漫画のススメ②〜辺野古の事故に関連して、「良心」について〜
ご遺族noteに、磯野氏という方の、平和学習での講演内容ついてのご記載がありました。
自己のバックボーン、良心から、ベトナム戦争に反対をするために基地の武器を破壊した者がいる。行為自体は違法行為だとしても、果たしてそれを杓子定規に咎められるのか?という磯野氏に対して、生徒が非常に本質をついた質問をする。バックボーンの詳細はわからないが、悲惨な戦争体験や、出自、基地で働くことの葛藤、などと推測する。
なお、本記事において記載されている、実在の人物に対する誹謗中傷の意図は一切ありません。
質問 全軍労が地下組織から始まったと。基地で働く人たちがベトナム戦争に反対するために武器を壊したり、抜いたりとか。今も基地反対運動は非合法かもしれませんが、彼らの運動が非合法だということではなかったのか。当時も、今も。少なくとも武器を壊すのは合法ではないですよね。
磯野 そうでもしなければ良心が保てなかった。確かに物資を抜いたりという話は出てくるけども、それを非合法だと責められるかどうかは、どうなんだろう?
質問 今の政府のやり方は間違っていると思って非合法な措置をとってもいいということですか?
磯部 どういうことを非合法というんですか?
質問 その当時の法律が正しいかどうかは別として、当時の法律で禁じられていることをする。当時からすると違法ですよね。おかしいと思ったら、それに反対する、そういう違法行為をやっていたことについて、どうお考えですか?
磯野 物資を壊したこと、それは間違っていると思う?
質問 少なくとも、その当時の法律がある限りは。
磯野 意思表示をすることは大事なことであって、違法行為というのは、杓子定規にいえば法律の違法行為かもしれないけど、そうしなければ気が済まなかった人たちがいるわけですね。その人たちに対して「あんたたち違法だ」と断じることが、なぜできないかという説明を、この人たちのバックボーンがどうだったのかということを説明してきましたけど。
質問 そのことは結果論であって、その当時の法律を守らないことは違法ではないですか。今、違法行為をしても、その人の良心を果たすことは正しいことですか?
先生 この話を通して考えることができたと思いますが、ちょっと水掛け論になる、それぞれの基準がありますし、それをこれから研修していく中で自分が見ていくものを考えることが、その基準にあてはまることかどうかを、この研修の中で考えてもらいたいと思います。「考えましょう」ということで、一旦終わらせていただきます。
私はここに、良心という言葉が出てきたことがとても気になりました。
広辞苑第7版を引いてみます。
何が善であり悪であるかを知らせ、善を命じ悪をしりぞける個人の道徳意識。
「―がとがめる」
私の良心についての解釈は、広辞苑とすこし違うと思いました。
良心について考えることができる漫画に、「イムリ」という作品があります。三宅乱丈先生による、第13回(2009年)文化庁メディア芸術祭マンガ部門を受賞された傑作です。緻密に練られたSF設定とストーリーを、独創的で美しい絵柄とタッチで描いています。
複雑に練られた設定とストーリーですので、私などがおこがましいのですが、あくまでも個人的に、要約します。完全なネタバレですので、読んでいる最中の方や前情報なしに読みたい方はどうかお戻り下さい。
マージとルーンという2つの惑星に、3つの異なる民族が存在する世界。支配者民族「カーマ」は「賢者」と呼ばれる、カーマの象徴かつ最高権力者のもとに、「イコル」と呼ばれる奴隷民族を最下層とする身分階層社会を作り、4000年もの間にわたり栄華を誇っていた。
カーマの上級階層である「呪師」は、「侵犯術」と呼ばれる、他者の心と自由意志を奪う術を操ることで、イコルを奴隷化し、下級階層を支配していた。また、上級階層同士でも、いつ自分が奴隷化されるのかと、嘘や欺瞞に溢れた疑う心ばかりの社会になっていた。
ルーンの原住民族である「イムリ」は多数の部族に分かれ、大地と共に生きる暮らしをしていた。4000年前、カーマとイムリは戦争を行っていたが、イムリが勝利してカーマをルーンから追い出した。このとき、カーマに寝返ってカーマを助けたとする伝説のイムリ、「覚醒者」が賢者となり、その後代々に渡りカーマを治めていた。賢者がイムリであることは、上級階層だけの秘密であり、賢者本人にさえも知らされていなかった。賢者の純潔のイムリの血脈は、4000年間、秘密裏に守られていた。
4000年前、イムリはイムリの血統がないと使えない「道具」と呼ばれる特殊な兵器を用いて戦ったが、文字を持たないイムリはかつての戦争と道具の存在を忘れて、ただ道具についての歌が伝わっているのみだった。イムリを勝利に導いたのはカーマの侵犯術に完全に打ち勝つ、「抗体」と呼ばれるイムリの血統にしか使えない道具があったからだった。賢者のイムリの血脈が秘密裏に守られた理由は、ここにあった。
時は流れて4000年後、当時の賢者は、長年自分が賢者の血筋を持つものだとは知らされず、隠されながら賢者に仕える「従仕」としての教育を受けた、平民階層「群民」出身の若者であった。教育を受けさせたのは、その若者を賢者に据えて、自らも権力を得ようと目論む「デュガロ呪大師」だった。権謀術数の末、その若者は、ある時突然自分が賢者であることを知らされ、即位する。
