「人のため」の「薄っぺらさ」を、仏教と科学はどう考えるのか、説明しよう。
注)これは仏教も科学も
鼻くそほじった程度の
私のフィクションなので
真にうけないでください。
あなたは、心の底から「人のため」に動いていますか?
私たちが、
ついつい赤の他人のために
相談にのったり、
ご飯をおごったり、
ボランティア活動にいそしむのは、
何故でしょうか。
その心の裏には、
なにかそれを回り回って
自分の利益にしたいという
よこしまな考えはありませんか。
本当にないといい切れますか。
こーんなことを考える変態さんが
私含めいつの時代もいるようでして、
まずは仏教を代表して、
平安時代のお坊さんである
「親鸞」さんに聞いてみましょう。
親鸞 「おまえら全員、煩悩だらけの悪人だ!」
私「あの〜〜、急に、みんなを敵に回すような発言は、、、」
親鸞「いいんだ!」
私「えええ」
親鸞「そもそも自分が善人だなんていう奴はな、
自分が良い行いができるって
勘違いしちゃってる、
イタいやつなんだよ。」
私「そうですか??
でもボランティアとか頑張ってる人って
どうみたって善いことしてるじゃないですか。」
親鸞「そもそも君は
何が善いことか、何が悪いことか
その見分けがつくのかい?」
私「それくらいつきますよ、
人を助けることは良いことです。」
親鸞「ほーう。
じゃ私のことも助けてくれ。
どうか、人を千人殺してきてくれ。
私はそしたら、大変助かるから。」
私「、、、え??
急になんで千人殺さなきゃいけないんですか。
それってそもそも人を助けるどころか苦しめているでしょう。」
親鸞「ほーう。つまり、私を助けることは
必ずしも善いこととは限らないんだな。
このように、世の中の人間というのは
「善悪」の判断すらまともにできていないんだ。
だから、「善い行い」なんてそもそもできっこないんだよ。」
私「いささか極論のような気もしますが」
親鸞「私が言いたいのはな、
自分の本質は、煩悩だらけの悪人だと気づくこと、
それがわかった人こそ、
人生うまくいくってことなんだよ。」
親鸞が平安時代に説いた、
人間は、「本質的に煩悩だらけの悪人」説は
科学とどのように結びつくのでしょうか。
ドーキンス 「遺伝子って利己的なんです」
私「あの、、まず、あなたは誰ですか?」
ドーキンス「私は生物の進化を研究している学者です。」
私「なるほど、ちょうど聞いてみたかったことがあって。
日本のあるお坊さんが、人間は本質的に煩悩だらけの悪人なんだ!
って言ってたんですが、どう思いますか?」
ドーキンス「なるほど。言葉の定義は異なりますが、
科学の世界でも同じような発見がありますよ。」
私「ええ!どういうことですか??」
ドーキンス「まず、そもそも、ヒトという生き物は仲間同士が助け合う、利他的な行動が多くみられる動物です。この行動は、自分の子孫を残すという意味では、一見ムダなようにみえます。しかし、たとえばお互いが助け合うことで、食物が一人の時より多く得られるのであれば、助け合った方がいいんです。」
私「みんなでマンモス狩りをしたりということでしょうか?」
ドーキンス「そういうことです。」
私「じゃあ、人間は悪人どころか、助け合う善人じゃないですか。」
ドーキンス「私たちの行動レベルではそうなんです。利他的なんです。ですが、遺伝子の視点に立って考えると変わるんです。」
私「どういうことですか?」
ドーキンス「ダーウィンに始まる、さまざまな進化の研究から、ヒトを含むすべての生物は、より環境に適応できた個体が自然淘汰を乗り越えて生き延びてきました。これは遺伝子の視点にたってみると、遺伝子自身が自分が次世代に残るように巧みに個体を変異させているように見えるということなのです。」
私「ように見える?」
ドーキンス「遺伝子には感情や意志はありません。しかし、さまざまな自然淘汰を乗り越えていく過程で、結果的に残った遺伝子は、生物の行動を、自分の遺伝子が最も子孫に引き継がれるように、裏でコントロールしているように見えるということです。その行動が、ヒトの場合、仲間を助ける直接互恵性、すなわち利他的な行動に表れています。つまり、個体としては利他的ですが、遺伝子としては利己的なのです。」
私「なるほど。。これがあのお坊さんとどうつながるんでしょうか。」
ドーキンス「私は宗教を信じていませんが、もしかしたら彼が言いたかったのは、人間の本質には、あらゆる生物が免れない、遺伝子に書き込まれた利己的な性質があるということ。そして、この遺伝子が、巧みに利他的な行動を人間から引き出してきたことではないでしょうか。」
最後に、私の仮説:「親鸞の説いた悪人性」=「ドーキンスの解いた遺伝子の利己主義」なのでは?
仏教と科学は、
よくいろいろなところで
結び付けられます。
日本において、
仏教は中世のアカデミアであり、
科学は現代のアカデミアです。
そのふたつが、
同じことを解き明かそうとしていても、
何も不思議ではないと思います。
