カーシートの思い出──あの時、カーステレオから流れていた音楽
後部座席、助手席、そして運転席へ。
流れる音楽とともに、家族の時間も少しずつ変わっていきました。子どものころからの音楽の記憶をたどる中で、ふと思い出したのが
――家族と過ごした「車の中」の時間です。
幼いころ、父の運転する車には、いつも数本のカセットテープがありました。荒井由実やビートルズがよく流れていて、小学校低学年の頃までは後部座席にちょこんと座り、カーステレオから聴こえる音楽と、前席の両親の会話を聞いていたのを覚えています。
父は平日は仕事で忙しかったけれど、休みの日にはよくドライブに連れていってくれました。名古屋近郊の行楽地や、少し足を伸ばして岐阜や長野へ。窓の外を流れる景色と、ユーミンの「中央フリーウェイ」が今も心に残っています。

高学年になると、僕は助手席に座るようになり、母と幼い弟が後部座席へ。音楽への興味が芽生えた中学生の頃には、ドライブに合う曲を選んでカセットテープを作るようになりました。
当時は『アウトラン』や『アフターバーナー』『ナイトストライカー』など、ゲーム音楽の疾走感のあるアレンジバージョンをよく選曲していました。特に、夜のドライブでのナイトストライカーの「Urban Trail」を聴きながら助手席からの風景は、今もエンジン音と重なるように心の中で響きます。

週末の買い物に出かける時には、ラジオから流れていた「サントリー サタデー・ウェイティング・バー AVANTI」が印象に残っています。
渋滞の中、少し大人びた空気をまとった番組の音に、助手席で静かに聴き入ったものでした。

高校生になると関西へと家族で引っ越し、親とのドライブは減りました。その頃、父の車はカセットデッキの代わりにCDチェンジャーが搭載され、お気に入りのアルバムがいつもセットされていました。僕も何枚か自分の好きなCDを入れさせてもらい、そのうちの一枚は、聴き始めたばかりのボサノヴァのベスト盤(The Antonio Carlos Jobim Songbook)でした。

やがて運転免許を取った僕は運転席に座るようになり、僕が趣味で作成した“Timescape”というミックスCDや、Laurent Garnierなどの有名DJのミックスCDが車内で鳴っていました。

妻と出逢い、そして結婚した時期には、J-POPやジャズやソウル、ディスコを選曲したCDRをCDバインダーに詰めこんでました。夜の街にThe S.O.S. Bandの「Weekend Girl」がとてもマッチしていました。

娘が生まれた頃にはカーステレオがUSB対応のものとなり、アニメや子ども番組の曲を入れて毎週のようにドライブへ。車内には『アナと雪の女王』のサントラや、娘の好きな音楽があふれていました。

そして何年かが過ぎ、父が病に倒れたと聞き、実家から片道2時間近くかかる病院へのお見舞いに通うようになりました。母を助手席に乗せ、色んな話をしながらの道中、カーステレオからは懐かしい家族の思い出の曲や、父の好きだった音楽が流れていました。
痛みと闘い、日に日に衰えていく父が、病室で「この曲、知ってる?」と穏やかに笑って、Jim Croceの “Operator(That’s Not The Way It Feels)” や、スコットランドの古い民謡 “The Parting Glass” をベッドの傍らに座る僕に教えてくれました。それらの曲も、やがて僕の車の中で流れるようになりました。

父は病と闘いましたが、
2025年7月、他界しました。
69歳──早すぎる別れでした。
最後の霊柩車で僕は助手席に座り、音楽のない静かな車内で父を送りました。
僕のこれまでの半生は、車の中で流れた音楽とともにあります。車から見える景色は変わっても、あの頃の記憶はエンジン音とともに、今も静かに走り続けています。
これから娘が巣立ち、また妻とふたりでドライブする日々がやってくるでしょう。
ときには母を誘い、幼い日のようにユーミンをかけながら、懐かしい景色の中を走りたいと思います。
その時はきっと、父もどこかで一緒に乗ってくれているような気がします。


※アイキャッチ画像は、父の最初の車を映した唯一のスライドフィルムが実家で見つかり、それを古い投影機で白い壁に映したものをスマホで撮影しました。車種はVolvo 142、元々グリーンだったものを全塗装したと母が言ってました。
