本当の敵を見えなくさせる?──デモがレイヴ化する令和リベラルの死角とは
序──光の意味を、誰が決めるのか
VOGUE JAPANが4月4日に掲載した記事は、静かな熱を帯びていた。
「平和憲法を守るための緊急アクション」──2月27日の首相官邸前で3,600人だった参加者は、3月25日には現地だけで24,000人、オンライン視聴を合わせると94,000人近くが同じ夜に声を上げた。
ファッション誌の紙面に、ペンライトの光と「戦争反対」のコールが収まっていく。
私はあのデモを支持する。
「集う」権利があること、「声を上げる」自由があることを、記事の筆者・小林ナナミは丁寧に掘り起こしていた。デモに慣れた人も、戸惑いながら初めて参加した人も、推しのペンライトを握りしめた人も──そのグラデーションのなかに「戦争反対」の切実な思いがある、と。私もそう思う。
だからこそ、気になることがある。
あの光景をめぐって、別の言語が静かに稼働し始めていた。
若者が街に出た。エネルギーがある。
ならばそれは「新しいリベラル」の台頭を示す──。そう整理したがる言説が、SNSにも論壇にも顔を出した。旧来の共産・社民は時代遅れで、国民民主党やチームみらいこそが今の若者の受け皿だ、という図式である。
本稿が問いたいのは、そのデモではない。
その「読み解き方」についてである。
光は確かに街を照らしていた。
だが、その光を「新しいリベラルの夜明け」という額縁に収めた瞬間、見えなくなるものがある。
2026年3月29日の夜、新宿で起きたこと
序章で触れた国会前のデモから四日後、新宿駅南口に別の光景が出現した。
重低音が街を揺らし、ペンライトが乱舞する。プラカードを手にした群衆が、クラブイベントのような熱気の中で「NO WAR」を叫んでいた。ハッシュタグは #protestrave、そして #DropBassNotBombs。
主催者自身が「プロテスト+レイヴ」と名付けていた。
改札から出てきた若者が立ち止まり、「うわあ何あれ、楽しそう」と言って走り寄っていく。その目撃談がSNSに投稿されると、14万を超えるインプレッションを集めた。
一方、まったく同じ光景を見た別のアカウントはこう書いた。
「ANTIFAの日本支部、親中派の反日反戦集会」
同じ場所、同じ時間、同じ群衆。認識はこれほど鮮やかに割れた。
空虚な「若者のリベラルは新しくなった」という言説
先述したが、『旧来のリベラル──共産・社民──は時代遅れで、国民民主党やチームみらいこそ新しい若者の受け皿だ。安全保障に現実主義的で、データを重視し、世代間格差の是正を訴える。これが「新しいリベラル」の姿だ』という極めて一面的な整理に、私は強い違和感を覚える。
ある論者はこう整理する。
今の若者は「具体性・現実性・合理性」でものを判断する。だから国民民主やチームみらいを支持するのは理にかなっている、と。
整然としていて、一見説得力がある。
しかし「楽しそう」と走り寄った若者と、「反日集会」と見た若者は、おそらく同じ世代に属している。
この二人を「新しいリベラル」と「保守」に振り分けることはできない。
同じ一人の人間の中に、両方の感覚が同居しているかもしれない。
「新旧」という整理は、こうした混沌を見えなくする。そればかりか、分断を煽りながらそれを「世代論」という中立的な外衣で包んでいるという点で、始末が悪い。
あの夜の光景
「#DropBassNotBombs」という命名は、1960年代の「Make Love Not War」を想起させる。あの時代も音楽と政治は結びついていた。
ウッドストックはベトナム反戦の象徴とされた。
ただ、決定的に違うことがある。
60年代の人々は、音楽が体制に対する「異物」であることを知っていた。
売れないことが誠実さの証明だった。ボブ・ディランが「風に吹かれて」を書いたとき、その言葉は多数派に届けようとしたものではなかった。
プロテストソングには、聴く者を不快にさせる棘(とげ)があった。
新宿の重低音は、人々を気持ちよくさせた。
「Happyな空間」だった。
参加者のSNS投稿は、どれも高揚感に満ちている。
政治的意思表示が、快楽を提供するエンターテインメントとして成立する。敷居が下がり、街頭に出る人が増えるという効果は確かにある。それを否定したいわけではない。
ただ、心地よさの中で発せられた「NO WAR」が、どこまで権力に届くのか、ということだ。抵抗の快楽化は、同時に抵抗の無毒化でもあり得る。
2015年のSEALDs
彼らも音楽を使った。演説はラップ調だった。
しかし根底には言葉への執着があった。
なぜ安保法制に反対するのか、たしかに短絡的ではあったが、論理を自分の言葉で語ることへの強い意志があった。
映像からも、国会前に立つことの緊張感が伝わってきた。
評判は決して良くなかった。
厳しい批判が、右はもちろんリベラルからも相次いだ。
