戦中の人々⑮_「俺の余った30年の寿命、あげるよ」勝又勝雄
勝又勝雄という青年がいた。
千葉の農村に生まれ、空を飛ぶことを夢見て、やがて鹿児島の知覧の空へやってきた。時に昭和十八年。太平洋の戦況が刻一刻と悪化する中、若者たちは一機の戦闘機に命を託すべく訓練を重ねていた。
勝又は明るい男だった。背が高く、運動会の騎馬戦では次々と相手を倒し、町の者から拍手と歓声を浴びた。力が強く、声が大きく、よく笑った。飛行兵というより、田舎町の快男児とでも呼びたくなるような気性の持ち主だった。
彼には、町の人々が好んで集う食堂があった。富屋食堂。そこにいた女将――鳥濱トメという人とのあいだには、不思議な温かさが流れていた。若者をわが子のように世話し、若者もまた、母のように慕った。勝又も例外ではなかった。
出撃の前夜、勝又は静かにその食堂を訪ねた。別れの盃を交わす中、ふとこう言ったという。
「おばちゃん、俺の余った30年の寿命、あげるよ。俺は20年しか生きてないから。あとの30年、使ってない。だから、おばちゃんが代わりに生きてくれよ」
冗談のように言ったのだろう。だが、その一言が耳から離れない。命を削る任務に就いた青年が、最後の夜に語ったのが、自分の命を他人に贈るという、あまりに静かな願いだったからだ。
翌朝、彼は一式戦闘機「隼」に乗り込んだ。エンジンの爆音が遠ざかるとともに、富屋の人々は手を合わせた。雲の向こうに行ってしまった青年に、祈るしかなかった。
勝又の死を英雄として語るのは簡単である。だが彼は、英雄であろうとしたのではない。ただ、「役目だから」と笑い、そして飛び立った。ただ、それだけである。
人はなぜ死ねるのか、などという大げさな問いを、彼は好まなかっただろう。彼が最後に残したのは、「自分の残りの人生を、おばちゃんにあげる」というたったひとつの言葉である。それがすべてであり、それ以上を語るのは、むしろ野暮というものだ。
何十年も経って、彼の肖像画が見つかった。どこか照れくさそうな、あの笑顔が描かれていた。人の記憶はやがて薄れる。だが、あの言葉だけは残る。
春の朝、ひとりの若者が空へと消えていった――そのことを、我々は忘れてはならない。
