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形而上的デ・キリコ展 カニさんと神戸デート1

『形而上』
あなたはこれが読めるだろうか?
そして意味を説明できるだろうか?

先日、神戸市立博物館にて『デ・キリコ展』へ行った。
まぁまず、私はジョルジョ・デ・キリコがどんな方かも知らずに行った。
なんなら、キリコちゃんって女性かなとも思っていた。草間彌生さん的なイメージである。

私の手帳の2024年年始に書いたやりたいことリストの中に「美術館にて、本物の絵を2度以上鑑賞する」というものがある。
まず誰もが知るモネ展へ行き、とても有意義な時間を過ごすことができて、気を良くした私は、没入型美術展を鑑賞に行った。
そこで学んだのは、どんなに圧倒的大きさのスクリーンや大音量の音楽を用意されたとしても、本物の絵の圧には敵わないということだ。
もちろん、没入型にも良さはあるのでおすすめだけれど、本物の絵が自分の前にある時の、胸ぐらを掴まれる感覚には敵わない。
あ、ちなみに、「これが本物です」って言われて偽物置かれても、同じことを言う自信はある。(どういうこっちゃ)


ともかく、2024年は、美術鑑賞や音楽鑑賞をして、それがなぜ後世に残るのかを直に触れて感じたいと思っていた。
そんな話をしていたら、穂音さんが「キリコ展よかったわよ」と教えてくれる機会があった。神戸か……行ってみようかな。そう思っていたら、カニさんが「私、キリコ展行きますよ」と仰るではないか。

え!!カニさんと美術館、行ってみたい!
カニさんのnoteで読ませていただくアートの話題は、いつも私を魅了していた。


それはぜひご一緒させてくださいと、急遽カニさんと神戸デートが決まった。
ウキウキと、私なりに精一杯のオシャレを決め込んで神戸へ向かう。

念の為、神戸に行く前日にキリコをちょっと調べた。
……あ。男性だった。
しかも、イタリア人だった。脳内で、草間彌生さんが笑っている。

ええ。先にはっきり申し上げておきます。
美術の美の字を全く知らなくても、美術鑑賞は楽しんでいいんですよ…!!(自分に言っている)

しかし、私はそれ以上調べるのはやめた。
せっかく何も知らない状態にあるのだ。第一印象を、ネットの絵で固めてしまうのは勿体無いではないか。知らない状態もまた楽しむべき。いざ!

入り口では、デ・キリコの有名な絵に迎え入れられるも、展示されている始めの絵は、ほぼ自画像である。
1959年『17世紀の衣装をまとった公園での自画像』をはじめとする、さまざまな自画像、肖像画を見ていく。

写真OKの展示
この辺はまだ興味薄くて撮り方が雑
(正直でごめんなさい)

私の印象はコスプレ好きなおじさんだった。
…こ、こんな感想しか浮かばない、どうしようカニさん!と内心焦る。
しかし、自画像、肖像画のコーナーを終えたあたりから、雰囲気は徐々に変わりだす。

デ・キリコは1910年代に、簡潔明瞭な構成で広場や室内を描きながらも、歪んだ遠近法や脈絡のないモティーフの配置、幻想的な雰囲気によって、日常の奥に潜む非日常や、神秘、謎を表した絵画を描き始めます。ニーチェの哲学に影響を受けたその作品群は、後に自ら「形而上絵画」と名付け、シュルレアリストなど多くの芸術家に衝撃をあたえました。

デ・キリコ展ホームベージより
『球体とビスケットのある形而上的室内』
三角定規とグルグルの棒が気になる室内
題名失念


『形而上的なミューズたち』
ミューズ…ミューズなの…ね?
『預言者』
怖い


ポップな色使い、謎に大量な三角定規、顔のないマヌカン(いわゆるマネキンのようなもの)圧迫感のある小部屋、そこに唐突にある建造物。
色使いがポップなはずなのに、どういうわけか不安を煽る。
『不可解な小説の表紙』だな。というのが私の感想だった。多分、この本の読了感はあまり良くないものだ。謎だけが残される。
そういや、このデ・キリコ展のキャッチコピーが『わたしは、謎を愛する。』
では、きっと謎は謎のままでいいんだろう。

