【note】日記もラブレターも書けないが推し記事は書く人の話【推し活】
お題「#今年学んだこと」
昨日の「#いつもの場所に座って」に引き続き、noteお題回です。
去年もこの時期から振り返り系のお題がよく出て、一年を総括せよとの圧を感じたものですが、やはり「年末」と言う言葉には人を駆り立てるものがありますね。そりゃ師も走りますわ。
自分が今年書いたもののデータ分析もしたいのですが、それにはまだちょっと早いので、今日は自分がファンダムの中でnoteを書いたり読んだりしている中で学んだことについて、書いてみたいと思います。
「朝から始まる公演感想」から得た学び
意味の分からない結論から入りましたが、待ってください、ちょっとだけ話を聞いて欲しい。そんな気の毒な子を見るような目で見ないで(*ノωノ)
バンタン(BTS)にハマってnoteで活動するようになって以来、私はたくさんの推し活記事を読んできましたし、書いてもきました。
その中で不思議だったのが、これです。
「何故 "その日の朝" から始まる公演感想が多いんだろう?」
遠足に例えるならば、前日の持ち物準備くらいから書き始めて、家に帰って親と話しながら夕飯を食べましたハンバーグ美味しかったです、くらいまでがセットな感じでしょうか。
(もし合致する人がいてもそれは偶然なので、気にせずお読みください!)
これを不思議に思うのは、自分の公演感想は「現地に着いてから帰りのバスに乗る」辺りまでで終わることが多いからです。
私ったら、またしても獣道を突っ走ってるんでしょうか。やっちまったかー(/ω\)
私は自分を人と比べたことがあまりなかったのですが、色々バンタン記事を読み書きしていると、自然と「何か違うな」と思うケースが出てきます。
推し活は推しに集中すべき理論
その日の朝から始まる公演感想が多いこと自体は、理解できます。
多くの人の文章の基礎になってると思われる「作文」だって遠足の朝から書くタイプですし、自分の体験の流れとして公演感想を書く場合、「特別な一日を書き留める=公演感想」なんじゃないかとも推測されるからです。
もちろん、「理解できる」「推測される」とか言ってる時点で、私にはそういう発想がありません(ノ∀`)アチャー
何故だろうかと考えてみたのですが、おそらくこれは自分の優先順位が
「推しの情報>>>越えられない壁>>>自分の情報」
になっており、極論言えば
「重要なのは推しであって自分の話はどうでもいい」
と思ってるからです。多分。
あっこれはあくまで自分の文章に対しての意見であって、他の人の記事にどうこうということではありません。自分の中の門番がいるということなのです(必死の弁解)
これには、「推しが好きだから推し活してるんであって、推し以外の情報は後回しにしても死なない」という、限界効率厨的な考え方も大きく影響している気もします。極端ですみません……。
だから、推し活話は楽しく書きますが、マガジン「noteを書きながら考えた」系の自分が中心になってる記事は、書いた後いつも「これ面白いのかな」って疑問を感じます。
私の中のARMYは、「おまえの話はいらんから推しの話を書け」って圧をかけてくるんだもん。色々書きたいから待って待ってw
推しメインじゃない話を書くと、若干謎の遠慮や罪悪感を覚えるのですが、それはかつて同人活動やってた時の刷り込みが大きいかもしれません。
好きな作家さんのスペースへ行ったらジャンル替えしてて、前ジャンルの本は隅っこにちょっとだけあるとか、ほんとトラウマです( ;∀;)トホー
おかげで、隔離用マガジンの名前を「混ぜるな危険」にしてしまいました。
日記属性のある人々との出会い
私は、推し活歴というかオタク歴は長いんですが、SNS全盛の時代にファンダムの中で活動したことがありませんでした。
しかし幸か不幸か、ARMYというファンダムは非常に人口が多いですし、noteも書き手さんがたくさんいるプラットフォームです。
そこには色んな推し活記事があり、そして日記に代表される「自分の体験や感情を通して物事を書き留める」タイプの文章が溢れていました。
日記書かない派でもある私は、遅ればせながらその多さに驚いたものです。それが、前述の疑問にも繋がってるわけですね。
私は、「他人に読ませられない文章を書くのはもったいない」と思うタイプなので、日記を書いたことがありません。
いや、私の文章も別に体験や感情がないわけではないのですが……なんか、日記と観察記録くらい目的が違う印象を受けます。世の中の人って、こんなに日記書くんだ。改めて、日記帳市場の巨大さを知った気がします。
この違いは、記事整理の発想にも出ているようにも思われます。
私は早い段階からnoteを自分用のデータベースにしようと目論み、「読者=検索で飛んでくる人」を想定してサイトマップを作り、マガジンでカテゴリ分けし、書いた記事をメンテナンスする前提の作りにしました。
でも日記系の発信をする人の場合、記事をタイムカプセルとして残すことに価値があるのだと思われ、後から記事を書き直すとか、変更履歴を残すとか、そういう扱い方をあまり見たことがありません。
自分の書くものに対して求める役割が、全く違うのだと思います。
noteのシステム自体、わりと日記系前提の「毎日気に入った人の新着記事を追いかけていく」タイプの作りですしね。そういえば。
自分は主役、それとも黒子?