それでもSEALDsには、抗う姿勢、同意しない人に向かって語ろうとする姿勢があった。時に不格好で、論理に穴もあった。しかしその不完全さが、政治的言語としての誠実さを担保していた面がある。
「#protestrave」の参加者が同じ緊張感を持っているかどうか、断言はできない。「楽しそう」という理由で集まった人と、「NO WAR」を本気で叫びたい人が同じ熱気の中にいるとき、そのメッセージが誰に向かっているのかは、問い続けることに意味がある。
「新しいリベラル」の話
国民民主党やチームみらいへの支持を説明するキーワードとして「合理主義」「データ重視」「世代間格差の是正」がよく挙げられる。
一見、中立的で説得力がある。
しかしこの「合理主義」は、かなり特定の立場に立った価値観である。
「合理的に説明できないもの」を政治から排除していく論理は、弱者の声を切り捨てる方向に働きやすい。
沖縄の基地反対運動を例に取ろう。
軍事的合理性の観点では「非現実的」に映る。データで武装した「新しいリベラル」の言語は、その運動に何を差し出せるのか。被爆者の感情的な訴え、年老いた活動家の言葉──「時代遅れ」と分類された瞬間に、その声は政治の外に追いやられる。
リベラリズムが本来果たすべき機能は、多数派が「合理的でない」と切り捨てたものの中に、守るべき価値を見出すことだったはずだ。
国民民主党やチームみらいが体現しているのは、現役世代という多数派の利益をわかりやすい言葉で代弁することである。
それは巧みなマーケティングであり、ポピュリズムの古典的な構造に近い。「新しいリベラル」より「多数派に優しいポピュリズム」という呼び方の方が正確だと思う。
バーニー・サンダース
アメリカでバーニー・サンダースが若者の熱狂的な支持を集めたとき、その現象は日本でも注目された。
ギャラップ調査によれば、18歳から34歳のアメリカ人の過半数が社会主義に好意的な見方を示し、資本主義への支持を上回った時期がある。サンダース自身は「民主社会主義者」と自称し、北欧型の福祉国家をモデルとして掲げていた。
この若者の支持を「共産主義への傾倒」と読んだ論者は多かったが、実態はそう単純ではない。
サンダースを支持した若者たちが求めていたのは、国家による生産手段の掌握ではなく、医療・教育・住宅という生存の基盤が市場原理に丸投げされない社会だった。
学生ローンに押しつぶされ、医療費で自己破産し、まともな賃金の仕事が見つからない。その切実な不満が、「社会主義」というラベルに流れ込んだだけである。
日本の若者の不満と、構造的によく似ている。
社会保険料の重さ、年金への不信、奨学金という名の借金。訴えの内容だけを取り出せば、サンダース支持層と国民民主支持層は驚くほど近い場所に立っている。
しかし決定的に違うことがある。
サンダースは一貫して「権力への対抗」を軸に据えていた。
ウォール街、製薬会社、軍産複合体──敵を明示し、そこに向かって言葉をぶつけた。支持者もそれを理解して集まった。
政治的不快感を引き受ける覚悟が、運動の底にあった。
北欧型福祉国家の成立過程も同様だ。
スウェーデンやデンマークが高福祉社会を作り上げたのは、労働運動と資本の長い対立と交渉の末である。「合理的な政策」が降ってきたのではなく、激しい階級闘争の結果として制度が生まれた。その場の愉悦ではなく、労使の摩擦の蓄積が根底にある。
日本の「新しいリベラル」とやらに、その摩擦への耐性があるかどうか。
国民民主党の「手取りを増やす」というメッセージは、誰かと対立することを巧みに回避している。
チームみらいの「テクノロジーで解決」という発想には、そもそも敵がいない。
心地よく、角が立たず、誰も傷つけない。
それはまさに、新宿の重低音と同じ構造である。
リベラルな社会政策が本当に根付くためには、それを享受しない側からの反発を引き受けなければならない。再分配には必ず負担者がいる。少数者の権利保護は、多数者の慣習を揺さぶる。その摩擦を「合理主義」の言葉で滑らかにならしてしまうとき、政策は実現しやすくなるかもしれないが、政治としての誠実さを失う。
新宿の夜は今の日本政治の縮図
同じ光景が「楽しい抵抗」にも「反日集会」にも見える。その認識の亀裂を「新旧」「世代」という軸で整理しようとするとき、整理の言語そのものが分断を固定化する道具になる。
きれいな図式は、混沌を理解する助けになる一方で、混沌の中にある本質を殺すことがある。
VOGUE JAPANの記事はこう結んでいた。
「光が、街を照らしている」と。
その光が何を照らしているのか。
誰がその意味を決めるのか。
重低音が止んだ後、新宿の街はいつも通りに戻った。
その問いだけが、まだ宙に残っている。
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