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法庭の蟻(2/2)できたひと エピローグ



できたひと 1

 俺や、ボスの川名先生のような、地方都市の小さな法律事務所の弁護士は、相続、離婚、交通事故、自己破産といった民事事件や国選・私選問わず刑事事件と、数十件の事件を随時抱えている。
千葉市内で弁護士をしている同期のエリンがふいに事務所にきた。
「この事務所なごむわあ」
タケル八幡神社の裏手、路地を抜けると不意に現れる蔦に覆われた我が事務所である。誉め言葉として聞いておくが、ボスに聞こえるかもとか気を使って欲しい。
「かずさ支部で離婚調停があったから、その帰り。忙しいところごめんなさいね。」
「忙しいのはエリンでしょ。かずさ地区児童相談所の契約弁護士もやってあげてるんでしょ」
「まあ。週に一回だけだから。弁護士会の委員会の関係もあるしね」
児童虐待事件や親権をめぐる紛争の顕在化を受けて、児相の機能強化を図るため、弁護士を各地の児相に配置する施策が進められている。忙しいのに誰がやるかと思っていたが、心ある弁護士はいるもので、C県弁護士会子どもの権利支援委員会副委員長のエリン先生も手を挙げた一人だった。
「ちょっとお願いがあってきたんだけど」
エリンのお願いは大歓迎だ。
「裁判員裁判、一緒にやってよ。」
こんな事件だそうだ。令和元年12月20日、千葉県鏡ケ浦市新港所在のコンビニエンスストア駐車場において、自動車を急発進させ、被害者に臀部打撲の傷害を負わせた。強盗殺人未遂事件ということだ。
「自動車による殺人って珍しいね。」
「でしょ。殺意を争っちゃおうかと思って」
「俺やだよ。車でぶつけたんでしょ。そんな危ないことしたら殺そうとしたって言われちゃうよ」
殺人の故意、殺意というのは、積極的に殺そうとしたってことじゃなくて、死んでしまうかも知れない行為を敢えてしたっていう意味なのである。裁判員裁判の理念はわかる。司法への市民の参加の理念は素晴らしいと思う。市民の支持のない社会制度はあり得ない。
これは感覚の話だけども、裁判員裁判制度がなかったときは、今より量刑を「落とす」運用が多かったのではないか。天羽さんみたいのは、窃盗と傷害あるいは人身事故扱いで、刑務所に収監されることはなかったのではないか。
 
「それに。弁護士って嫌われてるじゃん。なんで悪い人のために弁護するのかとか直ぐ言われるし。しかも、裁判員裁判でしょ」
「あなた。なんのために弁護士になったの」
ああ。こういうひどい言葉を弁護士にぶつける人も良くいる。弁護士なんだからとか、医師なんだからとか。誰得なのか。世のため人のために身をすり減らすべきだ。みたいな。エリンたら、弁護士のくせにそんなこと言っちゃったよ。ブーメランだよ。
「その話長いのかい。まあ。あなたの頼みならやらんことは無いな」
スーツの物がいいのはわかるが、ふくよかさで、ボタンはきつそうに見える。きちんと感が出ているのかは微妙だ。だからこそ一生懸命さが際立つというもので、この人に頼まれたらやるでしょう。
「さすが仲川くん。これ国選だけど、裁判員裁判だからペイも悪くないし。頼りにしてるわ」
被告人は、鏡ケ浦警察署に留置されているという事でエリンの事務所のある千葉市街からは、まっすぐ南に100キロ近くある。同じく房総半島の南の方に住んでいる俺を接見要員として雇ったんだと思うが。まあいいか。裁判員裁判は業務量が多いため、お国から、二人目の弁護人の選任が許されているのであった。
スケジュールを確認する。裁判員裁判本番まで2か月。第1回目の裁判官と検察官との打ち合わせ、いわゆる公判前整理手続きまでは2週間だ。
「まずは当事者と現場だから、この後行ってくるね」
引き受けた以上は、すぐに動くのが吉と思う。
 
南房総自動車道を2時間走る。途中で削り取られた砂山が見える。正しくは、砂山は、見えない。それらのいくつもの山は、今は平らに馴らされて、メガソーラー発電所になっているから。
房総半島の先の方まで、丘陵の上から望む鏡ケ浦、その弧ををぐるっと回った先の海上国防隊鏡ケ浦航空基地の門前に着いた。その正面にあるのコンビニエンスストアが現場である。こっから先は、海水浴場やキャンプ場、リゾートホテルが立ち並ぶエリアになっていた。基地の裏に沖の島があり、島まで砂浜を歩いて渡るこができる。俺はそこで、気候が許せば、一人でシュノーケリングをするのが常だ。
コンビニは見通しのよい交差点に位置していて、駐車場は店舗の東側に5台分、南側に6台分であり、本件犯行車両は、東側の駐車スペースの北から2台目に駐車されていた。館山港のそばの産業用地という立地からか、敷地はやや手狭であり、スムーズに駐車するのには、少し技術がいる感じである。
店舗の内部は、今時じゃないコンビニのレイアウトで、商品棚の背が高く、通路もやや狭い。見通しが悪い店内だ。場所柄を反映して、冬なのに麦わら帽子や潮干狩り用の熊手なんかを売っている。あと、入り口付近の目立つ場所に自衛隊グッズを売っている。Tシャツにエコバック、そして何と、ここでしか買えないシャチの絵柄のピンバッチ、これは館山航空基地の部隊の徽章を模したものである、買って帰ろう。
 
