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矛盾という怪物

面倒なクライアントとの長い電話を終え、私は深く椅子にもたれかかった。
理不尽な要求に振り回され、こちらが折れることでしか話が前に進まない。そんなやり取りを終えた後には、決まって胃のあたりに鈍い疲労感が残る。

私はコーヒーを一口飲み、気晴らしのつもりでネットニュースを開いた。そこには、政治家の発言が切り取られ、大勢の人々が正義を振りかざして叩き合っている光景が広がっていた。

その記事を眺めながら、ふと思う。

長い人生、私たちは数え切れないほどの矛盾の中を生きているのではないか、と。

政治の世界など、その最たるものだろう。
外から見れば、建前と本音、理想と利害が複雑に絡み合う、矛盾の吹き溜まりに見える。

けれど、だからといって、世の中のすべてを合理性だけで動かせるとも思えない。

そもそも私自身、胸を張って「倫理的に正しく生きています」などと言える人間ではない。
会社ではもっともらしいことを口にしながら、心の中では損得勘定ばかりしている。
家族のためと言いながら、自分の承認欲求を満たしたいだけの時もある。
他人に優しくした後で、「感謝されたい」と期待している自分に気づくこともある。

人間の「善意」など、案外そんなものなのかもしれない。

私は若い頃、「人は何のために生きるのか」などという青臭い問いを、よく考えていた。
そしてその答えを、「誰かのために生きること」だと信じたかった。

だが、中年になった今、その“誰かのため”という言葉すら、ときどき怪しく思える。

本当に相手のためなのか。
それとも、自分が「良い人」でいたいだけなのか。

そんなことをぼんやり考えていると、机の上のスマホが震えた。

画面には、行きつけの店のキャバクラ嬢からのLINE。
絵文字だらけの営業メッセージだった。

私は苦笑した。

さっきまで人生や倫理について考えていたはずなのに、その通知ひとつで心が揺れる。
結局、自分の中には、理性よりも先に反応してしまう俗っぽい欲望が、ちゃんと居座っているのだ。

情けない。
だが、それが人間なのだろう。

私は普段、もっともらしい文章を書く。
論理や正論を並べ、「こう生きるべきだ」と語ることもある。

けれど、そのメッキを剥がせば、中身は驚くほど泥臭い。
綺麗な理想と、生々しい欲望。
顕在意識と潜在意識。
その二つが、私の中で毎日ぶつかり合っている。

そして、おそらく誰もが、同じような矛盾を抱えながら生きている。

正しくありたいのに、ずるさを捨てられない。
誠実でいたいのに、見栄を張る。
愛したいのに、自分が傷つくのは怖い。

人間とは、矛盾そのものなのだ。

だから最近は、無理に「正しい人間」になろうとするのを、少しやめた。

矛盾を消そうとするほど、人は苦しくなる。
それならいっそ、「そんな自分もいる」と認めた方が、少しだけ楽に生きられる気がする。

オフィスの窓の外は、もう夕暮れだった。
今日もまた、誰かが正義を語り、誰かが欲望に負け、誰かが建前で笑っている。

そして私もまた、その矛盾だらけの世界の一部として、明日もネクタイを締めて会社へ向かうのだろう。

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