする。
でもゆーさんの朝活は、
ベンチに座って日差しを浴び、
音を聞きながら本を読む。
生産性の話はどこにもありません。
自分を整えることを、
一日の最初に置くという時間の使い方は、
とても豊かな生き方だと思いました。
整った状態で一日を始めることは、
何かを急いで詰め込んだときより、
ずっと豊かな一日を作ってくれる。
そして、
コメントの中で特に注目したい
言葉がありました。
それは、
「紙の本のページをめくる時の音」です。
電子書籍ではなく、紙の本。
紙の本には、ページを開くときの音があります。
ページをめくるたびに、
指先に感触が伝わり、
本の重さがあり、
本屋さんのあの独特な匂いがふわっと香る。
ゆーさんがその音に気づいたということは、
読書そのものだけでなく、
読書をしている自分の周りにあるもの全部を、
同時に感じていたということなんだろうと
思いました。
本の内容と、鳥の声と、風の音が、
一度に存在していた。
そして、本というものは、
こんなに小さなものなのに、
読むだけで世界中を旅することもできるし、
いろいろな人の考え方を知ることもできる。
整いながら、世界とつながる。
それが「豊かさ」だったのだと思います。
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正直に言うと、
以前の私には、
ゆーさんのような豊かな朝活は
できなかったと思います。
ベンチに座ったとしても、
仕事のことを考えていたと思います。
鳥の声が聞こえても、
気づかなかったと思いますし、
「何も生産していない時間」に、
罪悪感を感じていたはず。
ゆーさんが「豊かさを感じる」と書いてくれた、
その感覚を持てるようになるまでに、
私は一度壊れる必要があったのかもしれません。
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ピーマンを切る音。
木陰のベンチで聞く鳥の声。
どちらも、
特別な場所でも、特別な体験でもありません。
台所や、近所の公園。
でもその場所に、
確かな豊かさがある。
豊かさは、遠くにあるのではなく、
日常の中に埋まっていて、
気づいた人だけが、受け取れるものでした。
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ゆーさん、
教えてくれてありがとうございます。
木陰のベンチで、
鳥の声と風の音と、
本のページをめくる音に囲まれた朝。
その場面を想像するだけで、
私も少し整う気がしました。
自分が整う時間を、
一日の最初に置くこと。
これは、どんな忙しい人にも、
必要なことかもしれません。
あなたには、「整う時間」がありますか?
特別な場所でなくてもいいし、
毎日じゃなくてもいいです。
自分が整う瞬間を、
一つだけ思い浮かべてみてください。
整った状態で生きることが、
一番の豊かさかもしれません。

