相手を知る前に、まずは自分のことを知ろう!
先日、X(Twitter)をぼんやりと眺めていたら、「定期的に思い出す文章」と称して、次のような画像の付いたポストが流れてきました。
本日2024/8/8現在で、約13万いいねが集まっていました。

どうか、神様。
いや、神様なんかにお願いするのはやめよう。
どうか、どうか、私。
これから先の人生、他人を愛しすぎないように。
愛しすぎて、相手も自分もがんじがらめにしないように。
私は好きな人の手を強く握りすぎる。相手が痛がっていることにすら気づかない。だからもう二度と誰の手も握らないように。
諦めると決めたことを、ちゃんときれいに諦めるように。二度と会わないと決めた人とは、本当に二度と会わないでいるように。
私が私を裏切ることがないように。他人を愛するぐらいなら、自分自身を愛するように。
画像では左上のタイトルが見切れてしまっていますが、推測するにおそらくこの小説に書かれている一節ではないかと。
この文章を読んだ時、自分の痛いところを突かれた感じがして、思わずドキッとさせられました。
今の私に思い当たる節が多いかも・・・?と思ったのです。
学生時代、私は自分と気が合う特定の友人に執着するタイプの人でした。
小学生の時は、幼稚園の時からずっと一緒にいる幼なじみのAちゃん。
中学生の時は、同じクラスになってよく話すようになったBちゃん。
高校生の時は、同じ合唱パートメンバーの中でも特に話が弾んだCちゃん。
大学生の時は、1学年下だけど同い年で、出身地が東北ということで親近感が湧いたDちゃん。
(※高校・大学だともう数名いるんですが、ややこしくなるので代表者1人に絞りました)
言い方はちょっとアレですが、こうしたいわゆる"お気に入り"の友人たちと一緒に過ごす時間は非常に心地良かったので、私はいつも彼女たちの傍にいたがりました。
例えば、部活の帰り道など、ある程度集団でまとまって行動する際には、「私はこの人と話せればそれで十分!」という感じで常に近くの位置をキープし、できるだけ多くの時間を共に過ごそうとしました。
彼女たちが他の人と楽しそうに話しているところを見ると、「私ともっと話してほしい、仲良くしてほしい・・・」と嫉妬じみた感情を持つこともありました。
私から勝手に「お気に入り」認定された友人たちからすれば、知らないうちにこんな重い感情を向けられてさぞかし迷惑な話でしょうが(笑)、当時の私は「何をするにも一緒がいい!」と強い独占欲を持っていたんですね。
まさしく、文章の中の「私は好きな人の手を強く握りすぎる。相手が痛がっていることにすら気づかない」状態でした。
ですが、進学や就職を機にだんだんと会う回数が減り、離れている期間の方が長くなると、彼女たちに向けていた強い気持ちも下火になってきました。
むしろ、会社に入ってから職場の人たちと当たり障りのない一定の距離感を保つ関係を心がけるようになったことで、誰かを好きになるとか、特別仲の良い親友になるとか、とにかく特定の相手に対して深入りすることに、強い恐怖を感じるようにさえなりました。
おそらく、「傷つきたくない」「他人に自分の情けない部分を見られたくない」という思いが根底にあり、「自分に深入りされたくない」気持ちが強くなってきたんだと思います。
今の私は、自分のことについて深入りされたくないからこそ、相手に対しても深入りすることを避け、常に一線を引いて他人と接しようとしている。
「一線を引く」と言うとちょっと寂しい感じもしますが、例の文章を読んでからは、相手との関係を深めようと無理に自分をさらけ出す必要はないんじゃないか、と思うようになりました。
相手と向き合う前に、まずは自分の内面としっかり向き合い、自分自身のことを深く見つめ直すこと。
「他人よりも先に自分を知る」ことが大切なんですね😊
