アンドロイドに愛情を感じるのはキケンな倫理観なのか?
なんかね、アンドロイドに対して愛情とか持ってもいいなって、思っちゃったよ。
映画名『ブレードランナー』の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』。読む前でも読んだ後でも結局タイトルの意味がわからないこのSF名作小説は、たしかに名作中の名作だと言い切れる、小説としてすごすぎる作品。
タイトル名の意味を自分なりに考えて、この“夢”ってやつは、寝ているときに観る夢ではなく将来の夢なんじゃないかって読んでる最中に思った。この説は英題に“Dream”って単語が入ってるから間違いなんだけど、アンドロイドのように将来のことに関しては、自分に不利益を被らないような行動をするのみの、あえてここでは“生物”って言わせてもらうんだが、生物でも電気羊を飼って見栄を張ることがあるのかって意味だと思ったのね。人間みたく。
この世界ではたいていの地球人は他の星に移住してて、移住する際に奴隷アンドロイドを特典でゲットできる。そして、地球に残ったヤツらは地球に逃亡してきた賞金首のアンドロイドを破壊したり、アンドロイドをアップデートさせて制作したり。バウンティハンターとアンドロイド制作会社とで、アンドロイドだと見極められるかのイタチごっこをしている。
しかも、地球からほかの星に移住させているのは地球には放射性物質バリバリの死の灰が舞っていて、多くの動物が絶滅している。だからこそ、本当の動物を飼っている人たちが権威を誇示できて、電動で本物そっくりな電気動物を飼って体裁を保つ人がいる。今でいう時計やクルマみたいなもんかな。
男は動物を自慢げに飼い、女は世間話で自慢する。けど、たったそれだけのシンプルな話じゃなくて、SFとして魅力的な感情を切り替えさせるオルガンや意識を共同させる宗教的なマシーンもある。だからこそおもしろい。
ロボットじゃないんだな。アンドロイドっていう生命体なんだよな。
ニンゲンとは違って本当に殺されそうになった時には悪あがきしないし、ヒトや動物の虐待に対しての反応が希薄で、反射の機能がないから一定時間を回答に要するけど、愛することもできるし愛されることもできる。
イヌやネコみたいにヒトの気持ちがわかるようなそぶりもあれば、意思をもって命令に背いたりもする。それは感情に似たナニカで、植物にも感情に似たものがあるだろうとヴィーガンとの議論の場で出てくるように、アンドロイドという生物にも感情があると言ってもよいのではないか。
だから、愛し愛されても、生物として分類してもいいんじゃないかと思える。ただしこれは、危険な思想足り得るかもしれない。
倫理観を養ううえでぜひともおすすめしたい一冊だ。
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