「はい。鏡ケ浦警察署です。」
「弁護士の仲川と申します。お世話になっております」
「はい」
弁護士には、挨拶を返さないことにしている職員のようだ。お前らとは馴れ合わないぜ、というところですか。
「留置のご担当をお願いします。」
電話で被告人の在監確認が取れたので、そのまま館山警察署に向かった。
 
「こんにちは。新しく弁護人についた仲川です。あ。佐倉エリ先生も継続ですから。一緒にやるんで」
被告人天羽悟は、かずさ市と隣接市にまたがる広大な八幡製鉄君津製鉄所で働く作業員だった。領主たる製鉄所所長が八幡製鉄正社員からなるグローバルエリートの官僚機構を率いる。その下の直臣たる一部上場企業を含む企業群までが君津製鉄所における支配層だ。いずれも、近代日本を支えてきた終身雇用・年功序列の堂々たる伝統的日本型企業である。
彼らや木更津駐屯地の自衛官らが、地元の夏祭りで披露する一糸乱れぬ踊りは、盤図干潟のいそしぎが、一斉に羽ばたき舞い上がるさまを思わせる。踊りの歌詞の「お隣同士」という言葉には、戦後高度成長期に入植してきた人たちである彼らと、地元民との融和を図りたい誰かの願いが感じられる。
その下を、地場の中小企業群が支えている。独特の技術を持つ会社もあれば、とりあえず人手を提供する人夫出し、今でいう人材派遣業者まで、雑多な企業群がある。とにかく八幡製鉄関連企業との取引口座があることが、みんなの生命線だ。
天羽さんは、築炉屋で働いていたということだ。
車で走れば煤で窓がにわかに曇る。その広大な八幡製鉄所構内の中でも、特に灼熱の環境で重量物を扱う、きつい仕事だ。
 
「今は警察からは何を聞かれてるんですか」
「はい。なんでそんなことしたのかと」
「なんて答えてますか」
「はい。わからないと答えています」
真面目か。
わかんないなんて言われたら警察の取調官も、すごく困ると思うよ。動機の解明が大事ってマスコミも言っているし。
でも、すべての犯罪に明確な動機なんてあるわけないだろ。探偵アニメは面白い。そこには、殺意があって動機があるからだ。明確な殺意がないと殺人のためのトリックは作りようがないし、明確な殺意の前提となる論理的に構築された動機が存在しないと、カタルシスは無いだろう。すごいな、腹落ちしたいのは観客ですか。
 
一昔前なら、取調官は、迷わず動機を作文したと思う。
そう。こんな感じに。
「天羽さあ。お前、殺そうとしたんだろ。憎いと思ったのか」
「すいません。そんなことはないです」
「にくくもないのに殺そうとするわけないだろ。」
「すいません。殺そうとしてないです」
「ばか。車で轢こうとするってのは殺そうとするってことなんだよ」
「すいません」
「馬鹿にされてるとか思ったのか」
「思ってないです」
「軽く見られたと思ったのか」
「思ってないです」
「聞いてくださいよ。あなたがちゃんと受け答えできないから時間がかかってるんでしょ。こっちも一生懸命やってるんで、あなたもちゃんと思い出してくださいよ」
「すいません。よろしくお願いします」
「じゃあ聞くけど。大事にされてると思ったのか」
「思ってないです」
「大事にされてないってことは軽く見られてたってことじゃないのか」
「よくわからないです」
「ばか。そういうことなんだよ。そうとしか書けないだろうが。そう書いとくからな」 
「すみませんでした」
「よし。軽く見られたと思って、かっとなってしまいましたと」
こうして、和やかな雰囲気の中で捏造され、出来上がった調書にはこう書かれるていたのであった。
 
被告人は、被害者から一瞥されたことから馬鹿にされていると感じて激高し、自分の運転する車両が被害者に衝突すると被害者が死亡するかもしれないと思ったが、そうなってもかまわないと思い、アクセルを強く踏み自動車を急発進させ、もって、自動車の左側前方バンパー付近を被害者に衝突させたものである。
 
