【哲学なんていらない哲学 あの】自分の生き方で生きていく。
努力しているつもりでも、努力不足を突きつけられる厳しい世の中を突きつけられる世界には、ドキリとさせられる。言い訳まがいの現実逃避。努力したんだからとプラスのズルをして、その結果が見合ってると思い込む。
真面目すぎるヤツはバカをみる。
けれど、ズルの塩梅をミスすると社会的立場を抹殺される。
真面目さ・ピュアさを突き抜けると聖人として、才能として評価される。
真面目さを偽っても、ウソをつき続けるとそういうキャラになる。
こんなことを書くと、世の中なんてクソじゃんと思ってしまう。なにをしようと、ボロを出せば叩かれる。
真面目だろうとウソつきだろうと、突き抜けて他人の評価としてそれが才能だと思わせるしかないのに。世間に出始める頃には、キャラ作りだと言われるだろうし、神格化されすぎるだろうし、妬まれ憎まれ。“才能”なんて無慈悲な二文字で表現されてしまう。
残酷な世の中だ。けれど、“才能”という言葉で片付ける、二元論か三元論でしか考えられない人から搾取する側になれるという側面も自覚しなければならない。
三元論を超えてモノを考えられるようになる。もしくは、自分の身ひとつで一元論的に突き抜ければ成功する世の中でもある。ちょろいセカイ。
それじゃあ、「勝手に生きる」しかない。たまには他人の力も必要になるけれど、自分主体でやりたいように生きるしかない。
真面目と言われようが、社会を舐めていると言われようが、「勝手に生きる」。
どうせ誰しも、“ないモノねだり”なんだ。誰しもが誰しもに対して羨ましく恨めしい。
そう、“才能”すら誰かが決めてくる世の中なんだ。
だから自分の生き方で人生を生きる。あのちゃんの『哲学なんていらない哲学』の読後感にそんなことを思った。
この本を単に“自己啓発本”といってひとくくりにするには、あまりにも私的で詩的で。単に“エッセイ”というには、恨み復讐という物語以上に背中を押してくれる生き方そのものであって。
たしかに“哲学”そのものなのかもしれない。小難しい話のない、令和の“哲学”。
文章を書く人は一度は読むべきなんじゃないかな。言葉への感情の乗っけ方、オリジナリティのある文章、常識の外側的なストーリー仕立て。大人のチカラの介入を疑うなんて、意味のないことはやめておいたほうがいい。
自分のこの記事も影響を受けていて、似たような構成や言葉選びになっているところが多々ある。そういう意味では、読まないほうが自分を保てるのでいいのかもしれない。
後半のほうが誰しもの抱える生きづらさとの向き合い方だったり、生き方のひとつが書かれているから、より実践的とはいかないまでもなにかしら得られるものがある。でも、特に文章が光っているのは最初の“復讐”のオハナシ。むき出しの感情で臨場感があり、あまりにもリアル。つい自分の過去も思い出して、爆発的なエネルギーが胸の内で爆発していることに気が付く。このエネルギーを使えば何でもできそうな気がする。
そう思える自己啓発本って世の中にほとんどない。ちょっと鼓舞されてモチベは上がるかもしれない。けど行動に至るまでの衝動は得られない。対して、負の爆発的感情ってヤツは持っちゃいけないと教わってきたからこそ、行動するに足る原動力になる。
無意味だと言われても貫く。そして、意味のある人生だと自他ともに認めさせる復讐劇。定価に惑わされずに、“高橋歩”以来の衝撃を。
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