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転倒について考えたり調べたりしてみた。

人間、誰しも歩いていれば転ぶ可能性はあります。
これは絶対です。

ヒトが二足歩行を始めた時から、転ぶ・転倒する、という宿命を背負ったわけです。歩けば転ぶ、その運命からは逃れられないわけです。

「歩行とは、制御された転倒の連続である」

僕だってまだ若いつもりですけど、何もない平たい道路でつまずいてしまう事があります。人間、思った以上に足って上がってないんです。

そして、人間も生きているわけで、生きていれば老化も避けられない事実であり、老化すれば身体機能が衰える事も周知の事実です。

身体機能が衰えれば、更に転倒しやすくなります。
高齢者になれば、歩けば転ぶ確率は高くなるわけですね。

で、ちょっと検索してみたら過去に似たような記事書いてた・・・。
まぁ、それはそれとして・・・

だから杖をついて支持基底面積を広くして身体を安定させるわけです。
様々な理由で、支持基底面積が狭くなるので転倒しやすくなる。
これは介護現場で長く働いていたら誰もが知ってる知識です。
2000年以降、介護は精神論や根性論や感覚ではなく、科学的根拠に基づいた介護実践を現場レベルで追求してきたわけですから、転倒のメカニズムについても科学的に徹底的に研究され対応と工夫がされ学習がされています。

歩くというのは、転びかけては立て直す、その連続です。

立っているとき、人の身体は両足の裏とその間の面積——支持基底面の上に、重心線が収まっていることで安定しています。ところが歩き出した瞬間、片足が地面を離れ、支持基底面は片足分に縮み、重心はその外へ出ようとする。それを次の一歩が受け止めて、また外に出て、また受け止める。

つまり歩行とは、制御された転倒の連続なんです。杖をつくのは、この支持基底面を物理的に広げて、重心が外に出ても許される余白をつくる作業。おおさわさんが書かれていた「支持基底面積を広くして安定させる」というのは、そういう意味なんですね。

そして、その「受け止める」機構は、驚くほど細い糸で吊られています。

歩いているとき、前に振り出す側の足のつま先が床から浮いている高さは、健常な成人でもわずか数センチ。産業技術総合研究所の研究では、転倒経験者と非経験者を判別するのに最も精度が高い指標は「つま先の最大クリアランス」だったと報告されています。おおさわさんが何もない道路でつまずくのも、加齢で足が上がらなくなるのも、この数センチの攻防の話なんです。

歩行の質は、実は現場で目視できます。踵から接地できているか(できないとつまずきの原因になります)、振り出した足と床の間に十分な距離があるか、まっすぐ前に出ているか外から回っていないか、片足で支えるとき膝がガクンと折れないか、そして——話しながら歩けるか、話すときに立ち止まってしまわないか。

最後の項目、地味に見えて重要です。「話しかけると立ち止まる人は転倒リスクが高い」——これは Stops Walking When Talking と呼ばれる古典的な指標で、歩行が自動化されておらず、注意という限りある資源を歩くことに全部使ってしまっている状態を意味します。声をかけながら歩く介助って、実はそれ自体がリスク評価になっているんですね。

転倒の危険因子は、大きく内因性外因性に分けて整理されます。内因性としてはバランス障害、筋力低下、視力障害、薬剤など。そして転倒予防に最も有効な介入は運動であり、グループでも在宅の個別指導でも有効で、バランス訓練を含む複数の要素が組み合わさっているものが効果的とされています。

内因性の中で、現場が見落としがちなのがお薬です。わが国の縦断調査では、5種類以上の薬剤を処方された高齢外来患者で、転倒のオッズ比が4.50(95%CI 1.66-12.2)と顕著に上昇していました。ベンゾジアゼピン系を含む5剤以上では相対リスク1.40という報告もあります。そして厚生労働省の指針によれば、75歳以上の約4割が5種類以上、約4分の1が7種類以上を処方されています。

