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百人一首、聞いてみた!

問い「百人一首どれが好き?いつも同じ回答してる?」

(基本は同じだそうですが)毎回同じというわけではありません。

百人一首には魅力的な歌がたくさんあるので、相手との会話の流れに合わせて選ぶ歌を変えています。(言葉の雰囲気やテンポやトーン、その時の話題のテーマだったり会話の流れの中で、その都度選ぶ)

問い「「歌合」で競われた2首。「恋すてふ(こひすてふ)」と「しのぶれど」の背景をどう分析する?」

百人一首の中でも屈指のドラマを持つのが、この「しのぶれど」と「恋すてふ」の対決です。

960年、村上天皇が主催した格式高い宮中行事「天徳内裏歌合(てんとくだいりうたあわせ)」の最終戦(第20番)で、まさにこの2首が直接対決しました。「隠しきれずに顔に出てしまった恋(しのぶれど)」と、「静かに始めたばかりなのに噂になってしまった恋(恋すてふ)」という、対照的なアプローチによる表現力の頂上決戦です。

問い「「しのぶれど」は字余りに対し、「恋すてふ」は定型。技術か中身への共感か?」

実はこの「字余りか、定型(五七五七七)の完璧さか」という視点は、当時の歌合でも非常に重要なポイントでした。

この天徳内裏歌合の様子を記録した『天徳四年内裏歌合』などの記録を読み解くと、会議(判定の場)でまさにそのあたりが議論され、そして最終的に「中身の共感と表現の素晴らしさ(しのぶれど)」が技術的な完璧さ(こいすちょう)を凌駕したプロセスが見えてきます。

壬生忠見の「こひすてふ」は、字余りもなく、五七五七七のリズムが完璧に整っています。言葉の無駄が一切なく、音の響きも極めてなめらかです。 判定の場でも、審査員の源雅信は最初、この忠見の歌を「文句のつけようがない(非の打ち所がない名歌である)」と非常に高く評価していました。完璧だからこそ、勝ちにするか本当に悩んだのです。

平兼盛の「しのぶれど 色にいでにけり(しのぶれど / いろにいでにけり = 5音 / 8音)」は、おっしゃる通り初句・二句が「字余り(特に二句が8音)」になっています。
しかし平安時代の歌の基準では、字余りは単なる「ミス」ではなく、「定型に収まりきらないほど、どうしても溢れ出てしまった強い感情」を表現する技術(破調の美)としても捉えられました。 「隠そう隠そう(しのぶれど)としているのに、どうしても顔に出て(色にいで)しまう」という歌のテーマそのものが、この「型からはみ出てしまう字余り」のリズムと完璧にシンクロしていたのです。

最後の最後で勝負を分けたのは、技術的な完璧さ(定型)ではなく、「字余りになってでも訴えかけてくる、人間の抑えきれない感情のリアルさ(共感)」を村上天皇が直感的に支持したからでした。まさに、中身の圧倒的な共感力が「しのぶれど」を勝利に導いたと言えます。

問い「「恋すてふ」が1位にならなかったことで、後世に与えた影響は?」

「完璧だったのに、選ばれなかった」。それが千年の年月を経て、この歌に「愛おしさ」というスパイスを付け足したのだと思います。

感想
いとおしさが残る回!