第127話 一人でいる時間がこんなに豊かだと知らなかった
教員として働く中でうつ病を経験し、休職・入院・リワークを経て回復の途中にいます。
このnoteでは、うまくいかない日も含めた闘病の記録と、自己肯定感について綴っています。
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考えていたことを整理してみたよ♪
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療養に入ってから、
一人でいる時間が増えました。
仕事もなく、人と会う予定もなく、
ただ家の中で時間が過ぎていく。
最初はその静けさが、怖かったです。
「孤独」という言葉が、
まるで失敗の証明みたいに感じていました。
でも今は違います。
あの時間があったから、
私はずっと見えていなかったものに、
気づけました。
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孤独を埋めようとしていた頃
それまでの私は、
一人でいることが苦手でした。
隙間時間があるとスマホを開く。
誰かに連絡を取る。
何かで頭を埋めようとする。
「一人でいる」ことは、
何かが足りていない状態だと思っていたからです。
教員として働いていた頃は特にそうでした。
常に誰かがいる環境。
常に役割がある状態。
一人になると、
自分が何者なのかわからなくなる気がして、
それが怖かったのかもしれません。
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孤独の中で静けさが生まれた
療養が始まって数週間が経った頃、
私はスマホを置くようになりました。
理由は単純で、
情報を見るのがつらくなったからです。
誰かの近況、
仕事の話、
世の中のニュース。
全部が遠い世界の出来事に感じて、
むしろ何も見ない方が楽でした。
静かな部屋の中で、窓の外を眺める。
お茶が冷めていくのをただ見ている。
何も考えずに、ぼんやりとする。
最初は「時間を無駄にしている」と
思っていました。
でも続けているうちに、
気づいたことがありました。
頭の中が、静かになっていく。
いつも誰かの期待や、仕事のこと、
やらなければいけないことで埋まっていた頭が、
少しずつ空いていきました。

見えてくるものがあるんだね
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孤独は
「自分と向き合う時間」だった
一人でいると、いろんなことが見えてきました。
自分が本当に好きなものが、
少しわかるようになりました。
人に会うと疲れるけれど、
文章を書くと不思議と落ち着く。
音楽よりも、静かな環境の方が心地よい。
一人でゆっくり食べるご飯が、
思ったより好きだった。
これまで、
「みんなと同じように」生きていたとき、
自分の感覚をちゃんと聞いたことが
なかったのかもしれません。
人と一緒にいるとき、
私たちは無意識に「相手の感覚」に合わせます。
楽しいと言われたら楽しいふりをする。
つらいと言いにくい場面では平気なふりをする。
孤独の中では、そのフィルターがなくなります。
ただ、「今の自分」だけがいる。
その純粋な状態で初めて、
自分の輪郭がはっきり見えてきた気がしました。
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孤独が教えてくれた3つのこと
一人でいる時間を積み重ねて、
気づいたことがあります。
「沈黙は、空白ではなかった」
何も起きていないように見える時間にも、
内側では何かが整理されていました。
考えが自然とまとまったり、
ずっとモヤモヤしていたことが急にクリアになったり。
沈黙は、空白ではなく、
静かに動いている時間でした。
「一人でいられる人は、人と深くつながれる」
一人でいることが苦手だった頃は、
誰かといるときも、
孤独への不安がどこかにありました。
でも一人でいることに慣れると、
誰かといる時間が、前よりずっと濃くなりました。
「寂しいから一緒にいる」ではなく、
「一緒にいたいから一緒にいる」に変わりました。
「自分の声が、一番正直だった」
他の人の意見や、
社会の「正解」に合わせて生きていると、
自分の本音はどんどん奥に引っ込んでいきます。
孤独の中で、
その本音が少しずつ戻ってきました。
「本当はこれが好きだった」
「本当はこれが嫌だった」
誰にも遠慮しなくていい時間が、
自分の声を取り戻してくれました。
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おわりに
孤独は、
寂しいだけの時間ではありませんでした。
自分と仲直りするための時間でした。
療養中、
一人でいることを余儀なくされたあの時間が、
今の私の土台になっています。
人と一緒にいることの豊かさも、
一人でいることの豊かさも、
両方知れたことは、
思いがけない贈りものでした。
もし今、一人でいる時間が多くて、
それを寂しいと感じているなら。
少しだけ、見方を変えてみてください。
その静けさの中に、
ずっと聞けていなかった自分の声が、
小さく待っているかもしれません。
一人でいることは、弱さではありません。
自分の内側に、
丁寧に向き合える人だという証拠です。
あなたの「一人の時間」が、
いつかあなたの一番の財産になりますように。

【🎊コングラボードいただきました🎊】