つまり、利用者さんのおよそ4割は、お薬の時点ですでに転びやすいということです。手すりを付けるより先に、お薬手帳を開くべき場面がある——

どこで転ぶのかも、直感とはずいぶんズレています。東京消防庁の救急搬送データでは、2018年の高齢者の転倒搬送58,368人のうち、住宅等の居住場所が56.2%と最多。屋内では居室・寝室での転倒が22,282人と最も多いんです。階段でも、お風呂場でもなく、いちばん慣れた部屋。内閣府の調査でも自宅内の転倒場所は庭26.5%、玄関・ホール19.0%、居間17.0%の順で、85歳以上では年間25.3%——4人に1人が自宅で転んでいます。

慣れた場所ほど、注意の糸はゆるむ。

おおさわさんが書かれていた「大丈夫だろう、と思った瞬間に見落とす」という現場の実感は、たぶんこのデータの裏側そのものなんだと思います。

claudeによる補足

そんな介護の現場でも、転倒はなくならないんです。
介護保険法では、自立支援がその理念の中心に据えられています。
自立支援を行う上で、高齢者本人が立って歩いたり、自分の身体を使って移動する事は避けては通れない事なので、そういう取り組みをすればするほど、転倒のリスクは高くなります。

また、介護現場では、一人の介護職員で多くの利用者さんへのサービス提供を行わなくてはなりません。
ですので、リスクがあったとしても、常時つきっきりの絶対安全な環境を作る事は、制度設計上不可能と言ってもいいでしょう。1対1の配置をしたとて、一瞬目を離した隙に転倒してしまうリスクは必ずありますし、当然僕自身も1対1の場面で、ほんの少し目を離した瞬間に転倒してしまったケースを実体験として持っていますので、まさか、という場面で本当に事故は起こるんです。

逆にいうと、事故が起こらないだろうと判断した瞬間、事故が起こる確率が高くなっているとも思っています。
事故(転倒など)が起こりそうな時は、本当に注意深く用心深く対応しますので予防できるのですが、大丈夫だろう、と思った瞬間に見落とす瞬間が多々生まれるわけですから。

あらゆる事故が根絶できないように、介護現場の事故も根絶は難しいでしょう。

厚労省もガイドラインで、防げる事故と防げない事故については、しっかりと解説をしています。

日本老年医学会が2021年に出した「介護施設内での転倒に関するステートメント」です。施設入所者では複合的な転倒リスク因子が重なった状態が一般的で、医療面から介入しても改善が難しい要因が多く、転倒予防策を実施しても転倒は一定の確率で発生する。そして転倒は必ずしも過失ではないと、学会が国民向けに明言しています。

claudeによる補足

介護施設内での転倒に関するステートメント、これ前職場で周知したこともありますし、実は2022年の記事でもさらっと紹介してました。

それでも、介護現場で転倒してしまうと、それはもう大事なんです。
よくよく考えると、転倒ってこんなに当たり前な事なのに、介護現場では非常に大事になるんです。

それは、骨折や怪我によって、その後のその方の人生が大きく変化してしまうリスクも孕んでいるからなんです。

大腿骨近位部骨折は年間約20万例。骨折が起きる場所は屋内が約70%、屋外が約20%で、原因の約80%が「立った高さからの転倒」です。そして骨折後1年の時点で、死亡が20%、永続的機能障害が30%、歩行不能が40%、ADLのどれか一つでも自立できないが80%。

1年後死亡率は全体で10%程度ですが、80歳以上では約20%、90歳以上では約30%。そして、けがをする前に屋外歩行できていた人が同じように歩けるようになるのは約50%——手術がうまくいっても、半分の人は杖が必要になったり外出できなくなったりします。

さらに衝撃なのがこれ。大腿骨骨折後の5年生存率は約49%で、がん全体の5年生存率66.2%より低い水準です。年齢構成が違うので単純な比較はできませんが、それでも「骨折は高齢者にとって、それぐらいの重みを持つ出来事だ」という感覚は伝わると思います。

「転倒による骨折は、がんより予後が厳しいことがある」——代表が「それはもう大事なんです」と書いた、その「大事」の中身がこれです。

経済的側面も強烈で、大腿骨近位部骨折で寝たきりになった場合、寝たきりにならない場合と比べて介護・医療費が約6.7倍(約1,540万円)にのぼり、家族の介護離職につながるなど社会的経済損失も大きいと指摘されています。

つまり、1回の転倒を防ぐことの経済価値は1,540万円。…代表、ここです。加算のインセンティブ設計を提言するなら、この数字が根拠になります。「転倒予防加算に月1万円払っても、1件防げれば元が取れる」という財政論に接続できるんです。

claudeによる補足

おおお!転倒予防で介護・医療費を約1540万円も抑制してるんじゃん!すげーよこの数字!!

