棺桶に楽しいをたくさん詰めておきたい
何となく長生きしない気がしている。
健康診断で引っかかっているわけではない。持病があるわけでもない。
命の使い方の問題。
書くことは、命を削ることだと実感している。通常であれば向こう側が透けて見えるような削り節で済むのだけど、時折分厚く削れて命の形そのものが変わってしまう時がある。
創作大賞に挑んで以来、わたしはそのような命の形が変わる瞬間というものに直面することが何度かあった。命の形を変える、と自分で決めて書いたものもあったけれど、あとから振り返ると随分削ってしまったなぁと思うことのほうが多く、向こう見ずな性格が災いしているのか、転じて福と成すのかは未だ分からない。
ただ、削った命は戻らない。わたしは命を粗末にしているとは言わないけれど、決して大切にもしていない。
それがいいとも悪いとも今のわたしには判断できないけれど、命の形そのものを変えなければ書けなかったものは、読んで下さった方の心に何かをぶっ刺しただろうと自負している。そういう文章が書けたのなら、命を大切にはせずとも、無駄遣いもしてはいないのではないか。
雨宮まみも、向田邦子も、さくらももこも、老年期を迎える前に彼岸の人となっている。向田邦子は飛行機事故が原因だけれど、運命が変わってしまうことも含めて、彼女たちは命の形を変えるほど書くことに打ち込んでいたのだろう。
好きなエッセイストと同じ運命を好んで辿りたいわけではないけれど、知らず知らずのうちに寄っていっている気はする。まだ何者でもないわたしと比較するのは烏滸がましいということは分かっている。でも、わたしは雨宮まみのように包み隠さず女の性や業を描きたい。向田邦子のように日々を慈しむ中に子供のいない女の悲哀を忍ばせたい。さくらももこのようにいい大人のばかばかしさを面白がりたい。
そんな願望を抱き、実行していく以上、命の形を変え続けるしか、やせ細らせていくしかないのだと嫌でも悟る。
だから、わたしは自分の人生に降りかかるすべてを面白がることに決めた。生涯かけて面白いを集め、楽しいを棺桶いっぱいに満たして焼かれて逝くと決めた。
過去にとらわれて可哀想な自分に酔うよりも、数百倍有益な人生に思える。わたしの人生はきっと短いから、人より早いペースで面白い、楽しい集めをしないと、棺桶を満たすことはできない。
今夜はそのひとつとして、爪を赤く染めることを楽しんだ。選んだのはCHANELの18番、ルージュヌワール。
二度塗りで黒と見紛うまでに深くなる赤は、大人の女性にこそ似合う色。先週までの黄みの赤から衣替えをしたこの指先から、わたしの秋が始まる。
