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子宮の余韻

創作大賞を口実にこんなエッセイを書いて、固定記事に貼り付けています。


これを書いて、どうしたかったのって言われたらどうしたかったんだろうって思ってしまうのですが、まずはわたしがnoteの大海原に飛び込んだ目的のひとつは達成されました。

夫婦のことをある程度あけすけにしないとならないと思ったので、夫には事前に「不妊治療をしてたときのことを書きたいと思ってるんだけどよろしいか」と確認してました。

「え、良いけど。なんで? ティコのnoteなんだから好きにしなよ。いちいち聞かなくていいよ」

ああ、もう、そういうとこ! と思いましたが、わたしの好きなように生きて良いって言いたいだけなんだろうと思い、遠慮せず好きに書きました。
投稿する前に礼儀として夫には見てもらいたいと思ったのですが、それも

「🩷が150くらいついたら読ませて」

夫の目に触れることはないんだろうな、と思って少しホッとしたのも事実。
自分がセクシャルな部分でどう感じていたのか、ドロドロとした情念みたいなものをどんなふうにこねくり回して発酵させていたのか、そういうことを身近すぎる人、それもパートナーに知られるということに関しては、まだもうちょっと腹を括る必要がありそうです。

覚悟決めたみたいな顔した文章になっていますが、やっぱりまだまだ全然でした。
生きている間になんとかなったらいいんですが、でもこのネットの海だけで趣味で文章を書いていくのなら、今みたいな曖昧な立ち位置で漂っていてもいいのかなと思ったり。
趣味以外で文章を書くことなんてそもそもあるのだろうか。
じゃあ曖昧に漂っていてもいいか。
いや、場所によってそのへん変えるのはわたしのためにならないか。
ああ、でもやっぱり夫には読んでもらいたい。
もしかしたら、彼はまだ向き合うことができないのかもしれません。


感想もお寄せいただきました。
自分の記事で、誰かに記事をひとつ作っていただけるなんて、感謝と共に「お手を煩わせてすみません」みたいなところもちょっとあります。
自分が誰かについて記事を作るときは、うきうきで作っているのにね。自分にはそんな価値がないって思考がすぐやってきます。よくない。
卑屈にならず、素直にご厚意を受け取るよう心がけたいものです。






あと、9割9分9厘仕上がってるのにまだ日和っているわたしに対して、投稿直前にマイトンさんがこんな記事を出してもくれました。
この日から、noteを開いては泣かされてばかりいます。



そして共同運営マガジンのオーナーさんたちにも、見守っていていただけてました。

引用のコメントに「作家の矜持」。にやけました。作家。作家かぁ……。
いつか本が出せたらいいな、いやきっとわたしは出せる。紙の本を。と最近思いはじめています。
脳みその中身ダダ漏れているでしょうか。それともナオさんはエスパーなのでしょうか。多分後者。
こちらの記事へのコメントの返信も、嬉しかったです。
なんて言われたかは内緒(内緒も何も飛んだら見えるんだけど)

『わたしの子宮は胎児を殺す。』最後の部分、引用していただきました。
どうやって書こうか、最後まで悩みました。もっとふわふわした、光属性のもあった。
でも、あえて直接的な言葉で正面から投げました。そんなに綺麗なもんじゃないだろって。
それを記事紹介というある意味パブリックな部分で出してくださる、その心意気が嬉しかったです。
これってきっと、たこせんせの覚悟なんだろうなと思いました。


路地裏の報告書と通信も。いつもありがとうございます。


アホみたいなのをいっぱい書いて欲しいと課長には言われましたが、まだ子宮の余韻から抜けきれていないようです。
俳優さんは、重たい役をやるとそれを抜くのが大変だって聞いたことがあります。
多分あんな感じで、自分の書いたものの毒気に当てられています。

アホティコ迷子です。
昨日アホ探しの旅に出ましたが、家にある本を重複して買ったことくらいしかアホっぽエピソードがありません。
それは何かというと、新潮文庫版の『刺青・秘密』(谷崎潤一郎)です。
持ってたことを知りませんでした。誰が買ったんだろう。過去のわたしか。我が家は実家含めてわたししか本を買わないので。読んだ記憶もないけど。

文庫本の値上げ地味にえぐくないです?


ゆっくり、アホみたいなのも書けるわたしに戻っていきたいです。
アホに戻れなかったらいっそ、小説でも書こうかな。
1000字くらい書き出してるのは実は既にある。

「オチがつかない」という本来の使い方に立ち返る


私信:コニシ木の子様

課長をネタにコングラボードをいただくのは、もはやお家芸になりつつあります。
これからもネタにさせていただきます。ありがとうございます。







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