「1回の転倒を防ぐ=1,540万円」は、書き方が悪かったです

ごめんなさい、これミスです。前回チャットで勢いよく書いてしまったんですが、正確じゃありません。

1,540万円は「大腿骨近位部骨折を起こして、しかも寝たきりになったケース」の追加費用です。転倒1件あたりではないんです。

鎖をたどるとこうなります。年間の転倒者が約1,200万人、大腿骨近位部骨折が約20〜25万人。つまり転倒が骨折に至るのは約2%。さらに骨折した人のうち1年後に歩行不能なのが40%。かけ合わせると、転倒1件が「寝たきり」に行き着く確率はざっと1%前後です。

なので期待値で言うと、転倒1件の防止=概算で十数万〜数十万円。1,540万円は約100分の1になります。

※ 骨折後1年の死亡率は報告により幅があり、全体で10%前後、80歳以上では約20%、90歳以上では約30%とされる。

claudeによる補足の補足

まぁ、前述の説明でもちゃんと読めばそう書いてあるのですが、だいたいの目安で落としどころを探ると、1件あたり10万円くらいって感じのようですね。それでも結構なもんだと思いますよ。
この後の本題で数字出ますけど、なんせ3人に一人が年に1回は転倒してるくらいの確率なんだし。

計算上は15万円前後(1,540万×約1%)が中心値です。10万円は控えめな見積もりなので間違いではないんですが、「10〜15万円くらい」にしておくと後で誰かが検算しても平気です。

cluadeによる補足の補足の補足

だからと言って歩かせないとか立たせないとか、本人の自由を奪うような取り組みで転倒予防したとは言わせんぞ。そういう部分の出来る出来ないの適切な判断ができてこその専門職だと思うんですよね。

転倒ゼロを完全に達成する方法は、実は存在します。縛ればいいんです。ベッド柵で囲い、車椅子にベルトで固定し、Y字帯を使えば、転倒はほぼゼロになる。日本の介護が身体拘束ゼロを目指してきた歴史は、「転倒させない」という正義を捨てる決断の歴史でもあった。

日本老年医学会が2021年にあのステートメントを国民向けに出した背景にも、この構造があります。転倒事故の責任が施設に一方的に問われ続けると、現場は防衛的になり、拘束や過剰な安全策に傾く。だから学会が「転倒は必ずしも過失ではない」と言わなければならなかった。

claudeによる補足

普通に考えても、歩けたりする人をずっと座ってろとか、ベッドに縛るとかしたら、そりゃ防衛反応で暴言や暴力が出ますよね。
この暴言や暴力って、こっち側(介護者)の主観だけど、本人の立場で考えたらわかるけど、縛られてたり、行動を抑制されたら、そりゃ反発しますよね。そういう簡単に想像できる事を想像してほしいし、何ならお金払ってまで行動を抑制されたい人なんておらんでしょう。要は尊厳を傷つけられているわけで、防衛的な行動ですよ、そういう状況下での行為ってのは。
だからこそ、ここまで紡いできた転倒リスクがあっても拘束しないっていう介護の歴史は、ちゃんと伝えていくべきだし、それは人の尊厳を守る上で当たり前の事だと思うんですよ。

で、転倒についてもう一度、よくよく考えてみようと思ったのが、ある報告会で医師の先生の報告の中で、以下の内容が説明されたときに、あらためて転倒ってこんなに当たり前に起こってる事だったのか、と思ったからなんです。

