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愛の水面下(アマノ文筆クラブ/ショートショート/約2,000字)

好きだと言わないまま、三年が過ぎた。


私はみんなに笑顔で「お疲れさまでした」と言って、今日も定時で帰る。
仕事は15分前にすべて終わらせたのだ、文句はあるまい。

みんな「お疲れ様でーす」と声をかけてくれる。

けど、一人だけ何も言ってこない人物がいる。
同期の三田村くんだ。

彼は、まじめで、知的で、不器用で、不愛想だ。
恋愛には興味なさそう。たぶん。

少し癖のある重めの前髪と分厚い黒縁眼鏡のせいで、その下に長いまつ毛をたずさえた形のいい目が隠れていることを知っている人は少ない。

たまたま彼が眼鏡をはずしたときに見た素顔が、私の好みだった。
それ以降、彼を視線で追うようになったことを自覚している。

それに彼はいいやつだ。
私がお局たちから「ぶりっこ」「八方美人」と陰口を叩かれていたときに、「違いますよ」とハッキリ言ってくれたらしい。
面倒ごとに巻き込まれるのは嫌がりそうな彼が、そういった主張をしたことが意外だったし、何より私を正しく認識してくれていたのが嬉しかった。


彼の男性にしては華奢で長い指が、今日もせわしなくキーボードの上を踊っている。Slackでチャットでもしているのだろう。

あんなに仕事のロジは丁寧なのに、なぜ最も人間関係を円滑にする”挨拶”をサボるのか、私には理解できないのだが、とにかく彼は帰り際の挨拶を返してこない。

でも私は、彼が必ず一度だけチラリと私に視線を送ることを知っている。
私がそれを見ていることも、きっと知っている。

お互い知っている。
それでも、何も言わない。

水面のような関係性だと思う。
揺れているのに、凪いでいるような顔をしている。


先月、外回りが偶然重なり、会社の近くの川沿いで三田村くんと会った。
お互い直帰予定だったので、最寄りの駅まで一緒に歩いた。

話すことは特になかった。
でも歩調が揃っていた。
”駅まで一緒に歩く”というコンセンサスがそこにあった。

けどあまりに無言だったので、さすがになにか話そうと思った私は他愛のない会話を振ってみる。


「この川って、流れ緩やかだよね。入れるくらい浅いのかな」

昨日降った大雨で散った桜の花びらがちらほらと浮いている川面を、沈みかけの夕日が輝かせていた。
彼は眩しそうに川を見てから生真面目に答えた。

「穏やかに見える川ほど、深いですよ。」

「へえ、そうなんだ。」

「水面の屈折で見にくいですが、淵と呼ばれる蛇行部の外側は、深くなりやすいので危険です。入るにしても、誰かがいる時にしてくださいね」


彼の律儀な解説に、中学受験のときに勉強したようなぼんやりとした記憶が蘇ってくる。

けど、誰か、か。


「じゃあ三田村くんが見ててくれる時にするね」

「………僕ではあなたが溺れたときに助けられません」

「えっ泳げないの!? 」

「悪かったですね」

「じゃあ助けを呼んできてよ」

「その間に死んじゃいますよ」

「……まあそうか。じゃあ三田村くんの他にも人がいるときにしないとね」

「僕がいることは確定なんですか」


前を向いた彼の眼鏡に夕日が反射してとても眩しい。
どんな表情で言っているのかわからなかった。

私は少し黙ってから、「そうだね」と言った。

それきり、二人とも何も言わなかった。
輝く夕日に隠されつつ、散った桜の花びらが為す術なく流されていく光景を、ただ、並んで見ていた。


翌月、彼は異動になった。

別の部署どころか、別の県だ。
誰かがそれを教えてくれたとき、私は「そうなんですね」と言った。
鏡面のような冷静な顔をして。

最後の日、彼は私の席に来た。

お菓子の小さな袋を置いて、「お世話になりました」と言った。
私も「お世話になりました」と言った。
それだけだった。

でも彼が部屋を出る直前に、私の方を見た。
私も見ていた。
目線が合う。いつもより少し長かった気がする。

その時、凪いでいた水面を何かが打ったような気がした。


翌朝、彼の席は空だった。

窓の外で、雨が降り始めていた。

川の水量は増えているだろうか。
また、浸食が進んで淵が深くなるのだろうか。
そんな益体もないことを考える。

水面は、境界線だ。
曖昧な姿をしているのに、世界を明確に区別する。
その下に何があっても、水上からは分からない。
分からないまま、今日も静かに揺れている。

わからないなら、確かめに行くしかない。
一人じゃだめなら、誰かと。

私は一呼吸おいて、席を立つ。
自販機に飲み物を買いに行くような顔をして、スマホを忘れないように握る。
あいつ、ご飯とか興味あるのかな……。


そのとき、私のスマホがメッセージの受信を知らせるべく短く振動する。

ふと見ると、三田村くんからだった。
そこには、彼らしい不器用な一文が運ばれてきていた。

どうやら彼は、流されるだけの花弁になるつもりはないらしい。


『今度、また一緒に川辺を歩きませんか。』



終わり


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◆あとがき
今回も甘野充さんの企画に参加させていただきました!

「愛の水面下」
”水面下の愛”なのか、”愛”というものの水面下で蠢くものなのか。
解釈の余地が広くある、難しくも面白いテーマでした。

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