2-1. 大手企業を退職し、ワーホリを選択した理由
私は東京工業大学(現・東京科学大学)の大学院を修了し、新卒で日本の有名大手企業に就職した。配属先では、希望していた特許権利化を担当した。
特許権利化とは、理系の頭で技術を理解し、それを法律と文章の力で「権利」に変えていく、そんな仕事だ。これは、まさに「理系×文系の融合」という言葉がぴったりで、私が憧れていた仕事だった。
とはいえ、入社当初は文章力の未熟さに苦しんだ。特許明細書の一文一文には、後の権利範囲を左右する重みがある。丁寧に検討する必要があるが、新しい案件は、どんどんやってくる。慎重さとスピードの両立に悩みながら、何度も壁にぶつかった。
それでも3年が過ぎるころには、ようやく自分なりの手応えを感じ始めていた。職場のメンバーは、人間的に素晴らしく、環境には何の不満もなかった。
それでも、心の奥に小さな違和感が残っていた。
「この仕事を一生続けたいか?」
そう自分に問うと、どこかで答えに詰まった。
私は、まさに“質と量のはざま”に立たされていた。
1文の曖昧さが権利範囲に直結する一方で、会社全体では膨大な案件処理を求められる。
一つの明細書に時間をかけるほど、他の案件が滞る。効率を優先すれば質が落ちる。
その葛藤の中で、いつしか「もっと早く文章が読み書き出来る他の誰かがやった方がいいのでは」と思うようになっていた。
同時に、自分が“日本のサラリーマン”という枠の中だけで生きていることにも気づいた。
与えられたルートを真っ直ぐ歩けば安定は得られる。けれど、自分の視野がどんどん狭まっていくような気がして、漠然と将来が怖くなった。
そんな中、プライベートでは彼女との結婚を意識し始めていた。
「結婚してからでは、自分ひとりの意思で退職なんてできない」
――そう感じた瞬間、胸の中に焦りが走った。
安定したキャリアを積むことも大切だけれど、まだ見ぬ世界を知らないまま終わるのは嫌だった。
幸い、私の実家は小さな家業を営んでおり、将来的に戻るという選択肢もあった。
そのため「一度、外の世界を見てから、実家に戻ってもいいのでは」と思うようになった。
そんなとき、ふと頭をよぎったのが、ワーキングホリデー(ワーホリ)だった。
学生の頃から興味はあったものの、ずっと実行には移せていなかった。
調べてみると、申請可能な年齢の上限は30歳。私は当時29歳。
――「今しかない」と、心が決まった。
最初に思いついたのはオーストラリアやカナダだった。しかしワーホリでの渡航者が溢れて仕事が見つからないらしいという噂を耳にした。次にイギリスを検討したが、抽選が必要で応募時期は過ぎていた。
その後にEU圏のワーホリを探し始め、見つけたのがオーストリアだった。
ドイツ語圏だが、首都ウィーンでは英語も通じるらしい。申請費用はなんと無料。
そして、何よりクラシック音楽が根付く街――芸大出身で楽器を演奏する彼女(現在は妻)には、これ以上ない環境だった。
「新婚旅行を兼ねて行こうか」
そんな冗談のような言葉から、私たちの新しい人生の計画は始まった。
申請を本格的に進めるうちに、ネット上には情報が錯綜していることを知った。
その経験をきっかけに、自分の申請記録や調べたノウハウをNOTEにまとめて発信するようになった。
退職、結婚、渡航準備、実家への就職交渉――思い返すと、あの数ヶ月は人生で最も忙しく、濃密な時間だったと思う。
そして何より、そんな私の自由奔放な行動を、否定せず受け止めてくれた妻の存在が大きい。
英語もドイツ語も話せないのに、「面白そう」と言ってついてきてくれた。
あの時、彼女が一緒に歩んでくれたからこそ、私は“安定”を手放す決断ができたのだと思う。
大手企業を辞めたことを、後悔したことは一度もない。
それは「安定を失った」選択ではなく、「自分の可能性を取り戻した」選択だった。
この経験を通して、社会のレールの外にも多くの道があることを知った。
そしてその一歩を踏み出す勇気をくれた人を、これからもずっと大切にしていきたい。
完
(少しだけ自分の話をしてみました。内容がうまくまとまっていないかもしれません。人生の決断に悩んでいる方に、勇気か何かを与えられていたら嬉しいです。)