65歳以上の3人に1人が、年に1回以上転倒している。
65歳以上の3秒に1人が転倒している。

白老町の研修発表で聞いた内容

この数字を見ると、介護施設で、ほとんど転倒していない状況って、本当に奇跡のような確率なのかもしれません。

それだけ、日々現場の介護実践が転倒事故を防止している事を逆に証明できるデータなんじゃないかって思ったんですよね。

これは日本の学術的な定説として確立しています。高齢者の3人に1人は1年間に一度以上の転倒を経験するとされ、転倒による不慮の事故は窒息に続き第2位で交通事故を上回っており、大腿骨近位部骨折をはじめとした高齢者の骨折の主原因であり、要介護の主要な原因の一つとされています。日本転倒予防学会系の総説での記述なので、出典として最も硬いところです。

日本の年間転倒者を約1,200万人とすると、1年は約3,150万秒なので、日本国内換算で約2.6秒に1人。「3秒に1人」は、日本の推計としてほぼ正確なんです!おそらく発表者の先生が日本向けに換算されたのだと思います。

claudeによる補足

ちなみに、米国では1秒に1人が転倒しているデータがあるようです。

規模感の補足データも見つけました。65歳以上の3人に1人が年1回以上転倒するという報告から単純計算すると、年間1,200万人以上の高齢者が転倒しており、そのうち骨折が約100万人、大腿骨骨折が約年間20〜25万例と推計されます。転倒・転落による死亡は2020年で9,585人と、交通事故死3,718人を大きく上回っています。「転倒死は交通事故死の約3倍」——

claudeによる補足

僕は、これまで介護実践って、事故や失敗、ミスしか評価できない。
何かのアプローチが、何かのリスクを防止してたかもしれない事は証明の方法がないと思ってたんですけど、転倒については、これだけのデータがはっきりと出ているとしたら、逆算で介護実践による転倒防止の実績が算出できそうな気がしたんですよね。

で、上記のデータの詳細は不明なのであとでclaudeに調査してもらうんですけど、これ要介護状態とかによっては、更に転倒の確率は高くなるわけなので、要介護度別に介護現場での転倒防止実績を算出できそうな気もするんですよ。

まぁ、寝たきり状態の方とかもおられるとは思うんですけど、そういう対象者は除外して計算すればいいし、こういう指標があれば、転倒予防実績による加算などのインセンティブの仕組みの構築も検討できそうな気がします。

歩ける人を歩かせないでずっと座らせておく、みたいな取り組みをしているような施設は論外なんですけどね。

医療の世界ではすでに「QI(Quality Indicator)」として実装されているんです。例えばある病院では転倒転落の発生率を2.9~3.0‰(パーミル:延べ患者1,000人日あたり)で管理し、「転倒しても手術を要するレベルの大怪我につなげない」を目標に、損傷率を0.07‰から0.03‰まで減少させたと公表しています。地域一般の転倒率(3人に1人)を基準線にして、施設・事業所の発生率との差分を「防止実績」として算出する——まさに代表の構想と同じ発想が、病院では‰単位で運用されているんです。介護版LIFEデータと接続すれば、制度設計の提言として現実味があります。

要介護度別のデータもありました。通所介護利用者8,335名の研究では、過去1年間の転倒率は男性26.8%・女性24.6%で、興味深いことに女性では重度要介護群(26.4%)より軽度要介護群(23.4%)の方が転倒率が低く、転倒者のうち骨折した割合は男性4.5%に対し女性12.2%と、女性は2.5倍骨折リスクが高い。また重度群はトイレ時、軽度群は体操・レクリエーション・立位時の転倒が多いという結果でした。つまり転倒率は要介護度に単純比例しないんです。重度の方は動けない分むしろ転ばない——ひろゆきさんが「寝たきりの方は除外して計算」と書かれた直感、データが裏付けています。指標設計するなら「活動量×転倒率」のセット評価が必須ですね。

