初音ミク、"触れるIP"が取り払う文化圏の垣根
人は同じ人間なのに、xx界隈やxx国、xx系と名乗り境界を引きながら生きがち。
そういった種族の垣根を越えるものは、説教や啓蒙からではなく「触っていいもの」から生まれるのではないかと思う。
最近、初音ミクの何が自分に衝撃を与えたのかについて考えていて、そう思った。
バーチャルシンガー 初音ミク

初音ミクは「歌声合成ソフト」や「バーチャルシンガー」として、誰でも初音ミクに歌ってもらった曲を作れるツールであると同時にIPである。
初音ミクからは「あなたもここに関わっていい」という感覚をいつも感じていた。
たとえば、ジャズやパンクやクラシックのような音楽感は外野からみると抵抗が出る。
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xx系、xx界隈。自分たちの場所
その「xx系」にはすでに歴史があり、作法があり、詳しい人たちがいて、なんとなく「自分たちの場所ではない」と直感する。
でも、初音ミクが好きな人にとって、初音ミクがそのジャンルを歌っていると、少し事情が変わる。
「ジャズはよく知らないけど、ミクが歌っているなら聴いてみよう」
「パンクは自分とは遠いと思っていたけど、ミク曲なら入れる」
そういう入口が自分や周りの初音ミク好きには生まれていた。
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触れるIP
これは「作曲ツール」や「美少女ボーカロイド」という言葉だけでは少し足りない気がする。
初音ミクは作曲できない人も関われる。
聴くことができる。描くことができる。推すことができる。二次創作できる。
初音ミクは"触れるIP"だと思う。
「自分の手を入れる」ことができる。
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美しいモノであり、完成されていない、半分空いている存在。
初音ミクそのものへのリスペクトをする文化はしっかりとある。
ロボットであり、少女であり、まだ何者でもない歌手だった。
儚くて美しい、まだ完成されていない、半分空いている存在。
この余白が文化圏を超えた関与の許可証になる。
この余白に誰かが入れたモノが初音ミクを通じて、種族の障壁を超えて流れる。
初音ミクは「関与の許可を与える媒介」になっている。
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文化圏
関わっていい。仲間外れではない。
そう思えた時にだけ人は境界を越えられる。
そう思えない時、楽しそうだなと本心は思っていても何かにつけて「自分はいいや」「自分は違う。」という。
つまり、人はすぐスネる。
この意味で初音ミクは、文化間の通行証であり、越境のための共有インターフェースだったことがわかる。
人は、抽象的な理念だけではなかなか越境しない。
異文化からの誘い文句は詐欺とみなす癖もある。
でも、触っていいものがあると越境できる。
そういう感覚を持てるものがあるとき、異なる種族、異なるジャンル、異なる文化圏のあいだに橋がかかる。
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境目を溶かしていく鎹(かすがい)
私の中では初音ミクはグローバルIPというよりは、インタースピーシーズなIP。
「インタースピーシーズ(Interspecies)」は、「異種間」や「種と種の間」を意味する言葉です。生物学や生態学の分野では、異なる生物種の間で起こる相互作用(共生、競争、捕食など)を指す際に使われます。
完成品として崇めるものではなく、自分の手を入れられるもの。
外部の文化を「よそのもの」ではなく、「自分も関われるもの」に変えるもの。
「子は鎹(こはかすがい)」と言われるようにIPやツールだけでなく、個人も同様の機能を果たせる。
私が感じていた初音ミクへの憧れは、
多分、そういう存在でありたかったんだと思う。
鎹の一つでありたい。鎹たる自由なツールやIPを産んでみたい。