イムリを支配して奴隷階層としようと、こっそりと戦争を始めたカーマであったが、イムリは道具の歌の謎をとき、再びカーマに勝利した。そして、最初の和平交渉の場に現れた賢者に、賢者自身が実はイムリであったことが明かされる。しかし、賢者はたとえ自分がイムリであろうと賢者としてカーマのための和平交渉に臨むと話す。
イムリは賢者に、「自分がカーマじゃないとわかってもまだ賢者を演じるつもりなのか?」と問う。その問いに、賢者は答える。
「演じる?」
「私は演じてなどおりません」
「私は『ただの私』であり続けるだけです」
「私は最初から何者でもなかったのです。従仕となるべく学んでいたただの群民でした」
「それがある日突然賢者であると告げられたのです」
「この私が隠されて育てられた賢者であると…」
「従仕になるためだとデュガロ呪大師に受けさせてもらっていた教育は全て、私が賢者になるためのものだとその時に気づきました」
「最後に教えの全てを疑えと言われ、その教育の目的は支配されぬ心をもつためのものだったと理解したのです」
「そして賢者となり私は決意したのです」
「賢者の身分に心を囚われてしまえば身分に心を支配されてしまう」
「支配されぬ心を持つためには何者かであってはならないのだと」
「たとえ私が一介の群民であってもまたは賢者であっても」
「決して何者かにはならずいてただ自分の本心に耳を傾けよう」
「私は唯一自分自身の良心だけに従うのだと」
「ですから私がイムリであろうとなんの変わりもありません」
「私が何者であろうとも私はカーマの民のために全力を尽くしたい」
「どんな立場であってもその時の私にできる最善のことをしていきます」
「そうして生きていけることが私の誇りであるからです」
「何者でもないただの私が本心で願っている生き方なのです」
私がこの作品から学んだ「良心」とは、
「自分の立場や身分などに縛られない、善悪を判断し善をつかみ取る自然な心の働き」
です。
さて、良心について考えるとき思い浮かべることとして、個人的なエピソードですが、もう一つありました。
学生時代に、『なぜ人を殺しても「よい」のか』というタイトルの現代文の教材がありました。たしか、「何故人を殺してはいけないのか」と、そのような問いをしてくるような若者がいるのか、ということを反証論的に考える倫理学的、論理学的な文章だったかと思います。
詳細は覚えていませんので、間違っていたら申し訳ありません。
この教材を学習したあとに、ある1人のお調子乗りの学友が、他教科の先生に向かって突然に、「先生、何故人を殺したらダメなんですかー?」と聞きました。
先生は一瞬だけ困ったような顔をしたあと、
「自分が殺されたくないからじゃないかな」と言いました。
今思い返すとですが、この場面、この答えには、先生の良心の働きがあると思いました。
何故なら先生には、先生として生徒を納得させるための教育的で道徳的な答えを準備する時間がまったくなかったから。
自分の立場や身分に関係なく、ただ心が自然に善悪を判断して、そう答えた。
「自分が殺されたくない」
↓
「だからこの人も同じく殺されたくはないだろう」
↓
「だから殺さないのだ」
この判断を、合理的な理由などを必要とせず、瞬時にできる。これこそが良心の働きではないか。そして、この良心こそは、心を持つ人間である限り、全ての人が持っていると私は信じます。社会的生活を行うヒトが進化させた、社会を良く保つための心のシステムだと思います。
良心の働きが弱くなってしまうときとは、なにかの理由で身分や立場に心を囚われた状態や、戦争状態、心の病などが考えられるのでは、と思います。
(心の病を抱えられた方を揶揄する意図はありません)
さて、良心とは何か、という疑問の出発点であった、
「自己のバックボーン、良心から、ベトナム戦争に反対をするために基地の武器を破壊した」
という、磯野氏の言う場面について考えてみます。
磯野氏の指す「バックボーン」とは、その人の精神的支柱、またそれを形作る要素、つまり「これまでの人生での体験や、出自」などではないかと推定します。
そして、私の考える「良心」の働きをこの場面に期待するならば、
まず、「他人の所有物を破壊すること」を善とする人はおそらくいないと思いますので、「破壊しないこと」を善とします。
そうすると、
「自己の体験や出自から、ベトナム戦争に反対するために武器を破壊しようとしたが、良心がそれを咎め、破壊することを留まった」
となると思います。
「良心が、自己の体験や出自という、自分を縛る要素から心を解き放ち、自由にしてくれて、善をつかみとった」、とも言い換えられます。
「武器そのもの」を純粋な悪と考える方もいらっしゃるかもしれません。
そうすると、またややこしくなってしまうのですが、それについては「剣のない世界」を目指した戦士トルフィンの物語、前稿でご紹介した「ヴィンランド・サガ」で、考えることができます。
磯野氏の言う、良心とは何だったのか。
他人様のお考えを勝手に語り決めつけることなど許されませんが、教育の場ですので、自分が正しいと信じる価値観、つまりは「主義」や「思想」ではなかったことを、願うばかりです。
繰り返しになりますが、磯野氏の人格を否定したり、誹謗中傷をする意図はありません。
また、発信などではないただのチラシの裏の落書きのような記事ですから、そもそもそんな価値はありませんし、する方などいないと思いますが、記事の拡散・転載などはどうかされないようにお願いいたします。今、読んでくれた方に私の考えが伝われば、それだけで十分です。
なにせ、「漫画の政治利用だ」などと言われては、困りますので、、笑

