小説 高校生戦隊ヒーローズ 閑話 滝川家の正月 前編
これは僕が士官学校に入学する前、中学3年生の時の正月の話だ。
1月1日、朝6時。
まだ暗いうちに起きて歯を磨き、着物を着る。
毎年この日だけは着物を着て、座敷にお膳を並べて、家族5人でお雑煮を食べるのが滝川家の習慣だ。
滝川商店の総裁である父や、昨年3月に大学を卒業して総合商社に勤め始めた兄は不在にすることが多く、家族全員が顔を合わせるのは半月ぶりだ。
毎年のこととはいえ、年に一度しか着ない着物の着方はすぐ忘れてしまう。
たとえば着物は右前、つまり襟元は右側の布が下、左側の布が上になるのが正しい着方なのだが、昨年僕はこれを逆に着てしまい、部屋に迎えに来た兄が「それだと、幽霊の着方だねえ。」と笑いながら直してくれた。今年はちゃんと右前にした。
足袋も履いたし、帯もちゃんと締めたし、羽織も着たし。
よし!と思っているところに、ノックの音。
「行人、準備できたか?」
と兄の声。ドアを開けて兄を招き入れる。
「ばっちりだよ。」
そういう僕を上から下まで眺め、
「うんうん、今年はちゃんと着れてるっぽい。」
と兄は笑い、僕の両肩に手を置いて「ちょっと回ってみな。」と言うのでその場でゆっくり回ってみる。
「よし、ばっちりだね。じゃ、行くか。」
と左手を差し出してくる。オレもう中学3年なんだけど、と思うが、兄の中では、僕はまだ兄の後を追ってお店の中をうろちょろしてた5歳児に見えているのかもしれない。右手で兄の左手を握り、二人並んで座敷に向かう。
座敷に入ると例年どおりお膳が5つ並んでいる。
上座に1つ、上座から見て右手側に2つ、左手側にも2つ。
兄が上座に近い左手側のお膳の前に座り、僕はその隣に座る。
お膳の上には4つ仕切りの松花堂弁当箱が2つ。各仕切りの中には黒豆、数の子、田作り、昆布巻き、紅白なます、お煮しめ、伊達巻、栗きんとん。そして弁当箱の外に温州ミカン。
「みかん、みかん!」
僕がみかんを前にうきうきしていると兄が笑う。
「ほら、俺のもあげる。」
と言って僕のみかんの隣に自分のを置いてくれる。
「わー、ありがとう!じゃ、お礼に栗きんとんあげる。」
僕は自分の弁当箱から栗きんとんの皿を持ち上げ、兄のお膳に移す。栗きんとんは兄の好物なのだ。ちなみに僕は栗きんとんが嫌いではないが特に好きでもない。
「物々交換成立だねえ。」
そんな感じで僕たちがごく私的な商業活動をしていたら、着物姿の母と姉が座敷に入って来た。
「2人とも早いわね。」
そう言う母に「おはよう。」と挨拶する。
一方、姉はまだ眠そうだ。昨日も僕が寝る前には帰ってきていなかったし。冬休みに入ってからだいたいずっとだ。昨日は高校の時のクラスの忘年会、一昨日はサークルの忘年会、その前は大学のクラスの忘年会・・・と言っていた。この人、毎日、お酒を飲んでいたんだろうか?
母は兄の正面に、姉は僕の正面に座る。
それからしばらく4人でとりとめもない話をする。と言っても母はほとんど聞いているだけだったが。
僕「姉さん起きてる?」
姉「起きてるわよ、父さん来たらちゃんとするわよ。」
兄「おまえ昨日俺より帰り遅かったよね。」
姉「しかたないでしょ、酔いつぶれちゃった子を送っていったのよ。」
兄「まさか無理やり飲ませたりしてないよね?」
姉「失礼ね、そんなことしないわよ、手酌で飲み始めてそのうち泣き始めて。
たぶん弱いし飲んだ経験もないのね。すぐに眠っちゃったわ。」
兄「あ~それは将来黒歴史になるやつだねえ。」
姉「あれは絶対オトコね。」
僕・兄『オトコ?!』
姉「そう、オトコ」
僕「そうとは限らないんじゃ?」
姉「何言ってるの、若い女が、泣きながら酒を飲む。他に何があるって言うのよ?」
僕「いろいろとあるんじゃないの?」
将来のこととか家族のこととか・・・と続けようとした僕の言葉に重ねるように姉が断言する。
姉「ないないない!オトコよ!」
僕「え~。」
姉「アンタはまだ子どもだからわからないのよ。」
実に雑な見解だ。
兄「でもおまえ、夜遅くひとりで外歩くの危ないよ?」
姉「だいじょうぶよ、私を誰だと思っているの?」
たしかに姉は強い。合気道、剣道、空手、柔道などひととおりの武術を修めている。幼いころから姉の技の実験台にされてきた僕が言うのだから間違いない。
兄「本気でおまえをターゲットにしようと思ったら、対策立てて周到に準備して襲ってくるかもしれないよ?」
僕「ああそうだね、滝川商店長女、なんて身代金せびるのにうってつけじゃん。」
姉「この街で滝川商店に喧嘩を売る莫迦がどこにいるって言うのよ?」
ふふんと、なぜか得意げな姉。
兄「いたらどーすんだ。」
僕「そうだよ莫迦だから何するかわかんないよ?」
姉「その時は運がなかったと諦めるしかないわね。」
豪胆が過ぎるというかなんというか。
兄もそれ以上言っても無意味だと思ったらしい。
兄もこの姉にはかないっこないのだ。滝川商店次期総裁、負けるとわかっている戦は仕掛けない。
そんな騒がしい子どもたちに母が一言。
「あなたたち、そろそろお父さんが来る頃だから、おしゃべりは終わりにしなさい。」
僕・兄『はーい。』
それからほどなく。
7時ぴったりに父が家政の松崎さんを伴って座敷に入ってくる。
父は上座につき、松崎さんは入口付近に正座する。
「明けましておめでとう。」