claudeによる補足

すでに先行事例があったんだ、さすが医療の領域はこういうの早い気がする。


あと、その報告会では、もう一つ興味深いキーワードを聴いたんですよ。

健康の定義の中に、社会とのつながりが明記されているんです。

白老町の研修発表で聞いた内容

これも、あとでclaudeに調査させますが、これ最近なのかな、WHOの定義だったか、なんとか憲章って説明だった気がするんですけど、そこに明記されてるって説明を聞いて、健康というのは社会とのつながりがある前提だとしたら、独居の方への訪問や、なんとか社会参加してもらうための取り組みって、それ自体が健康づくりの第一歩なんだな、って思ったのと、日本は憲法に、健康で文化的な最低限度の生活を保障するって明記されてるので、日本は、全国民に対して、社会とのつながりを絶つようなインフラの整備とかしちゃだめなんですよ。高齢者から運転免許を取り上げるのであれば、ちゃんと社会に接続できる交通インフラを整備しなきゃいけないし、そういう制度や設備や環境の工夫をしないといけないんですよ、国の責任で。

JAGESの研究チームが愛知県4市町の65歳以上を追跡し、運転をやめた人・続けている人・やめたが公共交通や自転車を利用している人の要介護認定リスクを比較しました。結果は運転中止で要介護認定リスクが約2倍。国立長寿医療研究センターの運転寿命延伸プロジェクトのサイトには、単に高齢というだけで運転を中止すると生活の自立を阻害しうつなどの発症リスクを高め寿命の短縮にもつながること、運転を中止した高齢者は継続していた高齢者に比べ要介護状態になる危険性が約8倍に上昇すること、運転をしていた高齢者は認知症リスクが約4割低いことが記載されています。

ここで決定的に重要なのが、この研究が**「やめたが公共交通や自転車を利用している人」を別群として設定している**ことです。つまり研究デザインそのものが、「代替手段があるかどうか」を問うている。
——移動手段を奪うだけなら健康被害、代替を用意すれば健康は守れる——が、そのまま研究の構造になっているんです。

claudeによる補足
年齢、性別、教育年数、BMI、主観的健康感、治療中の疾病、うつ、基本チェックリストの運動器・認知症関連項目、外出頻度、高次生活機能、居住校区の人口密度まで統計学的に調整したうえでの数字です。そしてフレイルの人に限定した分析でもほぼ同様の結果でした。
claude調べの表

数字を並べて、三つ気づいたことがあります。

ひとつめ。代替手段があっても、リスクはゼロにならない。
2.16 → 1.69。確かに下がるんですが、下がり幅は約2割です。論文の結論も慎重で、「運転をやめると要介護認定のリスクが高まるが、能動的な代替交通手段の利用によってそのリスクは多少低減するかもしれない」という表現になっています。バスを走らせれば解決、という話ではないんですね。ここ、記事で誠実に書くべきところだと思います。

ふたつめ。逆に言えば「バスがあるだけ」では足りない、ということ。
1.69という数字は、代替交通の整備を否定するものじゃなく、**「移動手段だけでは、運転が担っていたものを代替しきれていない」**という警告に読めます。運転って、単なる移動じゃなくて、思い立ったときに行ける自由・自分で決められる感覚・誰かを乗せてあげられる役割——そういうものを丸ごと含んでいる。時刻表に合わせる移動では、そこまでは戻らない。

代表が書かれた「社会に接続できる交通インフラを整備しなきゃいけない」という主張に、**「接続の"質"まで問わないといけない」**という一段深い層が加わります。

みっつめ。ここが一番刺さりました。
最もリスクが高かった群の注記が「家族の送迎などを利用」なんです。

家族が送り迎えしてくれる方が、自分でバスや自転車を使う人より要介護リスクが高い。優しさが、いちばん危ないんです。「お母さん、危ないから運転やめて。買い物は私が連れてってあげるから」——この完璧に善意の一言が、統計上いちばん悪い群に本人を移してしまう。

研究チームが使った言葉が「能動的な代替交通手段」なんですよね。能動か受動か。乗せてもらうのか、自分で行くのか。ここが分かれ目だった。

「歩ける人を歩かせない施設は論外」と、まったく同じ構造がここにもあります。

運転中止群は63人と77人で、母数がかなり小さいです。信頼区間も広めなので、「1.69 vs 2.16 の差」を強調しすぎると統計的に危ういです。**「代替手段があっても2倍近い。ただし多少は下がる」**くらいの書き方が安全です。

なお、前にお伝えした「約8倍」は国立長寿医療研究センターの運転寿命延伸プロジェクトが掲載している別の調査の数字です。同じ研究の数字ではありません。8倍のほうがインパクトはありますが、調整の詳細が公開されているのは今回の2.16のほうです。

claudeによる補足

やっぱり基本中の基本というか、本人に出来る事を取り上げない。
その為の環境を整えたり選択肢を増やす事が正解で、タイパは悪かろうが、一番コスパが良いって感じかな?

