もっと生身でいたい
2025/03/15
仕事をはじめてもうすぐ1ヶ月たつ。ここまでの仕事の状況と感想をまとめておきたい。相談事業所の補佐として入職して以来、怒涛の書類業務に追われている。その合間に、ときたま事業所や利用者宅への訪問同行の仕事があるが、ほとんどの時間は事務処理に必死だ。そのうちの半分くらいはなんとか覚えたとおもう。
この仕事は相談員がスムーズにうごけるようにするため、より多くの時間を利用者とむきあうことに使うため、必要なことだ。直接的には上司のためであり、ひいては利用者のためになることも理解はしているが、満ち足りていないのが事実だ。肌で利用者と接して、言葉や体温を介して支援する時間がすくなすぎる。書類を数枚挟んだだけでも、本人が発した憂いの温度は濁ってしまう。
濁った温度の悩みや課題点を個別支援記録や計画案にまとめていくが、不安になる。これでいいのか。もっと大切なことを見逃してはいないか。直接話をきいた相談員ならわかるかもしれないが、メモやヒアリングシートをもとに書類作成するだけではわからないことがたくさんある。それが悔しい。まるで蚊帳の外にいるようで。新人として傲慢なのはわかる。すべてがやりたいようにいくわけがないことも理解している。だけどときにそれが我慢ならないこともある。
もやもやを言語化していくと、やりたいことは「当事者と直接ふれあい、語らい、一緒に課題にむきあうこと」なのだとおもった。これまでの現場でしていたように。いまは当事者からあまりにも遠い。精神福祉の仕事ならなんでもいいというわけではないというのはひとつの発見だった。
わたしにはわたしなりの好きなことがあり、ただ単にお金のためとか、この業界に身をおくためではなく、利用者としたいこと、仕事でやりたいこと、成したいことがあると気づくことができた。
書類業務は確実に現場の下支えとなっているし、まだまだ紙文化の福祉業界において、煩雑になりがちな書類を適切にまとめておき、いつでもひきだせるようにしておくのは、業務上とても大切なことだ。上司のために仕事しているようで、間接的に利用者のためであることもちゃんと理解できる。だから辞めたいとか、この仕事をやりたくないとかいうわけではないのだ。ただ、もうすこし時間があれば、生身の支援に関われるのに。
もっとはやく書類を処理できるようになったら、もう1日でもシフトを増やせれば、そういった時間ができるだろうか。いまの仕事が不満というわけではないが、物足りないのは事実だ。このまま1〜2年働いているあいだに、生身の支援の感覚を忘れてしまいそうで怖い。上司とうまく相談して、仕事量を調整してもらうほかない。たぶんこのもやもやを抱えて長期間働くことは難しい。
精神福祉の仕事はすきだけれども、そういう全体的なことではなくて、やりたい業務やじぶんの得意分野をみつけられるというのは、これ以上なく嬉しいことだ。この世界に足を踏み入れて7年、ようやくじぶんの掴みたいものをみつけられたことはたいへん喜ばしい。
でも、同時にすこし怖くもある。最初から情熱をむけられる仕事ほど、はじめのうちに体力・気力を使い果たしてしまって、すぐに潰れてしまうことが多かったから。これまで繰り返してきた失敗をまたしたくない。それはとても怖いことだ。
何度も潰れてしまうのは心身ともに疲労が激しく、自己肯定感や自尊心が削られる。ようやく時間をかけて復職し、よい職場にめぐりあったのだし、いまの手厚いサポート体制がある。だのに、それでも繰り返してしまうなら、わたしはこの先、どのようにしたら状況が好転するのか見えなくなってしまう。それだけは避けたい。
なにごともバランスがだいじなんだ。仕事とプライベートをきりわけ、バウンダリーを適切にまもりながら過ごすことがだいじ。同僚のひとりでもいれば、積んでいる仕事もすすめてもらえるだろうと安心して休むかもしれないが、いまの職場に補佐はわたしひとりしかいない。わたしが1日やらなければ次の出勤日にタスクが山積みになっているだけで減ることはない。そう考えると安易にやすむわけにもいかない。すこしずつでもいいから身体を慣れさせて、つづけていければと思う。
ひとまずは3月のシフトをしっかりこなしたうえで4月以降に向けて業務量の調整をはかりたい。これまでお世話になってきた相談員の知人に連絡して、悩みや困りごとをフラットに吐き出すことができているのはとてもありがたい。支援以外の相談の場を持ち続けていけたら、今回の目標である「短期離職を防ぐ」ことが可能だろうか。
願わくばそうなってほしいな。