でだ。私を困惑させ続けたのは『形而上的』なのである。
……なんて読むんだ…!?
あらゆる絵画の説明に、ずっと書かれている形而上。
英語表記は『metaphysical』メタフィジカル……いや!結局なんやねん…!!
オリビア・ニュートン・ジョンの「フィジカル」が脳内再生され始めるが、全く答えになってない。踊り出したい。
知りたいと思って読む説明が全て「形而上的」であるため、とりあえず、脳内で「け、けいじゅじょう的…?」と誤魔化しながら読む。都度、そこで「私の無知!」という雑念が入ってしまうのが残念極まりない。

『形而上絵画』は、デ・キリコの代名詞ともいえるとのことで、先に調べておくことも大事であった。

形而上けいじじょう

1 形をもっていないもの。
2 哲学で、時間・空間の形式を制約とする感性を介した経験によっては認識できないもの。超自然的、理念的なもの。⇔形而下。

デジタル大辞泉より

帰ってすぐ調べた。ピンときたわけでもないが、あの絵を見た後だと、なんとなく理解できる様な気もしてくる。

さて。形而上はあまり理解できてないとはいえ、感覚での鑑賞は楽しめる。
細胞鑑賞派であるところの私なので、漢字が読めなくともどうやら体は反応している様だった。妙に脈拍数が上がっている。いわゆる危険を察知している感覚に近い。
顔のないマヌカン、胴と手足が異様に長いのに極端に足が短い像のような絵がたくさん続く。一部可愛らしく見えなくもない絵もあるのだけれど、大半が奇妙な印象なのと、その無機質な感じがゾッとさせてくる。
顔に穴があるそれは、多分、なんの感情もなく、簡単に人の心臓を握り潰すんだろうなと思った。
なんでかわからない。魂の宿っていない人型のものが怖いだけかもしれない。

さらに先へいくと、『神秘的な水浴』コーナーにたどり着く。
スーツを着た紳士と、その横に煙突のような土管の様な風呂があって、そこで入浴しているらしき複数の裸の男性がいたりする。
しかも、彼らがまっすぐ棒立ちでこちらを見ているのだ。
…えっと…? 神秘……。
困惑に次ぐ困惑に、また心臓が高鳴る。
無表情な男性たちの、謎の水浴。しかも水が木目のようにギザギザ。
ああ、写真を載せたい、説明できない…!
血液だけが、まるで出口を探すみたいに、ワシワシと体を巡っていた。何ですかこれは。
しかし、このコーナーの説明が私を驚愕させた。
ざっくり説明すると、こうだ。

祖国ギリシャで、デ・キリコが子供だった頃、父親は時々彼を海水浴に連れて行った。少年は、服を着た人物と脱いだ人物の違いを目にして大きな衝撃を受けた。彼らの姿はあたかも異なる生息地に住む異なる種の動物の様だった。(中略)子供時代に感じたこうした脅威と、水面と一体化した輝く寄木づくりの床面との間には、潜在意識的な関連があると気づいた。

1936年 デ・キリコ自身による解説


海水浴に行って、服を着た人物と脱いだ人物を見て衝撃を受ける少年の脳内の凄まじさよ…!!
彼が見ている世界のほんの一部を解説してもらった気がした。
私には全く見えていない世界がこの世にはある。
見たものを捉える感覚の次元が違うんだ。次元が違うから、こんなに恐怖なんだ。
この文章を読んだ時、そう思った。
私にも、見ているのに見えてない世界を見ることが出来たら。
それを文字に起こすことが出来たら。
そんな面白いことって、ある?
そう思ったら、また血液が出口を探すみたいに身体を巡って、とても怖かった。


記念にマグネットを買う。
意識的に怖くならないものを選んでいた。
ヒグチユウコさんとコラボバッチ
怖かった絵が、急にめっちゃキュートになる不思議
ワンピースにこんなキャラいなかった?
と思ってしまった
題名失念
『オデュッセウスの帰還』
これはなんだか可愛い


グハッ!!
カニさんとのおデートについても書きたいのに、3,000字になってしもうた!
カニさんとのおデートはまた後ほど。

テーマは大人デートですの🤭





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