大気圏突破の瞬間──フィッシュマンズ、デビューから移籍まで初期の全変遷
渋谷のクラブで偶然小嶋謙介氏と出会ったのは10年程前のことだ。
毎月第三水曜に行われる「Hello, Wednesday!」at BAR45で、たまたま彼のプレイしている最中にラテン寄りの選曲で意気投合して盛り上がった。いろいろ話していると私の同僚たちや昔話に花が咲いたことをよく覚えている。既にグラフィックデザイナーとして活躍していた彼には映画『LA LA LAND』でお世話になっていたことをも後に知った。
ついでに言うと妹の旦那の友人でもあったとは、縁があるな。
その小嶋氏がかつてギタリストとして在籍していたバンドが、フィッシュマンズだ。

1987年、明治学院大学のサークルで結成された5人組が、1991年にメジャーデビューしてから1994年末にポリドールへ移籍するまで、この4年間を追うと、バンドがどれだけ劇的に変貌したかがわかる。単なる「東京のレゲエバンド」が、誰も追いつけない音響宇宙の入口まで辿り着く物語だ。
それを最もくっきりと映し出しているのが、1993年7月21日発売の3rdアルバム『Neo Yankees' Holiday』だと、ボクは思っている。

出発点──1991年、「コバンザメ」の傘の下で
フィッシュマンズがデビューした「ヴァージン・ジャパン」は、英ヴァージン・レコードとポニーキャニオンの合弁で1987年に誕生したレーベルだ。ところが1992年、EMIがヴァージンを買収したことで日本側の子会社はポニーキャニオンが買い取り、「メディア・レモラス」と改称された。
社名の由来が「コバンザメ(レモラ)」──メディアに密着して共に進む、という意味だ。フジテレビから出向してきたあの横澤社長のもと、アニメソングや歌謡曲系が主力のレーベルだ。なぜかフィッシュマンズはそのレーベルから華々しくデビューしたが、そのコバンザメがいつ方向を変えるかは、誰にもわからなかった。
1st『Chappie, Don't Cry』(1991年)は、MUTE BEATのこだま和文をプロデューサーに迎え、オーストラリア・メルボルンで録音。ルーツ・レゲエの重厚なグルーヴに佐藤伸治の透けるようなメロディが乗る、瑞々しい傑作だ。当時はまだ、良くも悪くも「こだま和文の音」だった。

「ひこうき」──デビューシングル。レゲエのリズムに乗る佐藤のボーカルは、当時「忌野清志郎的」と評されたが、実はどちらかと言えばユーミン的な繊細さを持つ。青空を見上げるような感触の1曲で、フィッシュマンズのメロディの原点がここにある。
「チャンス」──1stアルバムの目玉。こだま和文に叩き込まれたリズムの精度がここで既に光っている。初期の爽やかな輝きを象徴する1曲だ。
そして1992年、2nd『King Master George』をリリース。
このアルバムには、初シングルの「100ミリちょっとの」が収録されている。元パール兄弟の窪田晴男がプロデュースを担い、J-POP的なポップさを全面に押し出した。
これは本当に名曲だ。ただこのアルバム全体としては、ファンク、歌謡曲、ロックとジャンルを横断しすぎてやや散漫になり、セールスは伸び悩んだ。
二つの試行錯誤の果てに
「ルーツ・レゲエへの傾倒」と「J-POPへの接近」──この二つの方向性が袋小路に入りかけていた1993年初頭、バンドは初めて自分たちで舵を握る決断をする。
そしてここで、天才エンジニアZAKが本格的に関わり始める。
ZAKはもともとフィッシュマンズのライブPAだった。「フィッシュマンズの所属事務所の別アーティストを担当していたマネージャーと知り合いだった縁」──そんな偶然から始まった関係が、日本のポップ史を変えることになる。
『Neo Yankees' Holiday』(1993年7月)