父がそう言った後、僕たち4人は畳に手をついて頭を下げる。
「明けましておめでとうございます。」
僕たちが頭を上げると父はひとつ頷き、
「食事の前に子どもたちに一言ずつ。まずは、裕人(ひろと)。」
「はい。」
兄が身体ごと父の方に向き直る。
「おまえが就職してまだ1年経っていないが、いずれおまえには私の跡を継いで滝川商店の総裁を任せたいと思っている。今の職場でひととおりの仕事の進め方を学んだと思えたら、その時は退職して滝川商店に入ってほしい。時期はおまえの判断に任せる。」
「承りました。父さんは、いつぐらいに戻ってきてほしいとか、ありますか?」
「一般論だがどんなに早くても2~3年後だろう。仕事というのは、それなりに大きな規模のものを、計画立案から実行、そして結果を踏まえての反省までひととおり携わってみないとなかなか身につかないものだ。仕事の難しさは規模に比例ではなく、指数関数的に増大する。小さな仕事をいくつもこなすより、たとえ失敗することが多かったとしても大きな仕事ひとつに携わった方が身につくことは格段に多い。そのような、学びのある、比較的大きな仕事というのは3年はかかると考えた方がいい。滝川商店もそうだが、3年ごとに中期経営計画を策定しているのはそのサイクルを回すのに1年や2年では短過ぎるから。3年を一区切りとするなら、3年、6年、9年。3年で1つ大きな仕事をして、次の3年でまた新しいことに挑戦する。そうしていくつか大きな仕事を最後まで完了させたところで区切りをつけるというのがひとつの考え方だ。おまえにも、そういう大きな仕事をいくつか経験してから、滝川商店に戻ってきてほしい。が、だからといって30年待てる自信は私にはない。」
父はそう言うが、今年43歳の父は、その気になれば30年後でもばりばり現役で総裁を務められそうな気もする。が、それを言うのはやめておこう。
「わかりました。10年から15年程度をかけて、今の職場で3個か4個、大きな仕事を経験させてもらってから、滝川商店に戻ってこようと思います。」
兄が頭を下げると父はひとつ頷き今度は姉の方を向く。
「静香。」
「はい。」
ついさっきまで眠そうな顔をして「オトコよ!」などと言っていた姉がぴしっと背筋を伸ばして表情を引き締めている。
「今年は就職活動を始める時期だろう。就職活動はこれまでの学校の勉強と違って、自ら主体的に動かなければ勝てない、いわば情報戦だ。より早く行動する者、的確な情報をいちはやく掴む者の勝率が高い。そしてここで勝てないと不利になることが多い。転職して挽回できないこともないが、得てして最初に就職した会社で学ぶこと、経験することが、ビジネスパーソンとしての土台を形成する。そのことを踏まえて、大学の先輩や先生、周囲の先人によく話を聞いて、臨むといいだろう。もちろん私やお母さんも、聞かれれば知っている限りのことは教えるし、相談にも乗る。」
「はい。」
「最後に、行人。」
父が僕の方を見るので僕も兄をまねて、身体ごと父の方を向いて返事をする。
「はい。」
「士官学校の入学試験まであと2か月弱、体調管理を万全に。おまえなら普段どおりの力を出せれば合格するだろう。落ち着いて平常心で、ただし気を緩めず残り2カ月頑張りなさい。」
「はい。」
僕が返事をすると父は「では行人、ここにおいで。」と言って懐に手を入れる。僕が父の前に座ると「お年玉だ。先月はよくお店を手伝ってくれたから特別ボーナスもつけてある。」と言って白いご祝儀袋をくれる。ポチ袋ではなくりっぱなご祝儀袋だ。しかも明らかに分厚い。
「きゃ~、わー、ありがとう!」
素が出てその場でくるくる回り出しそうな僕に母や兄がくすりと笑う。
確かに先月はお店に出ていた時間がいつもより長かった。
お店でアルバイトをしてくれている大学生があまりシフトに入ってくれなくて、僕がその穴を埋める形で学校から帰ってきた後にお店に出ていたのだ。僕としては受験勉強のいい息抜きになっていたのだが、それでたっぷりお小遣いまでもらえたので一石二鳥だ。
師走というだけに年末で忙しいのかと思ってそのアルバイトの大学生に聞いてみたのだが、そういうわけではないらしい。税金対策だ、と言っていた。
大人って、たいへんなんだなあ。
僕がご祝儀袋をだいじに抱えて席に戻ると父が言う。
「では、松崎さん、お雑煮の準備をお願いします。」
入口近くに控えていた松崎さんが「承知いたしました。」と出ていってすぐ、お雑煮のお椀を載せたお盆を持った家政婦さんたちが入ってきて僕たちの前にお椀を置き、ふたをとってくれる。このふた、時々自分で開けられないくらいに固いことがあるのであらかじめ取ってくれるのはとってもありがたい。
湯気とともにかつおだしと味噌の香りが漂い幸せな気分になる。
「では、みんな、今年も一年、息災で。いただきます。」
『いただきます。』
父に続いて僕たちも唱和し、お雑煮に口をつける。
このあと午前中は挨拶を受ける父のそばにずっと座っていなければならないし、昼は会食だ。基本的に黙って座っているだけだが、ぶしつけな視線や値踏みするような視線にさらされる、とても気疲れのする時間だ。
その前のつかの間の休息を、楽しんでおくことにしよう。
みかんも食べて。
後編 に続く
小説本編はこちら。
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