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Blanky Jet Cityから紐解く『新世紀エヴァンゲリオン』25.26話

未だ『シン・エヴァンゲリオン』を観ていないけど、テレビ版の25.26話という最終回がいちばん納得のいくカタチだったというハナシを、ブランキー・ジェット・シティという大好きなバンドのことを交えながら書こうと思う。

たしかに24話までがものすんごくおもろかったが故に、初見(1週間前)は面食らったし、全くワケがわからなかった。たぶんネタバレされていない全てのエヴァンゲリオン通過者と同じように。

このグッチャグチャな感情を例えるなら、シュタインズ・ゲート0のキツい回をエンドレスエイトしたかのような、「え、えぇぇ...」って言語能力ゼロになってしまう感じ。

だから旧劇場版をすぐに観た。解決したかっただけじゃなくて、やり場のない感情を消化して欲しかった。それに月1エヴァQの上映にも間に合わせたかった。

結論、ほかの人と同様、わからないという事実だけどが分かり、感情の行き場が余計になくなってしまった。

そこでふと思った。TV版は1995年放送か。
だいたいブランキー・ジェット・シティの活動と同時期か。

つまり『新世紀エヴァンゲリオン』は新世紀目前の、世紀末のオハナシということ。

妙に腑に落ちた感じがした。そうか、これは世紀末のどうしようもなく殺伐とした時代に描かれたストーリーなのか。そう思うと、たしかにそんなよくわからないどうしようもない結末を描いた作品が、小説にしても音楽にしても多かった時代のような気がする。

リアルを描きたかったのかな、みたいな。ご都合主義で世界よりも身近な大切な人を選んで、結果的に世界も救われるって素晴らしいストーリーが世の中に溢れてるけど、現実の非情さから目を背けてはならないと。俺たちは20世紀と共に滅ぶかもしれないんだぞと。

実際には世紀末の終焉なんてこなかったとはいえ、21世紀という厳しい時代が始まったことに違いはなかった。

それでも“生きる”ことの素晴らしさを伝える母の言葉と最後のメッセージは、心強いものであったし、綾波の「ちこく、ちこく〜」は個人的に得した気分だった。

そして、『エヴァンゲリオン』という伝説を忘れられないアニメーターがエヴァの作風に引きずられ、『Blanky Jet City』という圧倒的な才能に打ちのめされたアーティストが、今もアンダーグラウンドでプレイし続けている。

圧倒的に優れた不朽の名作を前に、私たちは平伏し焼き直すことしかできない。そしてそれは、絶頂期を過ぎた作者本人さえもそうせざるを得ない。

思うに、新劇場版はTV版の妄想の世界と旧劇場版の叫びにストーリーを載っけただけなのではないのかと。

それにしても音楽で考えると80年代までは最近な気がするのに、2010年以前のアニメは古いものに感じてしまうのが不思議だ。それだけアニメーションの技術が飛躍的進歩を遂げているのかもしれない。

それじゃまた今度、新劇場版のハナシをしようかな。

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