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「うさんくさい」と言われたら

証明できていないことを証明できたかのように断言するのをやめよう。


例えば、「いつも感謝の気持ちを持って人と接している」という人がいたとしよう。その人と親交があれば、「ああ確かにそうかもしれないな」と思えるかもしれないが、他人の場合、「うさんくさいな」と思われることがある。

これはなぜかというと、「自分が本当に感謝の気持ちを持って人と接していること」が証明できないからだ。本当に感謝の気持ちを持っていたとしても、それを他人に対して証明することは出来ない。

「いやいや!感謝の気持ちとして100万円払うような人は!?」

それだって感謝の気持ちを持っているかの証明にはならない。なぜなら、打算かもしれないし、ポーズかもしれない。

うそ発見器にかけて「嘘ついていない」という結果が出たとしても、証明できたことにはならない。もしかするとイケシャアシャアと本心を偽れるソシオパスかもしれない。

「意識」というのはブラックボックスだ。誰かの意識の中は絶対に外からは覗くことはできない。うそ発見器など、間接的に、疑似的に観測することはできるが、100%証明できているかと言うと証明できていない。

さらにさらに「俺、霊感あってさ」も同じことが言える。「霊感があるかどうか」は絶対に証明できない。本当に霊感があったとしてもだ。他人にそれを示すことは不可能だ。もっというと、「霊感」という存在自体証明できない。

このように、どんなに感謝の気持ちを持っていたとしても、本当に霊感を持っていたとしても、「持っている」と断言すると、「うさんくさみ」が出てしまう。

自分の言葉の説得力を増すためには、この「うさんくさみ」を排除しなくてはいけない。なので、どんなに自分が感謝の意を持っていると自負していても、霊感を持っていると自負していても、証明できないのであれば"断言"は避けよう。

ちなみにこの話も本当かどうかは分からない。「証明できないことを言うとうさんくさい」というのは証明できそうでできない。

あれ?そうすると「証明できないことを言うとうさんくさい、ということが証明できない」というのも証明できない。

あれ?この世に本当に証明できていることなんてあるんだっけ。

そんな中いつだって断言している僕の記事はいつだってうさんくさいということになる。

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