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D・フェイゲン“New Frontier”と映画『13デイズ』が心底嗤う、核シェルター幻想と参政党スローガン

Donald Fagenソロデビュー作品、
1982年の名盤「Nightfly」。
アルバム自体が、1950年代後半から1960年代前半のアメリカの文化や価値観をテーマにしているが、なかでも

「New Frontier」

はケネディ大統領の打ち出したアメリカの新たな発展を象徴する政策と当時の時代の空気を醒めた視点で奏でる名曲だった。

この曲の歌詞やMVを見るとよく分かるが、ここには核戦争を前提とした時代の、なぜか異様な楽天性が見事に織り込まれている。

🎵We’ve got provisions and lots of beer 
The key to survival is clear
――核シェルターの中にビールと食料を備え、あとは未来の計画を語るだけだ、


という軽やかな音と口調は、まるで文明の終焉が「新しい冒険」の入り口であるかのように響く。
しかしその無邪気さは、希望という名のカモフラージュにすぎない。
恋も、未来設計も、すべてが分厚いコンクリートに囲まれた核シェルターの中でしか成立しないという倒錯世界。
Fagenはこの冷戦的想像力に、最も洗練されたポップサウンドという仮面を被せて皮肉を効かせている。

さて、一方で2000年公開の映画「13 デイズ」

(ケビン・コスナー主演、1962年キューバ危機における米国政府の混乱と薄氷を踏むような意思決定のプロセスを描いた映画) はその仮面を剥ぎ取り、現実の政治と軍事の暴走を描き出す。

https://youtu.be/PqM102xIbIs?si=9HmaAqSMsg0Zkl7l


米ソが核戦争寸前まで迫った1962年、ホワイトハウスでは「最も理性的な人間」が「最悪の決断を避ける」ために奔走していた。印象的なシーンのひとつに、ケネディ大統領が軍部の強硬派に向けて言い放つ台詞がある――

「このままでは我々は、知らないうちに戦争に突入してしまう」

そこにあるのは、理性への過信と制度の構造的欠陥がもたらす恐怖だ。
核抑止論(Mutual Assured Destruction)は、合理性と抑制の上に成り立つ精密なバランスだが、そのどちらかが一瞬でも欠ければ、それは“抑止”ではなく“招致”に変わり"暴発"する。


余談だが、ひろゆきや参政党の一部が掲げる核武装論は、「核を持てば攻められない」「核は安価な防衛策だ」という主張に集約される。

しかし、それらは幻想である。


1962年ホワイトハウス地下で米ソが核戦争寸前まで突き進む中、ケネディ政権は軍部の空爆案を退け、外交的解決に踏み切る。映画『13デイズ』の終盤、ケネディ兄弟と補佐官が静かに佇むシーンは、核抑止が“理性の連鎖”に依存した危うい均衡でしかないことを象徴している。

この奇跡的な回避劇を「制度化」しようとするのが核抑止論だが、現代の脅威は国境も責任も持たない非国家主体、あるいは国家の責任すら追わない利己的な「個や集団」だ。

アルカイダやISのような組織に「核の威嚇」は通じない。

独裁的権力者にとっての脅威は、クーデターと民意の暴発だけだ。

つまり、核兵器は“交渉(ディール)が通じる相手”にしか効かない。そしてその理性は、時に最も不確かなものでもある。

そんな中、参政党の一部候補者が「核武装は安上がりで安全を強化する策のひとつ」と発言し、SNS上で波紋を呼んだ。曰く「みかじめ料を払いつつ、自分たちも備える」──まるで国際政治を暴力団の縄張り交渉に見立てたような比喩だが、問題はその“安上がり”というロジックにある。

米国の核関連予算は今後30年で約1.2兆ドル。維持・近代化・廃棄・安全管理まで含めれば、コスパどころか“超高級な不安定装置”である。しかも、核を持ったからといって外交的に優位に立てるわけではなく、北朝鮮やパキスタン(もしかしたらイランもイスラエルも)の例に見られるように、むしろ孤立や経済制裁を招くケースも多い。

参政党は公式には「核廃絶を長期目標としつつ、核保有国に核を使わせない抑止力を持つ」としているが、その“抑止力”の中身は曖昧で、候補者の「安上がり」発言との乖離も目立つ。さらに、核シェルターの普及やSLBM保有の可能性まで言及するなど、現実的な安全保障というより“装備の夢語り”に近い印象すらある。

結局、核兵器は“使わない前提”の装置でありながら、“いつか間違えるかもしれない”装置でもある。その装置のために多額の国債を発行する?
掛け捨ての保険以下のシロモノに?
そしてその保険は、対話が成立しない相手には補償対象外。つまり現代の安全保障は、「理性が通じる世界」という設定を信じてゲームを続けているようなものだ。問題は、そのゲームにはルールを知らないプレイヤーがどんどん増えていること。

Fagenが「New Frontier」で見せた核シェルターの青春も、その前提は「人類が理性を保てる」という願望に過ぎない。

そして今、私たちが生きる令和の日本にも、別のかたちの“核シェルター”が出現している。

「日本人ファースト」「日本を守り抜く」などのスローガンに惹かれて、参政党のような勢力に希望を託す人々の心理は、
「New Frontier」の歌詞に出てくる

🎵I hear you're mad about Brubeck 
I like your eyes, I like him too
「君がデイヴ・ブルーベックのピアノに夢中なのはお見通しさ」

という軽妙な誘い文句と紙一重だ。

それはロマンチックだが、きわめて閉じた関係性――好きなものだけを集め、嫌なものは壁の外に置く。
そして気づかぬうちに、社会全体を<自己完結型の核シェルター>にしてしまう。今回の参院選で見られた排外的スローガンや陰謀論めいた言説、そして「日本人ファースト」のような響きの裏には、開かれた未来ではなく、密閉された安堵の幻想が広がっていた。

