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こんにちは。
膠原病・皮膚筋炎、難病OLのAです。


今回は私のnoteのテーマにもなっている「より善く生きる」について私の考えを書き出してみたいと思います。


“自分の正しさ”に正直になり、そして許す



“自分の正しさ”に正直になる、とはどういうことかといえば自分の中に芽生えている嫌悪と居心地のセンサーに反応する機能だと思っている。


「こんな気持ち、持ってはいけない」「これだと周囲の目が……」とか「わがままは良くない」とか、世間が押し付けてきた「~いけない」「~ない」「~ダメだ」という"ないない"づくしの価値観を自分に当てはめて生きるのは善くない。


それは周囲が自分を都合良く動かすために勝手に作ってきた価値観。


この価値観は環境によって変わる。だいたいその環境を作っているお局のバーサンとか上司等に都合良くできている。


そんな他人がイイヨウにつけたいい加減な常識にいちいちビクビクして縮こまって生きるのは人生がもったいない。


だから私は自分へ課してきた我慢をやめることにする。我慢の大体は他人からもたらされる。


私は人があまり好きではない。理由は簡単で人と関わると自分が我慢させられる立場に置かれやすいから。居心地が悪い。


無頓着な人は自分が正しいと思っていることに疑問点を持たない。私はあまりそういう人が好きではない。


今まで私は自分の居心地を考える事を怠ってきたと思う。自分にとっての”居心地”。それを考えた時に自然と”嫌い”という心のセンサーは正しいと思えた。


"嫌い”という意思を表明するのは「悪」だろうか…?


自分の価値観を受け入れてもらえないとすぐに怒り出す人が私は嫌いだ。
この考え方も一つの正しさなのである。別にそれを他人に押し付けるつもりは無い。



「自分の正しさを許す」、これは自分に優しく接するための心構えだと思う。


他人の正しさなんてインチキもいいところだ。私は周囲の正しさでもう生きたくない。


自分の心のセンサー、"嫌悪"を駆使して自分にとっての居心地とは何か。心地良い事を探していきたい。


もう世間の標準に必死で合わせて生きなくても良い。今まで自分に課してきた我慢が私に何をもたらしたというのか。


もう無理して生きなくてもいい……。
今はそんな気分でいる。


世の中、これが無いから負け組だとか、SNSでキラキラ生活を自慢しまくって"勝ち”を誇示している人を沢山見かける。これがあるから「勝ち」「負け」とかSNS上の不安の煽り文句を基にした誰かが勝手に作り出した価値観(正しさ)の中で生きている。


窮屈だ。人と比べて「上」か「下」か。結局比べる人がいないと自分の立場がわからないということなのだろう。


自分の選択が自分にとってより善いものにする


それが私にとっての「善く生きる」だ。その選択は嫌悪の気持ちを大切にすること。そして自分の居心地を徹底して考えることで得られるのではないかと考えている。


「嫌」をひとつずつ消してあげる。
自分のために。
今度からは私は自分に優しくしてあげたい。


膠原病、皮膚筋炎という特大の病気にぶち当たって強制的に社会と離れることになった。


今まで自分を酷使してきたことへのむくいか?


今までお疲れ様。自分。











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