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自分棚卸が与えてくれた自己肯定感|キャリア開発体験談#1 

私自身のキャリア開発体験談を三部構成全8話でお届けします。


第1話 気まぐれな出会い

1.勤続13年の罪


某企業に入社したのは、第1次安倍内閣が発足される半年前だった。新卒入社だった私は「環境に配慮した製品」を開発したかったが、環境管理を主とする部署に配属された。環境マネジメントの運営業務といえば高貴な印象もあるが、実際は、内容こそ変われど毎年同じ手続きを繰り返す管理業務である。

それが、13年続いた。直属の上司も13年変わらずに。

毎年あの手この手で新企画を提案し変化を加えていたが「業務の限界値」に気づいた。仕事に飽きて手を抜き始めたが、全く気付かれなかったので最小限の工数で仕事をするようになっていた。仕事への意欲はみるみる消えていった。
ちょうど未曾有の感染症が流行る前、転職サイトを眺める日々だった。ハイクラス転職が流行りだしていた事もあって、自分を試すために転職サイトに登録した。

しかし、全く書くことがない。

記入例を見ると、自分が経験してきたことを時系列に書くだけなのだが、2行くらいしか書けない。自分がいかに毎年同じ業務を繰り返していたか思い知らされた。一時金も給料も査定額を見れば充分高い評価をされていたから自信があった。しかしそれは「会社の外の世界ではPRにならない」と一瞬で悟った。しかも、私の業務は転職サイトの職種カテゴリーには存在しない。
実際、某人材会社のリクルーターと面談も行ったが、経歴を説明したところ「転職はかなり厳しい」と平然と言われた。全く畑違いのITや会計監査など分野に挑戦することを勧められたくらいだ。

今まで13年もやりがいを感じて仕事をしていた自分が、急に信じられなくなった。すでに転職の賞味期限と言われる35歳を迎える直前だった。

私のスタート地点は、ぬるま湯と思っていたドロ沼から抜け出すところからだった。

2.無駄ではなかった空回り


係長に昇格したばかりの若造が、自分の意志通りに異動することは不可能だ。それでも、一縷の望みをかけてドロ沼からの脱出劇を計画した。そうして考えた手段は以下の二通り。

  1. 徹底的に成果を挙げて他部署からハンティングされる

  2. 徹底的に上司にたてついて排除される

無論、期初の異動申請は熱烈にアピールしながら、まずは波風を立てない「1.成果を出す」ことを優先した。

13年も勤めていれば自部署の弱点は把握できている。とにかく閉鎖的な業務だったので、他部署や社外との接点をこれでもかと増やした。他部署への環境マネジメントの有効性ヒアリングと称し不満を吸い上げしたり、所轄官公庁の「環境保全イベント」などの情報取り、環境をテーマにした無料セミナーにも参加した。環境保護という接点だったが、社外のNPO法人の実情を知ったのもこの時だった。

そして、とにかく自部署の新しい業務を探した

そして見つかった事は、生物多様性の保全や地域住民へのリスクコミュニケーションという取り組みだった。
企画書を書き、何度も上司の指導に従いながら提案を続けた。実際に実施まで漕ぎ着けることができ、成果は出せた
経営層からも他部署からも「会社を一回り成長させてくれた」と評価もいただけた。自分でゼロから始めたことが1年以内に形にできたことは、失っていた自身を取り戻せたきっかけにもなった。

ところが、何か違和感ばかりだった。
それらの仕事は「私の専門領域」と扱われ、一人でやらされることが多かった。同僚や後輩が手伝うことを許してもらえなかったのだ。
加えて、普段の業務負荷も増えていった。おそらく、「余計なことをやる余裕がある」と見えたのだろうか、本来上司の役割であるチーメンバーの育成まで振られた。「管理職になるためには必要だよ」と説明をされたが、育成方針やスキルマップを策定するところからやらされた。

ドロ沼でもがけば、その分より深く沈んでいった。

3.たった一つの細い道


ゼロから始めたそれらの成果は、職務経歴にある程度書けるものになった。

そこで、自分なりに転職の準備ができたと思い、転職エージェントに依頼をかけたり、転職サイトを掛け持ちをしていた。
しかし、希望条件に合致しないオファーばかりだった。未経験者優遇と聞こえは良かったが、今までの自分のキャリアを無視されていると感じることが多く、ひたすら断る日々だった。

よく見かけたキーワードとして、
・会計監査
・コンサルティング
・広報/IR
・TOEIC700点以上
・総務(株主総会対応など全般)
などが多かった。もちろん希望している仕事ではないし、経験も要件も満たしていない。

では、私がどんな条件を希望していたのか?

振り返った今だからこそ言えるのだが、希望条件が実は曖昧だったのだ。なんとなく現職がつまらないと感じていたので転職を考えたが、何をしたいかが定まっていなかった。希望条件には聞こえのいいキーワードを並べていた。その状況をエージェントに見透かされていたのだと思う。

結局、迷いが増大する日々だった。
転職すべきか、現職を続けるか。


「2.上司にたてつく」という作戦も実行した。上司に日頃感じていた不満を言い、けなす。メンバーと共謀もし、結果的に殺伐とした雰囲気を作り出していった。
がんばっていた社外との連携活動も次第に手薄になっていった。一人では維持するだけで精一杯で、拡張させる余裕はなかった。

結局、私の業務は変わらなかった。
会社の意図に沿わないことを、勝手にしていただけだった。

ある時、所轄官公庁の方(Sさん)の前で会社生活の愚痴をついこぼしてしまった。それまでの私の生き生きとした言動とのギャップに大層驚かれていた。
Sさんは慌てた様子で、
「あなたのような活動的な人は、市内の他の企業ではいませんよ!」
と励ましてくれた。単なる慰めだったのだが、皮肉にも本音を吐露したことで社外からの評価を知る機会になった。

そしてこんなダークサイド真っ只中な状況下で、Sさんが市の広報誌でインタビュー記事を取り上げる提案をしてくれた
お金にはならないし、転職活動にも役に立ちそうもないことだったが、久しぶりに承認欲求をくすぶられたのでつい即答してしまった。
後に分かったが当社史初の快挙だった。

気分が沈んでいた私にとっては些細なイベントであった。それでもいくつもある人生の分岐路で、一番通りにくい細い道を進むことができた気がした。
インタビュー当日はSさんも同席してくれた。緊張気味で淡々としゃべる私に時折突っ込んだ横やりを入れてくれたおかげで、自分を出し切ることが出来た。

ところが、Sさんと直接会ったのはそれが最後になった。


数か月後に広報誌が発行された日、改めてお礼のメールをした。
するとSさんから、
「君は興味が無いかもしれないが、知り合いがこのプロジェクトを立ち上げるそうなので参考に送るよ」
という一言と一枚のPDFデータが添えられていた。


私のキャリア開発は、絶望の転職活動と気まぐれなこのメールから。

第2話へ続く


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