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段取りをきちんと(アマノ文筆クラブ/ショートショート/約1,200字)


「聞いて聞いて。ついに完成したの」

私は親友の美香に、厚さ五センチのバインダーを差し出した。

「これ……なに?」

「『転生令嬢アリシア、婚約破棄されたら魔王が拾ってくれました』の世界観設定資料集、第三版」

美香がページをめくる。
王国の地図、七百年分の王家系図、魔法体系の三層構造、通貨レート表、主要十二都市の人口と特産品、そして——

「なんでアリシアの好きな紅茶の産地に、地質学的な注釈まで書いてあるの」

「だって、紅茶の風味って土壌で決まるでしょ? 石灰質の土地で育ったダージリンと、赤土で育つアッサムじゃ、香りが……」

「いや、そういうことじゃなくて」

美香が眉を寄せた。

「で、本編は何話まで書けたの」

「……プロローグの、冒頭、三行」

―――沈黙。

「あのね、詩織」

美香は紅茶を一口飲んで、静かに言った。

「なろうランキング、今週の一位見た?」

私は机の隅に積まれた『分析メモ』を指差した。

「見たよ。『婚約破棄されたので、隣国の王子様に嫁ぎました♡』。一話目で婚約破棄、二話目で略奪愛、三話目でざまぁ完了。展開が雑すぎる。地理的に隣国まで馬車で三日はかかるはずなのに、その日のうちに嫁入りとか、常識で考えて……」

「でも一位なんでしょ」

「……そうだけど」

「詩織のアリシアは、まだ婚約すらしてないよね」

私は黙った。

バインダーの四百ページ目には、アリシアが通う学園の年間行事表がある。創立祭の屋台配置図まで描き込んだ、会心の一枚だ。

でもアリシア自身は、まだ一度も喋っていない。
美香はカップを置いて言った。

「タンドリーチキンって、漬け込んだら、あとは焼くだけなんだって。知ってた?」

「……何の話?」

「段取りって、完璧に整えることじゃなくて、”漬け始めること”なんじゃないかな。漬けてる間に、味はちゃんと染みてくるんだよ」

私はバインダーを見下ろした。

七百年の歴史。十二都市。三層の魔法体系。

そのどれもが、まだ一行の物語も生んでいなかった。



その夜、私は新しいファイルを開いた。

『プロローグ』

カーソルが点滅している。

婚約破棄の夜会、シャンデリアの光、アリシアの、震える指先——

書き始めた瞬間、頭の中で声がした。

「待って、シャンデリアの材質、まだ設定に書いてない」

私はその声を無視して、指を動かし続けた。

地質学的背景なんて、たぶん、誰も読まない。

でもアリシアの指の震えは、きっと、誰かが読んでくれる。

『段取りをきちんと』——それはたぶん、震えるアリシアの指を、言葉にできるところまで。

シャンデリアの材質は、そのあとでいい。

漬け始めてしまえば、あとは物語が、ちゃんと味を染み込ませてくれるのだから。


おわり


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◆あとがき
最後まで読んでいただきありがとうございました!
今回も甘野充さんの企画に参加させていただきました。

今回は、長編ファンタジー小説を書こうとしているのに、設定集ばかり厚くなり筆が進まない人の話です。私のことです。ほぼエッセイです。

今回はすぐに思いついたので楽しかった〜!




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