東大五月祭爆破予告「参政党自作自演」デマ──リテラシーと知性と冷静さの劣化
あの日、本郷で何が起きたか
2026年5月16日、東京大学本郷・弥生キャンパスで第99回五月祭の初日が始まろうとしていた。
600を超える団体が参加し、例年2日間で約15万人が訪れる全国最大規模の学園祭だ。食材を仕入れ、展示物を徹夜で組み上げ、何ヶ月も準備してきた学生たちがキャンパスを埋め尽くしていた。
午前10時過ぎ、保守系学生サークル「右合の衆」のメールに爆破予告が届いた。
本郷・弥生キャンパス各所への爆弾設置を予告する、具体的な内容だった。45分後の10時45分には、東大の公式問い合わせフォームにも「神谷議員が来るので爆破します」という予告が入る。警視庁本富士署に連絡が入ったが、大学が「自主警備をする」と判断したため、警察は動かなかった。
11時半の受付開始は断念。不審物検索が始まった。
午後1時過ぎ、参政党・神谷宗幣代表の講演会の中止が決定。午後3時前には五月祭常任委員会が全企画の中止を発表した。
翌17日は警備を強化して再開された。人的被害が出なかったことは不幸中の幸いだったが、前日の光景は覆らない。
5日前に仕掛けられた「対立の舞台」
事件の背景として、5月11日に遡る必要がある。
この日、発信者不明のXアカウント「@Safe_Satsuki」が「差別とデマのない五月祭を」と題した抗議文書を公開した。
本投稿において、今日5月16日の東大本郷キャンパス内での私たちの行動について説明するとともに、五月祭1日目中止の原因となった爆破予告に対し遺憾の意を表明します。
— 差別とデマのない五月祭を (@Safe_Satsuki) May 16, 2026
(1/6) pic.twitter.com/SbsxWqW1Ph
神谷宗幣代表の講演会に対して
「差別的・非科学的な言論の自粛を強く求めます」
「必要に応じて集団行動を呼びかけます」
と記した文書で、連絡先は非公表だった。
同日、反差別を訴える活動家も東大前での抗議を呼びかけていた。
爆破予告が届く5日も前に、「左派活動家 vs 保守系サークル・参政党」という対立の舞台は出来上がっていたわけだ。
5月16日当日、正門前では午前11時頃から約20人がプラカードを掲げた。
午後12時57分には会場入口で活動家グループとスタッフが膠着状態に陥り、神谷代表への怒号も飛んだという。
ここまでが確認できる事実だ。
問題はそのあとに起きたことではなく、ネット空間で語られ始めた「解釈」の方にある。
「自作自演」という物語が流通した理由
事態の収束とほぼ同時に、左派寄りの政治リテラシー層を中心に、あるストーリーが急速に広まった。
「これは参政党の自作自演ではないか」
という仮説だ。
語られた根拠はこうだ。
今回の事件で最も政治的利益を得たのは参政党だ、という観察がまず起点になっている。
「左翼による言論封殺の被害者」というナラティブを手に入れ、メディア露出が跳ね上がり、支持層の危機感と結束が高まった。
神谷氏はXに「参政党は止まりません」と投稿し、被害者ポジションを前面に打ち出した。
今日の講演会は会場に聴衆が入れなくされたようで、中止とのこと。
— 神谷宗幣【参政党】 (@jinkamiya) May 16, 2026
待機していましたが、やむなしですね。
運営の皆様、お疲れ様でした。
来ていただいた皆さんには申し訳ないです。これなら近くで街頭演説でも準備しておいたらよかったですね。
今後は代案も考えながらやります。… https://t.co/QuMoojpJ9h
産経新聞が他紙より早く詳細を報じたことも、「事前にシナリオを知っていた関係者が情報を流したのではないか」という邪推を補強した。
朝10時の爆破予告から全企画中止の発表まで5時間の間があったことも、「わざと事態を大きく見せたのでは」という解釈を呼んだ。
そして参政党が日頃から陰謀論を拡散してきた政党であるという文脈が加わり、「この連中ならやりかねない」という感情が証拠の役割を果たし始めた。
その気持ちはわからなくはない。参政党のこれまでの言動を知っていれば、「あり得ないとも言えない」と思う人が出てくるのは理解できる。
ただし感情は証拠ではない。
仮説が抱える根本的な欠陥
爆破予告は威力業務妨害罪にあたる刑事犯罪だ。
現代のサイバー捜査はメールの送信元IPアドレスやサーバーログを追う。政党の中枢が組織的に関与していれば、発覚は時間の問題だ。発覚した瞬間に政党は終わる。選挙直前に自滅するリスクを、いかに過激な政党でも組織として賭けるだろうか。
「被害者ポジション」というリターンが、そのリスクに釣り合うとはどう計算しても思えない。
それよりも見落とされがちな事実が一つある。