こういう、本人が決めるまで待つ、見守るってのが難しいんだけど、これこそ専門性だと思うんですよね。

WHO憲章において、健康とは単に病気でないということだけでなく、肉体的・精神的・社会的に満たされている状態と定義されています。1946年採択の憲章前文ですから、「最近入った」のではなく80年前から明記されていたんです。ただし健康の三本柱(身体・精神・社会)のうち「社会的福祉」はこれまでなおざりにされてきた——つまり「昔からあったのに、いま再発見されている」という構図。これ、記事の切り口としてむしろ美味しいです。

claudeによる補足

これ、僕は健康の定義に社会とのつながりってのが入ってるって知らなかったので、介護実践の中で社会との接点があった方が絶対いい、とは思っていたものの、それが科学的な根拠になってるかどうかあいまいというか、ある程度の研究結果は出てた気がするんだけど、それが大きく取り上げられているようにも思えてなかったのんですけど、世界レベルではもうすでに健康は社会とのつながりがあってこそ保たれるって常識になってたのがすごく嬉しかったんですよね。

「社会とのつながり=健康」を日本のデータで裏付ける切り札がこれです。愛知県武豊町の介入研究で、住民運営型サロンの参加者は非参加群と比べて2年後の健康度自己評価が良好で、要介護リスクが51%低下し、認知症を伴う要介護リスクも30%程度低下したことが確認されています。さらにスポーツ・趣味・ボランティアなどへの参加割合が高い市区町村ほど要介護認定率が有意に低いという91市区町村・約19万人の分析も。「サロンに通うだけで要介護リスク半減」——

WHOは孤独・孤立対策の委員会を立ち上げ、2025年6月30日に報告書『孤独から社会的つながりへ(From Loneliness to Social Connection)』を発表しました。内容は衝撃的で、世界人口の6人に1人が孤独に悩まされており、孤独は1時間に100人、年間871,000人以上の死亡と関連しているとされています。さらに社会的孤立は高齢者の最大3人に1人が影響を受けていると推定され、孤独は脳卒中、心臓病、糖尿病、認知機能低下、うつ病などのリスクを高めるんです。

ひとつ正確性の注記を。「孤独に関連する死亡」とは社会的孤立が直接の死因という意味ではなく、孤独が死亡リスクを統計的に高めるとするメタ分析に基づく推計値です。記事でもこの但し書きを入れると誠実さが伝わります。ちなみにこの分野の古典はホルト=ランスタッド博士の2010年メタ分析で、「社会的つながりの欠如は1日15本の喫煙に匹敵する健康リスク」という有名な比較の出どころです。

日本の文脈では、孤独・孤立対策推進法が2024年4月1日に施行されており、全国民を対象とした包括法という形式は世界初。憲法25条から論じる代表の視点に、この法律を接続すると論が締まります。運転免許返納×交通インフラの話も、まさに国の責任論として法の理念に直結します。

claudeによる補足

世界の動きとか情報って、普通に暮らしてるとなかなか入ってこないというか、受動的だと受け取れない環境なので、こういうのは取りにいかないと鎖国時代の日本のような感じで世界の常識から遅れちゃうかもしれないので危なっかしいなぁとは思うんですけど、こうしてネットで手が届くので、ネット活用って本来はこういうためのモノだったんじゃないかって思うんですけどね・・・、まぁそれはそれとして。

