第136話 幸せは「なるもの」ではなく「気づくもの」だった
教員として働く中でうつ病を経験し、休職・入院・リワークを経て回復の途中にいます。
このnoteでは、うまくいかない日も含めた闘病の記録と、自己肯定感について綴っています。
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幸せになりたいと、ずっと思っていました。
もっと良い仕事に就けたら。
もっと認められたら。
もっと充実した毎日になったら。
幸せは、
何かを手に入れた先にあるものだと、
信じていました。
でも、いくら手に入れても、
幸せだと感じる瞬間は、
すぐに過ぎていきました。
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幸せを追いかけていた頃
教員として働いていた頃、
私は常に「次の目標」を持っていました。
この仕事をうまくやれるようになったら。
もっと生徒に信頼されるようになったら。
来年度はもっと良いクラスにできたら。
目標を達成すると、
少しだけ満足しました。
でもその満足は、
長くは続きませんでした。
すぐに次の「足りないもの」が見えてきて、
また追いかけ始めました。
幸せになろうとするほど、
幸せから遠ざかっているような
感覚がありました。
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療養中に起きた変化
うつになって療養に入ってから、
追いかけるものが何もなくなりました。
仕事もない。
目標もない。
成果もない。
最初は、
その空っぽさが怖かったです。
でも、
しばらくして不思議なことが起きました。
何もない時間の中で、
小さなことに気づくようになりました。
朝、窓から差し込む光が温かかった。
妻が淹れてくれたお茶が、
思ったより美味しかった。
外を歩いていたら、
風が気持ちよかった。
以前なら気にも留めなかったことが、
急に輝いて見えました。
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幸せはずっとそこにあった
あるとき、気づきました。
幸せは、遠くにあるものではない。
ずっとそこにあったのに、
追いかけることに必死で、
気づけていなかっただけでした。
幸せは「なるもの」ではなく、
「気づくもの」でした。
温かい飲み物を飲める。
今日も呼吸ができる。
眠れる場所がある。
そばにいてくれる人がいる。
今、自分が生きている。
これらは、
当たり前ではありませんでした。
うつになって、
これらができなくなって、
初めてその価値がわかりました。
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「足す幸せ」と「気づく幸せ」
幸せには2種類あると思うようになりました。
1つは「足す幸せ」です。
何かを手に入れることで感じる幸せ。
昇進、買い物、旅行、達成感。
これは確かに幸せです。
でも長続きしません。
手に入れた瞬間から、
「あれもほしい」「これもほしい」と、
次の「足りないもの」が見えてくるからです。
もう1つは「気づく幸せ」です。
今あるものに気づくことで感じる幸せ。
光、温度、味。
誰かの存在、笑えること、元気なこと。
生きていること。
これらは、
特別なことをしなくても感じられます。
同じ光でも、毎朝違って見えるし、
同じお茶でも、今日の味があります。
誰かが笑ってくれると、
それだけで当たり前の有り難さを感じます。
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幸せに気づく練習
「気づく幸せ」は、練習することができます。
私がやっていたのは、
一日の終わりに
「今日、幸せだったこと」を
1つ思い出すことでした。
大きなことでなくていいです。
「今日は天気が良かった」
「美味しいものを食べられた」
「誰かと少し話せた」
それだけでいいです。
続けていくうちに、
脳が「良いこと探し」を
自然にするようになっていきました。
同じ一日でも、
何に気づくかで、
感じる幸せの量が変わります。
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おわりに
「幸せ」について考えた時に、
ふと、この曲を思い出しました。
私の好きな曲の1つです。
もしかして幸せは
訪れるものでも待っているものでもなくて
今ここにあることに
気がつくものなんじゃないかな
幸せになろうとして、
ずっと幸せを追いかけていました。
でも幸せは、
追いかけるものではない。
今ここにあるものに、
気づくことでした。
うつになって、
多くのものを失いました。
でも失ったことで、
ずっとそこにあった幸せに、
ようやく気づけました。
今日、あなたの幸せに気づきましたか。?
温かいものを飲んだこと。
誰かの声を聞いたこと。
今日も生きていたこと。
それだけで、幸せの理由になります。
幸せになる必要はありません。
今ここにある幸せに、
気づくだけでいいんです。
幸せはいつもすぐそこにあって、
気づいてもらうのを、静かに待っています。
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幸せを追いかけていたあの頃の自分に、
今なら伝えられます。
「もう十分、幸せを持っていたよ」と。

