ハードには輸送費がある。ソフトには国境すらない——日本のSI危機を考える
最近買った家電の箱を裏返すと、日本の会社名の下に、遠い国の工場名が小さな文字で記され、思わず少しだけ目が止まることがある。それでも私たちは手を止めず、価格や機能や保証を比べながら、暮らしに無理なく合う1台を、いつものように迷いながら選んでいる。国境を越えて届く物に慣れた頃、もっと軽く、もっと速く海を渡る仕事が、国内の机を音もなく囲み、その値札まで少しずつ変え始めていた。
箱の裏側に、遠い工場がある
家電は遠い工場で生まれても、船に積まれ、通関を抜け、倉庫で眠り、最後は誰かの手で玄関まで運ばれなければならない。燃料費や関税や在庫の重みは見えにくいが、箱の外側には、製造原価とは別の長い距離と時間が折り重なっている。
需要を読み違えれば倉庫が埋まり、船が遅れれば、発売日だけでなく会社の空気まで少しずつ重くなっていく。それでも海外生産が広がったのは、その不自由を越える規模と生産性を、遠い現場が長い時間をかけて積み上げたからだろう。私たちは製造国より、毎朝きちんと動くかどうかを見て、遠さを暮らしの外へ少しずつ押し出すようになった。
船を待たない商品
ソフトウェアにも、設計や試験や障害対応があり、軽い仕事だと言えば、現場からすぐに厳しい言葉で叱られる。けれど完成したコードを届けるとき、港も倉庫も船便もほとんど要らず、運ぶための箱さえ用意しなくてよい。
更新ボタンが押されると、東京で待つ顧客へ、数分後には新しい機能が画面の向こう側から音もなく届き始める。福岡でもハノイでもバンガロールでも、回線さえつながれば、同じ予算の中へ遠くから手を伸ばすことができる。ただし成果物が届く速さと、顧客の事情へ近づく速さは同じではなく、その差は案件のたびに仕事の中へ残り続ける。
同じ見積書を、世界がのぞく
複製と更新がネットワークへ乗った瞬間、国内SIの隣には、世界中の競争相手が同じ椅子へ次々と座り始めた。海外開発会社もSaaSも内製チームも、AIを使う数人の会社も、同じ見積書を黙ったままのぞき込んでいる。
輸送費がつくっていた距離の壁は、ソフトウェアでは薄くなり、比較の画面だけがいま顧客の手元へ残っていく。見積書を並べる側から見れば、相手が隣町にいるか海の向こうにいるかは、もはや以前ほど大きな差にはならない。
JETROは、ベトナムの現地企業から、日本企業によるオフショア開発の依頼が近年増えたとの認識を紹介している。日本全体の発注量を示す数字ではないが、受け皿が厚くなる気配は、現場の言葉や動きから確かに伝わってくる。海外開発はいまや安い人手の代名詞ではなく、案件に合う実装力を国境の外から選び取る手段へ変わり始めている。
人月の値札が薄くなる
最も値札を付け替えられやすいのは、渡された仕様を人数と月数だけで実装し、そのまま納める仕事なのだろう。何人が何か月動くかだけでは、遠くの会社や小さなチームと、同じ棚の同じ段へ商品として並べられてしまう。
2025年度のソフトウェア業倒産は、2026年2月までに195件となり、前年度の最多水準と同じ歩調で進んだ。会社が消える前には、採用を止め、教育を削り、安い案件でも断れず、現場の余白から先に失われていくことがある。人月が明日なくなるわけではないが、成果へ結びつかない時間は、比較表の中で値下げの材料として扱われやすくなる。
中小企業庁も、多重で不透明な請負関係を課題に挙げており、階段が増えるほど、顧客の声は最後の机から遠ざかっていく。誰が困り、どこで判断が止まったのかが見えなくなると、案件には説明できない手戻りと、誰も引き取らない責任だけが残る。
顧客の近くには、まだ椅子がある
一方、帝国データバンクによれば、2026年1月に正社員不足を感じた情報サービス企業は69.2%に達した。人手不足は新しい注文を呼ぶが、人を採れない会社には、残業と人件費だけが長く残る夜も決して少なくない。
生成AIや翻訳AIやクラウドIDEは、言葉と時差と仕様書の隙間へ薄い板を渡し、両者の行き来を少し軽くしている。IPAは、要件定義や議事録、コード生成、レビュー、テストなどを、AIが使われる場面として挙げている。実装は国境を越えやすくなっても、何を作り、何を捨てるかという判断は、顧客の近くに置いたままにしておく必要がある。
顧客の困りごとは、最初から要件定義書の欄へ、読みやすい文章できれいに順序よく並んでいるわけではない。会議では賛成した部門が、運用直前になると急に黙り、古い台帳だけが強い力を持つことも決して珍しくない。浮いた時間を要件確認や設計や対話へ戻せる会社だけが、便利な道具のさらに先へ歩みを進められるのかもしれない。
最後まで席を立たない仕事
私の会社では、顧客に近い日本人のFDEが話を聞き、曖昧な優先順位を一つずつ丁寧に机の上へ並べ直している。実装はベトナムの開発チームとAIを組み合わせ、設計とレビューと試験の質と速度を同時に少しずつ高めている。IPAの2024年度調査で、ビジネスアーキテクトなどの不足感が強いのも、判断を担う人の重さを映している。国内か海外かを選ぶより、顧客の近くで判断を引き受け、案件に合う実装力を国境の向こうまで広げていくほうがよい。
もしかすると国境を越えられないものは、コードではなく、最後までその席を立たない責任なのかもしれない。
帝国データバンク「ソフトウェア業」の倒産動向(2025年度、2月末時点)
IPA「AIを用いたソフトウェア開発」
IPA「DX動向2026」
IPA「デジタル時代のスキル変革等に関する調査(2024年度)」
中小企業庁「情報サービス・ソフトウェア産業における中小受託適正取引ガイドライン」
JETRO「ベトナムの高度外国人材の実態を探る」
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