自分の書く推し活記事においては、推しが主役で、自分の存在は「黒子」みたいなものだと感じます。
「推しとファンダムとそれを取り巻く世界」の観察自体を楽しんでいるため、黒子が出しゃばりすぎると邪魔ですから、排除したくなります。
ファンの中には、推しを前にした時「絶対視界に入りたくない」派の人がいますが、その感情に近いのかもしれません。
「推しを愛でたいだけで、その世界に自分がいたいわけではない」と拒否る人と、推しを見つけた瞬間「オッパ、セルカ撮ってください~!!」って走っていく人との違いみたいな越えられない壁を感じますが、この例えで合ってるんでしょうか。
でもそうじゃない文章の書き方をする人、自分の思考や感情が主役だったり、推しとの共演者位置にいたりする書き手さんもたくさんいるんですね。
自分の人生というドラマを生き、書き残している人々が。
これはわりと盲点でした。
いえ、私も自分の人生というドラマを生きてはいるのですが、自分が日記を書くタイプでないせいもあり、「日記は人に見せないもの(作家除く)」だと思っていたような気がします。
だから、そういう文脈で推し活記事を書くという発想もありませんでした。
また、そういう書き手さんが多いということは、それを楽しみ、他人の日常から何かを得、書き手(=役者)のキャラを知りたいと思う読み手さんもたくさんいるってことなんですね。
これも盲点でした……! 盲点が多すぎる( ;∀;)
時々、
「何でこの記事、推し活メインじゃないのに読んでもらえるんだろう」
「皆夫婦の話が好きなのかな」
などとあさってなことを考えてたんですが、何となく理解が進んできたような気がします。
ともあれ、日記系とデータ・観察系という全く違うジャンルの文章が、「推し活記事」というカテゴリで飲み込まれているという点に、推し活文化の懐の広さを感じます。
大きすぎるファンダムには感謝しかない
何歳になっても最大の謎は自分自身なので、こうして色々考えていますが、正直なところ、自分にラブレター属性がないのと日記属性がないのとは、わりと近いところに原因があるような気もしています。
ラブレター
↓
要約できないジャンルの文章
↓
要約できないということはオチがないのでは?
↓
オチがない文章なんて嫌!
私は何かを書く時、結論を決めて一気にそこまで走っていくのが好きなタイプで、「やっぱ説得力はいるから」とソースまで探してしまうので、記事が布教やプレゼンみたいな語りになっていきます。
その場合は着地点が大事なのですが、日記にオチはないですからね……。
あと、私にとって自分は普通なので「他の方には面白くないのではないか」と思ってしまうのですが、色々記事を書く中で皆様からフィードバックをいただき、
「こんなこともノウハウになるのか(検索方法とか)」
「推しの著作権一覧を作って集計したい人は少ないのか」
など色んな発見や驚きがありました。なるほど、勉強になります……!
夫と雑談中、話のツカミとして
— 音色 (@thracia776_bts) June 17, 2025
「HYBEはマルチレーベルだから、全体図を知りたくて組織図を作ったりするじゃない? それでね」
と言ったら軽く流された。
「うん、普通は作らないけどね。それで?」
( ゚Д゚)エッ?
「気づいてないかもしれないから一応ツッコもうと思って」
親切心だったらしい。
こういうのは、理解が深まったとてどうなるものでもないのですが、自分について新しい発見をするのはいつでも楽しいです。
私がどれだけ獣道を走ろうと、このファンダムには何千万単位のARMYがいますから、世界のどこかには同志が大量にいるだろうと思えるのも、ここの頼もしさですね( *´艸`)
これからも好きなものを書き、楽しみ、新しい発見を続けていくと思います。もしよかったら、他の記事も読んでやっていただけると嬉しいです!
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