初のセルフ・プロデュースアルバムだ。
こだま和文にも窪田晴男にも頼らず、自分たちで全てを決める。
ZAKはジャンルの型にはめることを嫌い、佐藤の頭の中で鳴っていた「誰も聴いたことがない浮遊感のある音」を圧倒的な音響マジックで具現化した。「ジャマイカ産ダブの模倣」ではなく、「東京の、世田谷の、夜の部屋から生まれるプライベートなダブ・ポップ」の骨格がここで完成した。
◎ 5曲の深掘り──この1枚を形成した音たち
「RUNNING MAN」──アルバム1曲目。地を這う柏原譲のベースラインと茂木欣一のタイトなドラムが最初から全開で、一瞬で別の空間に連れて行く。後年の「世田谷三部作」で炸裂するグルーヴの地平をすでに予感させる。
「いかれたBaby」──この1曲でアルバムは名盤確定だ。追い詰められた状況で佐藤が書き上げたというこの曲、甘美なメロディの裏でベースと打点はあり得ないほど冷徹に重く鳴っている。「ポップさとダブ音響の奇跡的な融合」は近年もラヴァーズ・ロック文脈、シティ・ポップ文脈で無数のアーティストにカバーされ続ける。「甘さの底にある重力」のせいだ。
「Smilin' Days, Summer Holiday」──夏の陽だまりのような牧歌的な心地よさと白昼夢のような幻惑感が同居する。ZAKの手によるスネアの残響、ボーカルを包む不穏で美しいディレイが「楽しい夏休み」ではない、終わらない季節のサイケデリアを醸し出す。
「Just Thing」──ボクが3rdでもっとも好きな曲のひとつだ。「佐藤伸治の人生観ここにあり」と言われる名曲で、日常のあいまいな輪郭を曖昧なままに愛することの難しさと美しさを歌う。後にライブ・リミックスアルバム『8月の現状』で大幅に再解釈されるが、オリジナルのひんやりとした質感が忘れられない。
「Walkin'」──シングルカットされたアルバム終盤の名曲。疾走するリズムと開放的なメロディが、ここまで積み上げた音響実験をいったんすべて解きほぐすような爽やかさを持つ。前期フィッシュマンズの入口として最もとっつきやすい1曲かもしれない。
本作はその小嶋謙介のラストアルバムとなった。
この時期すでに、より深い音響の海へ向かおうとする佐藤・茂木・柏原の3人と、他メンバーとの音楽的距離感が広がり始めていた。「サークルの延長線上のユートピア」の終わりが、スタジオの空気として漂い始めていた。
◎ 『ORANGE』(1994年10月)、ロンドンへ
メディア・レモラス在籍最後のアルバムは、ロンドンで録音された。ZAKが共同プロデューサーとして正式にクレジットされた(「FISHMANS & ZAK」名義)初の作品でもある。

「Neo Yankees' Holidayと並ぶ前期フィッシュマンズの大傑作」と現在では評されるこの4thは、A面の「バンド史上至高のグルーヴとポップなメロディ」とB面の「後期フィッシュマンズを示唆するクワイエットな深み」が対比される、夕焼けみたいな1枚だ。
「気分」──アルバム1曲目。重々しいダブ・サウンドのイントロから一転、サビで軽やかに解放されるような1曲。不安だらけの日常に一筋の光を見出す感触は、後期の暗黒の深さへ向かう前の「最後の光」にも聴こえる。
「MELODY」──アルバム中盤の白眉。それまでの実験的な試みを「純粋な歌」という形で昇華した到達点のひとつだ。哀愁を帯びたメロディに、これほど静かなグルーヴが乗る音楽を、1994年の日本で他に誰が作れただろうか。
「夜の想い」──アルバム最終曲。静かに燃え尽きるような美しさを持つ。まるでメディア・レモラス時代への静かな告別のようで──次の場所へ向かう気配が、音に滲んでいる気がする。
「コバンザメ」との別離
メディア・レモラスはその後1996年秋に全作品廃盤、1997年にポニーキャニオンへの事業譲渡で解散する。タイアップやアニメソング中心のレーベルが、密室でダブ音響を磨き続けるバンドを長期支えるには、そもそも向いていなかったのだと思う。
フィッシュマンズがポリドールへ移籍する際、重大な条件を出したという。
「プライベートスタジオの設立」だ。
「ワイキキビーチ/ハワイスタジオ」と名付けられたその場所が世田谷に完成したのは1995年8月。外部スタジオのスケジュールに縛られず、時間を忘れて音を磨ける環境──それがなければ後の黄金期はなかっただろう。たぶん、、、
キーボードのハカセはポリドール移籍後の1995年に脱退する。「どんどん抜けていくわけですよ。でも作品は研ぎ澄まされていく」──後年の茂木欣一の言葉は、この時期をそのまま言い当てている。
結びに──失敗が天才を解き放つ
「自分でもそんなに売れないだろうことはわかってる。でも、聴いた誰かの人生を変えてしまうぐらいの音楽をやっているつもり」と佐藤伸治は言い残した。
メディア・レモラスのプレッシャー、セールスの不調、メンバーの離脱、そしてロンドン録音──それらが重なって、彼らは「売れるための音楽」からどんどん遠ざかっていった。その分だけ「宇宙まで飛んでいける音楽」への確信が深まっていったのだろう、たぶん。
1993年夏の『Neo Yankees' Holiday』で掴んだ「スタジオにこもり時間を忘れて音を磨く快楽」が、移籍後の『空中キャンプ』、35分1曲の『LONG SEASON』へと繋がる。
『Neo Yankees' Holiday』は大気圏突破の瞬間だ。機体が激しくきしみ、炎を噴きながら──それでも宇宙へ向かうロケットの、その瞬間。
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