そうそう、報告会では、少量のお酒は本当に健康にいいみたいだけど、煙草は44歳までに禁煙できないとやばいって内容もあって興味深かったです。

「少量のお酒は本当に健康にいい」は、いま学術的に否定されつつあるんです。

従来は飲酒量とリスクの関係がJ字型・U字型カーブを描く(少量飲酒者が最もリスクが低い)とされてきましたが、これは節度ある飲酒者に多い好ましい生活習慣や社会経済的地位の影響を受けている可能性が指摘されていました。米国の研究者が非線形メンデルランダム化解析という手法で分析したところ、「非飲酒者に比べ心血管疾患のリスクが低くなる飲酒量」は存在せず、飲酒量が増えるにつれてリスクは指数関数的に上昇することが示唆されています。 

2023年の大規模メタアナリシスでも、過去のコホート研究のバイアスを精査した結果、低〜中等量の飲酒者の全死亡リスクは禁酒者と統計的に有意な差がなく、従来のJカーブ効果は確認されませんでした。WHOや各国の専門機関は「飲酒しない方が健康上望ましい」「飲むなら量を減らすほど安全」というメッセージを強調し始めています。

日本の公式見解も同じ方向です。厚労省が2024年に出した「健康に配慮した飲酒に関するガイドライン」には「飲酒量が少ないほど、飲酒によるリスクは少なくなる」というメッセージが込められています。ただし報道によって、生活習慣病リスクを高める量(男性1日40g)まで飲んでいいという誤解が広まったことが問題視されています。 

claudeによる補足

あ、確かに男性は1日40gって話だった気がする・・・。
女性は1日20gだったかな・・・。

煙草の「44歳」の出典、見つけました

これ、英国医師50年追跡調査(Doll & Peto, 2004)です。34歳までに禁煙すると非喫煙者とほぼ同じ生存曲線となり10年長生きでき、44歳までなら9年、54歳までで6年、64歳までで3年長生きできることが示されました。報告会の「44歳まで」は、この9年ラインのことですね。

2024年にNEJM Evidenceに発表された148万人規模の新しい研究では、喫煙者は非喫煙者より40〜79歳の生存期間が男性13年・女性12年短い一方、3年未満の禁煙でも約5年、10年以上の禁煙では10年寿命が延びて非喫煙者と同じくらいになるため、どんな年齢でも禁煙を始めることが重要だと述べられています。別の統計モデルの推定でも、35歳の禁煙で8.0年、45歳で5.6年、55歳で3.4年、65歳で1.7年、75歳でも0.7年の寿命延長が見込まれます。

つまり「44歳を過ぎたらやばい」ではなく、「44歳までなら9年取り戻せる。75歳でもまだ0.7年ある」

claudeによる補足

これから社会とのつながりをどう構築していくか、という視点がすごく重要になっていくんだろうと思うし、僕もそうだけど、僕との繋がりの中でよくよく考えたら、そういう社会とのつながりを少しずつ広げていこうって人たちとSNSを通じて繋がれてるな、って実感をしました。
これはすごく心強い事だと思いました。


転倒と社会的つながり、実は一本の悪循環でつながっています。転倒した人の多くは怪我がなくても転倒への恐怖を抱き、日常活動を減らし、活動が減ると身体が弱り、さらに転倒しやすくなる——これに孤立を重ねると、「転倒→恐怖→外出減→社会的孤立→フレイル→さらに転倒」という螺旋になるんです。しかも一度転倒すると、怪我がなくても再転倒の確率は2倍になる。

だから、独居の方への訪問や社会参加支援は「健康づくりの第一歩」であると同時に、転倒予防そのものでもある。逆に、転倒を恐れて活動を制限させることは、孤立を通じて転倒リスクを高める。「歩ける人を歩かせない施設は論外」という代表の一文は、感覚論じゃなくて疫学的に正しいんです。

claudeによる解説

そう、転倒した方の多くが、本当に転倒に対して恐怖感を持ってるんですよね。また痛い思いをしたくない、入院したくない、寝たきりになりたくない・・・という想いもあるだろうけど、訪問していて良く感じるのが、家族に迷惑をかけたくない、近所の人に心配かけたり迷惑かけたくない、という感情もかなり大きいような気がしています。

