エッセイ|何者かにならなければ、という呪い (朗読可)
何者かにならなければ、という呪い
何者かにならなければならない、
という思い込みは根強い。
でも、実際には、「何者でもない状態」で立っている時間のほうが長いのかもしれない。そう考えると、今の自分を無理に定義しようとすること自体が、少し過剰にも思えてくる。
泣いた回数や遠回りの経験が、直接「強さ」になるかどうかはわからない。それでも、以前よりも同じところで崩れにくくなっていると感じる瞬間はある。
名前や立場が変わったとしても、自分の中に積み重なってきたものまで消えるわけではない。過去の出来事は、そのまま現在に影響を与え続ける。だからこそ、答えをひとつに絞る必要はないのだと思う。むしろ、状況に応じて書き足していくほうが自然だ。
自分が何者であるかを明確に言い切れる瞬間は、
それほど多くない。
それでも、不確かなまま立ち続けることはできる。完全に納得していなくても、「これでいい」と言い続けることはできる。その繰り返しの中で、少しずつ形が定まっていくのかもしれない。
何者でもない状態を、
否定せずに受け入れること。
それは消極的な選択のようでいて、実際にはかなり能動的だと思う。その先に「これが自分だ」と言える瞬間が来るかどうかは分からない。でも、少なくともそこに至るまでの過程を、自分のものとして引き受けることはできる。
たとえその過程が、
誰の目にも留まらないものであっても。
僕たちはつい、目に見える成果や分かりやすい肩書きで自分を埋めようとしてしまうけれど、本当に自分を支えているのは、そうした装飾をすべて脱いだ後に残る「拠り所のなさ」そのものなのかもしれない。
何者でもないということは、
何者にでもなれるという全能感ではなく、
何者でもないままこの世界に存在していいという、
もっと穏やかな許しだ。
明日の自分が今日と同じ場所で立ち止まっていたとしても、あるいは全く違う方向に足を踏み出していたとしても、その揺らぎ自体を自分の歴史として刻んでいく。
そうして積み重なった
不確かな日々の手触りこそが、
いつか自分を形作る、
最も確かな質感を伴った
「自分」になっていくのだと思う。
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