あとがき
──「成熟」という名の、やわらかな火
私には、この国(日本)が「大人の成熟」をどこかで諦めてしまったように見える。
成熟とは何か。
それは、失うことを受け入れる力だと思う。
若さも、夢も、親も、愛も──いつか必ず、私たちの手からこぼれ落ちていく。
けれどこの国は、その喪失を直視しようとしなかった。
「老いない」「壊れない」「失わない」幻想ばかりを消費しながら、
永遠に子どもでいられるかのようなふりをしている。
だからだろうか。
喪失のたびに、私たちは過剰に反応する。
スキャンダルを断罪し、過ちを排除し、誰かの弱さを許さない社会。
ニュースを見ていて、私はときどき息苦しくなる。
「ああ、みんな、失うことが怖いんだな」と思う。
でも、本当の成熟とは、失うことを恐れず、
その中にある痛みや弱さごと、誰かを受け入れる力ではないだろうか。
それは誰かを許すこと。
もう戻らないものを抱きしめながら、それでも生きていく姿勢。
喪失を通して、人はようやく他者の弱さを理解できるのかもしれない。
私の中で、そのテーマはいつの間にか根を張っていた。
喪失と向き合うたびに、私の中に、ゆっくりと火が灯っていった。
それは激しい炎ではなく、料理の鍋を温めるような、
身体と心をほぐすような、「やわらかな火」。
私は、その火に照らされながら書いている。
成熟を諦めた社会の中で、それでも誰かの弱さを受け入れ、
静かに愛し合える世界を、物語の中に探している。
喪失の先に、ほんの少しの再生を描けたなら、それが私の願いです。
青葉あおい
