「いい人」でいることに疲れてしまう理由。人はなぜ『善人』を演じようとするのか
「いい人ですね。」
そう言われると、多くの人は少し嬉しくなる。
優しい人でありたい。
思いやりのある人でありたい。
誰にでも公平でありたい。
正しい人でありたい。
人を傷つけない人でありたい。
これは決して悪い願いではない。むしろ社会で生きる上では、とても大切な価値観である。
しかし、その価値観が「こうあるべき」という義務へ変わった瞬間、人の心は少しずつ苦しくなっていく。
私は、人は「いい人」を目指すことよりも、「人間らしい人」を目指したほうが、生きやすくなるのではないかと思っている。
なぜなら、人間は善だけでできている存在ではないからだ。
人は「善」と「悪」ではなく、「矛盾」を抱えて生きている
人は、自分を「善人」か「悪人」かのどちらかに分類したくなる。
けれど実際には、そのどちらでもない。
家族には優しくできるのに、職場では余裕がなくなる日もある。
親しい友人の成功は心から喜べても、同じ目標を追いかける相手には少しだけ嫉妬してしまうこともある。
「助けたい」と思う日もあれば、「今日は誰とも関わりたくない」と思う日もある。
それが人間なのである。
私たちは一人の中に、いくつもの矛盾を抱えて生きている。
優しさもある。
冷たさもある。
勇気もある。
臆病さもある。
誰かを許せる日もある。
どうしても許せない日もある。
これらはどちらか一方を消せばよいものではなく、どちらも自分の一部なのだ。
しかし、多くの人は「悪い感情」を持つこと自体を恐れる。
怒ってはいけない。
嫉妬してはいけない。
嫌いになってはいけない。
そう思えば思うほど、それらの感情は心の奥へ押し込められていく。
心は「見ないこと」にすると、かえって大きく反応する
感情というものは、不思議な性質を持っている。
認められた感情は、少しずつ落ち着いていく。
しかし否定された感情は、居場所を失い、心の中で大きく膨らんでいく。
例えば、怒りを感じたとする。
「こんなことで怒るなんて心が狭い。」
「私はもっと優しい人間であるべきだ。」
そうやって怒りを押し殺す。
すると怒りは消えるどころか、別の場面で突然噴き出すことがある。
小さなことでイライラする。
眠れなくなる。
涙が止まらなくなる。
人に会うことが億劫になる。
自分でも理由がわからないほど疲れてしまう。
心は、「なかったこと」にされた感情を忘れないのである。
「いい人」でいたい気持ちの裏側
では、なぜ私たちはそこまで「いい人」でいたいのだろう。
もちろん、人を大切にしたいという純粋な気持ちもある。
しかし、それだけでは説明できない場合も少なくない。
嫌われたくない。
見捨てられたくない。
怒られたくない。
期待を裏切りたくない。
そんな不安が、「いい人」でいることをやめられなくしていることもある。
つまり、「優しさ」のように見えていた行動が、本当は「恐れ」から生まれていることもあるのである。
もちろん、それは弱さではない。
人は誰でも、人とのつながりを失うことを怖いと感じる。
だから相手に合わせる。
空気を読む。
本音を飲み込む。
それ自体は自然なことだ。
問題なのは、それが長年続き、自分の本音がどこにあるのかわからなくなってしまうことである。
「誰にでも優しい人」は、本当に優しい人なのだろうか
「誰にでも優しくしなさい。」
私たちは幼い頃からそう教えられて育つ。
もちろん、その教え自体は間違っていない。
しかし現実には、誰にでも同じように接することは難しい。
相手にも相性がある。
価値観の違いもある。
どうしても苦手な人もいる。
それなのに、「嫌いになってはいけない」と思うほど、自分を責めるようになる。
私は、誰にでも優しい人よりも、「優しさを向ける相手を自分で選べる人」のほうが、健全なのではないかと思う。
限りある時間も、体力も、心のエネルギーも、無限ではない。
だからこそ、自分が本当に大切にしたい人を大切にする。
疲れている日は休む。
理不尽な相手とは距離を置く。
それは冷たいことではない。
自分の心を守るための大切な選択なのである。
「いい人」を卒業することは、「悪い人」になることではない
「もう無理です。」
「今日はできません。」
「それは嫌です。」
こうした言葉を口にすると、「自分は嫌な人間になった」と感じる人がいる。
しかし、それは違う。
断ることは攻撃ではない。
境界線を引くことなのである。
人との間には、お互いが心地よく過ごすための距離が必要だ。
その距離を失うと、人は優しさではなく我慢だけで人間関係を続けることになる。
そして我慢だけで積み重ねた関係は、いつか苦しさへ変わってしまう。
だからこそ、「いい人」を卒業することは、「悪い人」になることではない。
人間らしい自分を取り戻すことなのだ。
「いい人」でいようとする気持ちが強くなりすぎると、自分の本当の感情を押し込め、心が苦しくなってしまうことについて書いた。
では、その苦しさから少し自由になるためには、どう考えればよいのだろうか。
そのヒントは、「人間とはどのような存在なのか」をもう一度見つめ直すことにあるように思う。
「白黒思考」が心を苦しめる
人は物事を単純に考えたくなる生き物である。
優しい人か、冷たい人か。
正しい人か、間違った人か。
善人か、悪人か。