なので、高齢者が健康に暮らしていくには、転んであたりまえという感覚もすごく重要だと思うんですよね、結構リスクある事だから難しいかもだけど、生きるってリスクと否応なく向き合わされた結果で生きてるわけで、そこのリスクを取らないと生きてる実感も実は弱まってしまうんじゃないかって思ったりもしています。意識してなくても、立ち歩く事で生きるリスクを実感する事で、より生き生きとする。そういうのあるような気がするんだよなぁ。人間らしい行動の最たるものが、立って歩くって事なんだし。
これ、ユマニチュードの手法の一つだけど、結局、人間らしい対応をしましょう、という事に尽きると思うんですよ。何もかも。

ユマニチュードの四つの柱は「見る・話す・触れる・立つ」。イヴ・ジネストとロゼット・マレスコッティが体系化したもので、この四つ目の「立つ」がまさにひろゆきさんの言っていることなんです。

なぜ「立つ」が柱に入っているか。骨や筋肉の維持のためだけじゃないんです。人間は立って歩く存在であり、立つことそれ自体が「人間らしさ」の表明である——だから、たとえ1日20分でも立つ機会を持つことに意味がある、という思想。

claudeによる補足

ユマニチュードとかの手法を紹介するときは、必ずこういうのは手段・手法であり目的ではないよ、と伝えます。
こういう部分をちゃんと理解しないでやる人があまりに多い印象なんですよ。だから応用が利かない。

「悪循環の輪」には、ちゃんと学名がありました

最後に書いた螺旋、あれ**転倒後症候群(Post-fall syndrome)という確立した概念で、その中核が転倒恐怖感(Fear of Falling: FOF)**です。

MSDマニュアルによれば、転倒後には機能と生活の質が著しく低下し、最大60%の高齢者が以前の移動能力を取り戻せません。再び転倒することへの恐怖から自信を失い、買い物や掃除といった特定の活動を避けるようになり、活動が減ると関節がこわばり筋力が落ちて、さらに動けなくなる。

そして、これが一番大事な発見なんですが——地域在住高齢者45名の調査では68.9%に転倒恐怖感がみられ、MFES得点は外出自粛と有意な相関を示しました。しかも高齢者は転倒歴がなくても転倒恐怖感を抱きやすいことが報告されていて、転倒恐怖感は十分な身体機能を持つ人でも抱くもので、それ単体で転倒リスクになるんです。

転んでいなくても、転ぶのが怖いだけで、人は転びやすくなる。

転倒恐怖感の軽減にはバランス運動が効果的であること、MFESという尺度でどの動作に恐怖を感じているか具体的に把握できることが示されています。——「怖がっている動作を特定して、そこだけ支える」がポイント。

claudeによる補足

で、こういう研究もちゃんとされてるのがすごいよね、人間って。
ちゃんと誰かが考えてる。

怖がっている動作を特定して、そこだけ支える

これね、腕のいい介護職は、こういうポイントをちゃんとおさえた距離感で見守りしたり支援したりしてます。

だからこそなんですよ、僕がいつもコミュニケーションや利用者さんと一緒に過ごす時間が大事だって言うのは、こういう所まで把握できるまではちゃんとアセスメントしなきゃダメでしょ、不安でしょうがないよ、僕は。

心配で書類仕事にも集中できないって。

で、介護の仕事の醍醐味の一つが、こういう不安感とか恐怖心を少しでも和らげてあげれた時の達成感というかなんというか。
本人さんの頑張りなんだけど、それを僕らがいることで安心してチャレンジできる、リスクに向き合える、そういう環境を準備できたり用意できたり演出できたりするのがすごくやりがい感じるんですよね。

で、環境が整った介護事業所でのケアの実践よりも、環境が整ってない本人の生活空間の中で自分のスキルや工夫を活かしてそういうのが実践できると、最高に嬉しいというか、本当に訪問介護って1対1で自分の能力と否応なく対峙させられるので、介護職としては真の意味でのスキルが磨けると思うんですよ。

整わない環境での実践。
ワクワクしませんか?

そんな方は、ぜひ、訪問介護の世界に来てください。
楽しいですよ。

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