抗議アカウント「@Safe_Satsuki」は、「五月祭」を「ごがつさい」と読まず「さつきさい」と誤読していた。

東大の学内事情を少しでも知る者なら絶対に犯さないミスだ。
抗議運動の担い手が東大とは縁遠い外部の人間であることを、この誤読は静かに証言している。
5月11日から16日にかけての反対運動の流れは、「内側から仕込まれた演出」より、「東大の外から参集した、本物の動機を持つ反対勢力による行動」と見る方がはるかに自然だ。
自演などしなくとも、参政党の講演を力ずくで止めようとする人間が実際にそこにいたわけだ。
対応のタイムラグについては、五月祭はプロの危機管理チームが回すイベントではない。学生が自主運営する巨大な、しかし本質的にはアマチュアのイベントだ。朝一番の爆破予告に現場がパニックし、情報共有が遅れ、判断が二転三転した──それだけのことだ。
産経の早期報道も、保守系サークルが馴染みのメディアに先に連絡した、取材ルートの話に過ぎない。
左右が映し出す、対称な愚かさ
参政党はしばしば「証拠のない陰謀論を振り撒く政党」として批判されてきた。だが今回、「参政党自作自演説」を根拠なく拡散した人々は、証拠の欠如という点で、自分たちが最も嫌う相手とまったく同じことをした。
「そうに違いない」という確信が証拠の代わりになる──これはイデオロギーの左右を超えた、現代デマが共有する構造だ。
Togetterには事件当日、こんな投稿があった。
「参政党大勝利じゃん。東大で講演しましたって肩書きより強力な、左翼の圧力により東大での講演会を中止に追い込まれましたって肩書き手に入れちゃったじゃん。なんで左翼ってやたらと右側をアシストしまくるんだろう」。
揶揄に見えるが、これは冷静な政治観察だ。
犯人が誰であれ、今回の事件で最も利益を得たのが参政党であることは否定できない。その既成事実の上に「自作自演だ」というデマを重ねることは、参政党の「被害者ポジション」をさらに強固にする逆効果しか生まない。
自作自演説は参政党への怒りから生まれた。
だがその怒りが、怒った人たち自身を、自分が最も批判する振る舞いへと引きずり込んだ。これを指摘しておかなければフェアではないだろう。
もし、本当に自作自演だったとしたら
捜査結果が出るまでは、論理的にはあらゆる可能性がゼロではない。だから一度だけ、その「もし」を真剣に考えてみる。
もしこれが参政党側の関係者による自作自演だったとしたら、食材を仕入れ、徹夜で準備してきた模擬店の学生の努力が政治的スタントの踏み台にされたことになる。半年以上かけて学術展示を作り上げた数百の団体が、一政党の広報戦略に潰されたことになる。その日を楽しみにしていた数万の来場者が、理由も知らされずに追い払われたことになる。
「被害者ポジションを演出するために、無関係な学生の祭りを丸ごと爆破する」──その発想が本当に存在するとしたら、これは政治的幼稚さとは別次元の話だ。
他者の痛みを政治の燃料として平然と扱う、倫理の根が腐った組織だということになる。日本の政治モラルの問題というより、人間の感覚の問題だ。
さらに思うのは、そんな愚かな工作をする政党に多くの人間が支持し票を投じた日本という国の劣化レベルの底が見えた。ということだ。
だからこそ、現時点でこれを断言することは二重に危険かつ絶望的なのだ。
証拠がない。仮に事実だったとしても、それを先取りして拡散することは、証拠主義という民主主義の足場を自ら崩す行為だ。
怒りをリテラシーに換える力
この事件を巡ってネット空間で起きていることを俯瞰すれば、右は「左翼テロによる言論弾圧だ」と断言し、左は「参政党の自作自演だ」と断言している。どちらも証拠に基づかない点では対称だ。感情の強度が証拠の不在を上書きしている。「デマの民主化」とでも呼ぶべきことが、この事件の周囲でも起きている。
確かなことはひとつだけある。
東大五月祭という、もっとも多様な言論が保障されるべき空間が、爆破予告という最も粗暴な暴力によって沈黙させられたという事実だ。
言論に言論で返さず、脅迫で場を壊す。それが誰の仕業であれ、民主主義への挑戦であることに変わりはない。
今できることは、捜査の進展を待ちながら、その結論が出たとき自分はどう行動するつもりなのかを、あらかじめ自問しておくことだろう。
怒りはエネルギーだ。だが怒りは、リテラシーという回路を通さなければ、自分が批判する相手と同じ行動を取らせる燃料にしかならない。
「差別とデマのない五月祭を」と名乗ったアカウントが、五月祭を「ごがつさい」と読めなかったように。
#東大五月祭 #爆破予告 #参政党 #神谷宗幣 #自作自演 #陰謀論 #デマ #東大 #メディアリテラシー #政治 #ファクトチェック #民主主義