もちろん、ある程度は物事を整理するために必要な考え方ではある。
しかし、人の心はそれほど単純ではない。
昨日まで好きだった人を今日は少し嫌いになることもある。
普段は穏やかな人が、疲れやストレスで感情的になることもある。
逆に、ぶっきらぼうな人が、困っている人を誰よりも助けることもある。
人は状況によって変化し、その時々でさまざまな顔を見せる。
それなのに、「私は怒ってしまった。だからダメな人間だ」「嫉妬した。だから性格が悪い」と、自分を白か黒かで判断してしまうと、自分を受け入れることができなくなる。
本当は、白の中にも灰色があり、黒の中にも光がある。
人間とは、その曖昧さの中で生きている存在なのだ。
「影」を認めることは、自分を甘やかすことではない
「自分の弱さを認めると、成長できなくなるのではないか。」
そう考える人もいる。
しかし、実際はその逆である。
自分の欠点を認められない人ほど、それを隠そうとして無理をしてしまう。
怒ってはいけないと思う人ほど、小さな怒りを溜め込み続ける。
失敗してはいけないと思う人ほど、挑戦できなくなる。
弱音を吐いてはいけないと思う人ほど、一人で抱え込んでしまう。
一方で、「私は今、疲れている」「今日は余裕がない」「少し嫉妬してしまった」と認められる人は、その感情に振り回されにくい。
感情を認めることは、感情に支配されることではない。
むしろ、自分を客観的に見つめられるようになる第一歩なのである。
影を否定し続けるよりも、影も自分の一部だと理解したほうが、人は落ち着いて行動できる。
本当に優しい人は、「嫌われる勇気」を少し持っている
「いい人」でいることをやめられない人は、人との関係を壊すことをとても恐れている。
だから頼まれると断れない。
嫌なことがあっても笑ってしまう。
理不尽なことにも「仕方ない」と我慢してしまう。
しかし、その優しさは、本当に相手のためになっているだろうか。
無理を重ねれば、いつか限界が来る。
突然距離を置きたくなったり、ある日爆発してしまったりする。
そうなれば、相手も戸惑ってしまう。
本当の優しさとは、自分をすり減らしてまで相手に尽くすことではない。
時には「できません」と伝えること。
時には「それは違うと思います」と伝えること。
時には距離を置くこと。
そうした境界線を持つことも、人間関係を長く続けるためには必要なのである。
優しい人とは、誰にでも「はい」と言う人ではない。
自分も相手も大切にできる人なのだと思う。
完璧な善人は存在しない
もし本当に、怒ることもなく、嫉妬もせず、誰にでも同じように優しく接し、失敗もせず、いつも穏やかでいられる人がいたとしたら、その人は人間というより、理想像に近い存在なのかもしれない。
現実には、そんな人はいない。
どれだけ尊敬される人でも、失敗はする。
どれだけ人格者と呼ばれる人でも、迷うことはある。
人間である以上、感情は揺れ動く。
だからこそ、「完璧な善人」を目標にすると、永遠に自分を責め続けることになる。
目指すべきなのは、失敗しない人ではなく、失敗しても立ち直れる人。
怒らない人ではなく、怒りを適切に扱える人。
弱さのない人ではなく、弱さを受け入れられる人ではないだろうか。
人間らしさを受け入れたとき、本当の優しさが生まれる
私は、人間らしさとは「光と影の両方を知っていること」だと思っている。
悲しみを知っているから、人の涙に気づける。
失敗を経験したから、挑戦する人を応援できる。
孤独を知っているから、一人で苦しんでいる人に寄り添える。
もし人生が順風満帆で、何ひとつ悩まず生きてこられたなら、その優しさはどこか表面的なものになってしまうかもしれない。
心の痛みを知っている人の言葉には、不思議な温かさがある。
それは、自分の影から逃げなかった人だけが持てる優しさなのだと思う。
だから、自分の弱さを恥じる必要はない。
嫉妬する日があってもいい。
落ち込む日があってもいい。
誰かを好きになれない日があってもいい。
その感情に流されて人を傷つけなければ、それは「人間らしさ」の一部なのである。
おわりに
「いい人」でありたいと思う気持ちは、とても尊い。
けれど、「いい人でなければ価値がない」と思ってしまうと、その優しさは自分自身を苦しめる鎖になってしまう。
人は、光だけでは生きられない。
優しさも、怒りも。
勇気も、不安も。
希望も、絶望も。
そのすべてを抱えながら、それでも前を向こうとする存在である。
だから、もし今日、自分の中に少し黒い感情を見つけたとしても、それだけで自分を否定しないでほしい。
その感情もまた、あなたという人間を形づくる一部である。
大切なのは、完璧な善人になることではない。
光だけを見せる人になることでもない。
光も影も受け入れながら、自分らしく、人間らしく生きていくこと。
その姿こそが、誰かに安心を与え、誰かの心を救う、本当の優しさにつながっていくのではないだろうか。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければサポートをお願いします。
生きるための糧とします。
世帯年収が250万以下の生活をしています。
サポートしてもらったらご飯のおかず代にします!
お野菜買えるかも・・・
あと、ネコのクーラー代とかにもなるのでよろしくお願いします!
生きていく・・・