「13 デイズ」 の緊張を解いたのは、強硬論ではなく、想像力と冷静さだった。ケネディ兄弟が、軍の圧力に抗してギリギリの対話を選んだ背景には、「相手もまた人間である」という最低限の信頼があった。それは、抑止でも報復でもない、「想像による抑制」だったとも言える。
Fagenがあえて「New Frontier」というタイトルで皮肉ったのもまた、未来を切り拓くとは<安心な壁>の内側に閉じこもることではなく、その壁を出て他者と未来を再構築する行為なのだという逆説ではないか。

だからこそ、今回の参院選で「日本人ファースト」「自分たちの国を守る」といったスローガンに感情を揺さぶられた人々にこそ、問いかけたい。
その希望は、本当に未来への“フロンティア”だったのか? 
それとも、核シェルターの中で語られる、閉じられた理想だったのではないか?
 
もしもあなたが「備蓄とビールで未来は万全」と囁かれて心地よくなってしまったなら、それはFagenの皮肉にまんまとハマったも同然だ。

開かれた未来は、壁の外にしかない。
扉を叩いてくる他者の声に耳をふさぐのではなく、その声に応じる勇気こそが、私たちの“新しいフロンティア”になるはずだ。
核シェルター的言説に囲まれたこの選挙のあと、私たちはどちらに向かうべきか。

そんないまこそ、もう一度「New Frontier」に針を落として欲しい。


地下室で語られる甘い計画のように、閉ざされた空間の中でしか機能しない安全神話だったのではないか? ビールとカクテルとジャズと核戦争――そんな不気味な組み合わせをポップに歌い上げたFagenの声を、今こそ聴き返してほしい。

未来を拓く鍵は、鍵のかかったシェルターの中にはない。できれば、次の選挙までには答えを見つけておきたい。


とはいえ、とは言えだ


「日本人ファースト」

という言葉が突然イシューになったことは、今の時代の日本人の深層心理を映す、ある種の“内向きの怯え”を示しているのかもしれない。

まず、パスポート保有率
2024年時点で、日本の有効パスポート所持率はわずか16.8%にとどまり、先進国の中でも異様に低い水準となっている 。米国では約48%、オーストラリアでは53%と比べると、その差は歴然だ 。さらに、2019年に比べ発行数は15.2%も減少し、コロナ禍の影響を引きずったまま回復していない 。

このデータは、貧困やインフレ、円安と共に、若者や成人が「外に出ない」「世界と関わらない」傾向を強めていることを示している。

街にはかつてないほど外国人観光客が増え、インバウンド政策は鼓動を取り戻しているがその反面、「外人=なんとなく怖い」「在留外国人にはもっと厳しいルールを」という漠然とした不安や不満が噴出し、短期旅行者への違和感が在留問題へとすり替わってしまっている。


これは、日本の「ここ数年失われた時間」に対する鬱屈した感情を、明確な対象に向けられずにいた結果でもある。グローバル化や技術革新から取り残され、世界との差を肌で感じながらも、具体的に「誰が悪いか」はわからない

その不明瞭な苛立ちや焦燥感が、突如として「日本人ファースト」というスローガンに反応してしまう心理の背景にある。

知的かつシニカルに言えば、これは“真空の敵”を求める心理。社会の不全を詰め、抽象的な不安を「外部」へと転嫁することで一時的な安心を得ようとする。しかし、その安心は濃い保護色に包まれた幻想でしかない。「我々だけが取り残された」「外さえ隔てれば安心」という錯覚は、内向きの恐怖が生んだセルフパラノイアだ。

日本がもし、本当に再起を図るなら、必要なのは「ファースト」ではなく「フェア」な視点だ。過剰な警戒を続ける代わりに、まずは世界を知り、他者を理解し、自分たちの立ち位置を客観的に捉えること。その上で、パスポートを取り、飛び立ち、対話し、学び、共感する。そんな地味で勇気ある一歩こそが、空虚なスローガンに対する最も洗練されたアンチテーゼになるだろう。

結局、「日本人ファースト」は、誰にも邪魔されず叫びやすいスローガンだ。しかし、本当に“日本人”の未来を想うなら、部屋の鍵を外し、ノートPCを閉じ、パスポートを開く方がずっと知的で、何より健全だ。

しかし、なんでこうなったのか?

物価は高い。給料は上がらない。円は安い。輸入品もエネルギーも値上がりし、生活はじわじわと苦しくなっている。なぜ?

ひとつは、異常な長期金融緩和。ゼロ金利・マイナス金利政策を続けすぎた結果、世界中が利上げに動くなかで日本だけが“超安い通貨”になり、円は売られ、輸入品は高騰した。
二つめに、消費税増税や社会保険料の上昇といった「実質可処分所得の圧縮」。家計に残るお金が増えず、内需が弱り続けた。
三つめに、労働分配率を低く抑える企業優遇政策。内部留保は積み上がっても、賃金には回らない。リーマンショックや震災やコロナで企業は鼻息荒くした
「ほらみろ、内部留保持っててよかったろ?」

さらには「異次元の少子化対策」とか、米国の防衛費倍増プレッシャー、インボイス制度といった小規模事業者の圧迫…。国債発行を膨らませながら「自助共助公助」と言い続ける財政運営。
これらが連動して、今の円安・インフレ・賃金横ばい・未来不安の“トリプルパンチ”を招いている。

なのに、選挙になると出てくるのは「外人が増えて不安だ」「日本の文化が壊される」――そんな声ばかり。いやいや、ちょっと待って。

あれ? この物価高と円安と未来の閉塞感

誰の政策のせいだったっけ?





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