ふたつの平和のスピーチと、故・元県民局長の最後の言葉~光と道と希望はあるか、ニーバーの祈りを知ってほしい
先日のノーベル平和賞授賞式における日本被団協の田中熙巳さんのスピーチが、なぜあんなに「刺さる」のか上手く言葉にできないもどかしさを、
ノーベル委員会のフリードネス会長による素晴らしい返礼スピーチが解消してくれたので、一部抜粋、共有します。
~抜粋~
(序略)
日本被団協の皆様、田中熙巳様、箕牧智之様、田中重光様、そして被爆者の皆様、あなた方をここにお迎えできるのは名誉であり、歴史的な日となりました。皆様がこれまで生涯行ってこられた、そしてこれからも続けて行くであろう、比類なく貴重な活動に対し、深く感謝の意を捧げたいと思います。
あなた方は被害者であることに甘んじませんでした。あなた方はむしろ自らを生存者として定義しました。大国が核武装へと世界を導くなか、あなた方は恐怖の念に駆られながらも沈黙を拒否しました。あなた方は立ち上がり、かけがえのない証人として自身の体験を世界と分かちあう選択をしたのです。
暗闇の中で光をみつけ、将来への道を模索する、それは希望を与える行為です。
(中略)
あなた方は決して諦めませんでした。
あなた方は抵抗し続ける力の象徴です。
あなた方は世界が必要としている光なのです。
(後略)
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世に数多の声高な正義や主張が蔓延りますが、
そこには「光」が見えているのか?
「道」を探し「希望」を与える行為なのか?
どんなに論理的で客観的で主体的であったとしても、心や気持ちや行動を変える言葉には、その「光」が輝いているかいないか、でしょうね。
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一方、恥ずかしすぎる兵庫県の例の件では倫理や知性の底が抜けたような状態になっていますが、そこに横行する言葉には光も道も希望の欠片すら見えてきません。
話は飛びますが、この件で故人の局長が最後にしたためた(とされる)文章は、宇多田ヒカルの楽曲や、名匠ジョージ・ロイ・ヒルの映画「スローターハウス5」のヴォガネットの原作にも引用された、「ニーバーの祈り」の一節を引用しながら、最後はこう締められています。
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全てを書き終え、傍らの新書からこぼれ出た栞をふと見ると、そこには人の心のありようについて説いた「ニーバーの祈り」がありました
神よ、
変えてはならないものを受け入れる冷静さを、
変えるべきものは変える勇気を、
そして変えてはならないものと変えるべきものとを見分ける知恵を我に与えたまえ。
こんなタイミングにこんな言葉に出会うなんて…。後輩職員達への最後のエールとしてこの言葉を送ります。
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この言葉には、光と道と、そして絶望からの希望があります。
