【アマノ文筆クラブ】ショートどうだ!?【掌編小説】
私の髪は、腰まで届くくらい長い。
小さい頃からずっと伸ばしてきた、大切な大切なものだ。
お母さんは綺麗ねって撫でてくれるし、友達もみんな「羨ましい」って言う。
乾かすのはちょっと面倒だけど、それでも私はこの髪が好きだった。
風が吹くとサラリと流れる感じも、結んだ時の重みも、全部。
――でも。
「俺、ショートの子が好きなんだよな」
耳にしてしまった。
その一言で、世界が少しだけ、傾いた。
放課後の体育館。
バスケボールが床を叩く音が、やけに大きく響いていた。
私はドアの外からただぼんやりと練習を見ていただけだったのに、その声だけはやけに鮮明に耳に残った。
言ったのは、彼だった。
バスケ部のエースで、いつも笑っていて、でも時々すごく真剣な顔をする人。
私が、ずっと密かに好きな人。
誰に言ったのかはわからない。
多分同じ部活の友達に、何気なく言っただけなんだと思う。
でも、その言葉は真っ直ぐに私に向かってきたみたいに感じた。
ショートヘアーが好き。
ただそれだけのことだったのに、胸の奥はじんと痛んだ。
私はそのままとぼとぼと体育館を後にした。
ボールの音も、彼の笑い声も、遠くに置いていくみたいに。
帰り道、私は何度も自分の髪に触れた。
指に絡む、長い髪。
これが好きだったはずなのに、どうしてだろう。
今日はとても重たく感じる。
――切ったら、どうなるんだろう。
そんな考えがふと浮かぶ。
でも、すぐに首を振る。
いやいや、何考えてるの私。
こんなの、私の一部みたいなものなのに。
でも。
もし。
もしショートにしたら。
彼は、少しでも私を見てくれるんだろうか。
何度も考えがループしながら、重い足取りを引きずって帰った。
夜になってもその問いは消えなかった。
鏡の前に立つ。
髪をほどいて、背中いっぱいに広がる黒い流れを見つめる。
綺麗だと思う。
やっぱり好きだと思う。
でも、その奥で別の声が囁く。
――それで、届くの?
私は目を閉じた。
届かなくってもいいって、言い聞かせてきたはずなのに。
ただ見てるだけでいいって、あんなに思っていたはずなのに。
嘘だった。
近づきたかった。
隣に立ちたかった。
名前を呼ばれたかった。
そのために――わたしは何を、捨てられる?
翌日、私は美容室にいた。
白いケープをかけられて、鏡の前に座る。
ハサミを持った美容師さんが、優しく微笑む。
「今日はどのくらい切りますか?」
私は、少しだけ迷った。
息を吸い込んで、一瞬溜めた。
「ショートに、してください」
もう、戻れない。
でも、不思議と怖さよりも、静かな覚悟の方が大きかった。
ハサミの音がちょきん、と響く。
最初の一束が落ちる。
それを見た瞬間、胸がぎゅっと締め付けられた。
ああ、私の髪が。
今までの自分が、全部床に落ちていくみたいで。
でも、止めなかった。
止められなかった。
ただ黙って、鏡の中の自分を見つめ続けた。
やがて、全てが終わる。
「どうですか?」
そう言われて顔を上げる。
そこにいたのは、見慣れない私だった。
首元が軽い。
風が直接当たるみたいで、くすぐったい。
でも。
「似合ってますよ」
美容師さんの言葉に、私は小さく頷いた。
――大丈夫。
きっと、大丈夫。
翌日の放課後。
私は体育館の前に立っていた。
心臓がうるさいくらいに高鳴っている。
逃げ出したい。
でも、逃げたら、きっと一生後悔する。
深呼吸を一つ。
ドアを開ける。
彼はすぐに見つかった。
ボールを持って、ちょうど休憩しているところだった。
私は真っ直ぐに歩いていく。
足が震えているのがわかる。
でも、止まらない。
「……あの」
声をかけると、彼が振り向いた。
一瞬、きょとんとした顔。
それから、少し驚いたように目を見開く。
「……え、髪」
私は無理やり笑った。
いつもより少しだけ明るくて大きな声を出す。
「ショートヘア、どーうだ?」
軽く言ったつもりなのに、声が少しだけ震えた。
彼はしばらく黙って、私を見つめていた。
その沈黙がやけに長く感じる。
だめだ、やっぱり。
そう思った瞬間。
「……正直に言っていい?」
「うん」
「俺さ、お前の髪、長くて綺麗なの、好きだった」
胸がどくんと音を立てた。
やっぱり、って思った。
でも。
彼は少しだけ笑って。
「ショートもめちゃくちゃ似合ってる」
その言葉に息が詰まりそうになる。
「何ていうか……お前、どっちでもいいな。似合う」
ずるい。
そんなこと言われたら。
私は拳をぎゅっと握った。
ここで終わったら、意味がない。
ここまで来たんだから。
もう一歩だけ、踏み出す。
「ねえ」
「ん?」
「私さ」
声が乾く。
でも。
「ずっと好きだった。」
彼の目がまた大きくなる。
「だからその……」
笑おうとしたけど、うまくできなかった。
それでも、何とか言葉を繋ぐ。
「ショートにしたの、半分は自分のためだけど、半分は……あんたのため」
言ってしまった。
全部。
もう逃げ場はない。
彼はしばらく黙っていた。
また、あの沈黙。
でも、今度は逃げなかった。
ちゃんと、彼の目を見る。
「……俺も」
彼がゆっくり口を開いた。
「気になってた」
「え?」
「長い髪の時から、ずっと」
心臓が一瞬止まったみたいになる。
「ショートになってびっくりしたけどさ……」
少し照れくさそうに笑って。
「どっちでも、お前はお前だし」
そして真っ直ぐに私を見た。
「だから、付き合ってほしい」
世界が静かになった。
音がない。
何も聞こえない。
でも、彼の言葉だけははっきり残っている。
「……うん」
やっとそれだけ言えた。
胸の奥がじんわりと温かくなる。
体育館の扉の隙間から、柔らかい風が吹き込む。
短くなった髪が、ふわりと揺れた。
私はそっと、それに触れる。
少しだけ寂しくて、でも。
それ以上に嬉しかったんだ。
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