捏造されたものであるからこそ、むしろ、被告人の動機は身勝手で、理解不能、一般人をして異常で危険な人物であると思わせるに足る内容となったのでした。
 
ちゃんちゃん。
 
本件に話が戻ります。
 
「それで、なんでぶつけちゃったんですか。そもそも被害者が見えていましたか」
俺は、事実のことを聞いていきますね。と言って、天羽さんに事件の経緯についての認識や、その後の捜査の過程について、訪ねた。
「見えてたと思います」
思うって言われてもなあ。事実は見えたか見えてないかのどちらかだろうに。でもまあ。よくあることだ。こういう時は、どうして「思う」に至ったかを聞いていけばいいのである。
「でも実は、ぶつかったかも、よくわかんないんです」
そうだろう。自動車に衝突の痕が残るような事故じゃないもの。加えて、傷害結果は衝突した部位ではなくて、転倒後に生じたものである。だから、自動車は、被害者に少なくとも、強く衝突はしないで止まっている。接触の有無については、客観的証拠からは不明と言える。そして、事故の瞬間に、加害者が被害者を視認したことまでしか、動かしがたい事実とは言えない。その時点では事故は避けがたいわけで、加害者の過失は、その時点よりも早い時点での認識によって判定をされることになるだろう。
「私、現場見てますよ。駐車場は、あのコンビニの駐車場は、結構傾斜が急ですよね。それに、その時間帯は暗かったんじゃないですか。店舗の陰ですし、ほら、自衛隊のライトもこっち側は照らしてないでしょう」
「はあ。よくわかんないです」
「ちょっと話を戻しますね。あなたは、コンビニに何をしに行ったの」
「はい。家に帰る前に飲み物を買いに」
「被害者を始めて見たのはいつでしたか」
「被害者は、コンビニの店員さんですよね。。店内にいたんでしょうか。見た覚えがなくて。だからちゃんと見たのは、事故のあとです」
「お店にいるときに、他の買い物客とのトラブルがあったんですよね」
「はい。そんなに大袈裟な話じゃないと思うんですが。」
「相手の人の印象はありますか。何買おうとしてたとか。服装とか」
「ないです。女の人でした」
「何か言いがかりをつけられたの?」
「ちょっと私の肘がぶつかってしまって、痛てえなとか、そんなことを言われてしまいました」
「流したらよかったのに」
「無視したんですけど、それが気に入らなかったみたいで」
「そのときは、店内のどこにいたの」
「入り口付近にいました」
「それで、ぺットボトル持ったままお店出ちゃったの」
「はい」
「お店の人ついてくるよねえ。見えなかったの」
「ちらっと見えたような気も」
「そこが大事。調書に何て書かれたかわかりますか」
「覚えてないです」
「何で車乗ったの」
「怖かったんで」
「車のエンジンかけっぱなしだったのもよくないよねえ」
「何でですか」
「何でですかって。天羽さん。初めから物盗って逃げるつもりだったって言われちゃうよ」
「そうなんですか」
天羽は大きな目をさらに大きく見開いて、本当に驚いているようだった。このひと美形だな。
「天羽さん。もう一つだけ。お店出たときに手に持ってた商品はなんでしたっけ」
「ポカリです」
「わかる。長いこと車乗ると俺も脱水症状みたいになるよ。後はなんですか」
「ピンバッチですけど」

できたひと 2

 午前十時、C県地方裁判所本庁刑事第二部の打ち合わせ室にて、第一回目の公判前整理手続きが開始された。
担当裁判官は、刑事第二部の部総括判事を裁判長に、右陪席裁判官と左陪席裁判官の計三名である。検察官は、主担当と副担当の二名。
そして、弁護人は、我らが佐倉エリ弁護士と俺の二人である。
裁判長が進行を行う。
「被告人は同席なしでいいですね」
「はい」
と、佐倉エリ弁護士が答えた。
ほんとうは、館山警察署から引っ張ってきてほしいくらいだ。
あの朴訥とした様を見てほしい。この人が「逮捕を免れるため」「殺意」ってどうなのよと思ってくれないかなあ。
「証拠の任意開示は進んでいますか」
「はい。類型証拠開示請求をお願いしておりまして、検察庁のご対応を待っているところです」
と、佐倉弁護士がそつなく答える。弁護人としては、検察官が当初開示した分だけでなく、それ以外にも被告人に有利な証拠が隠れている(隠されている?)可能性があるので、追加の証拠開示請求を行うことがセオリーである。
俺は、改めて手元の起訴状に目をやった、
 

起訴状
被告人
   天羽悟
 
被告人は、令和元年12月20日、C県鏡ケ浦市新港226番地所在のコンビニエンスストア「スマイル」駐車場において、ペットボトル入り飲料1本(時価165円相当)と、ピンバッチ1個(時価550円相当)を窃取して逃走したところ、同コンビニエンスストア店員の白浜公(当時22歳)にその犯行を発見されて追跡され、同コンビニエンスストア駐車場に停車中の自家用車に乗り込んだところで追いつかれるや、逮捕を免れるため、同人に対し、殺意をもって、同車のアクセルを強く踏み込み急発進させて同人に衝突させたが、同人に全治約2週間の臀部打撲傷を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げなかったものである。
 
罪名および罰条
強盗殺人未遂罪  
刑法240条後段及び同243条」
 
「弁護側で、事実関係や法律関係で争うところはありますか」
「はい。事実関係の詳細な認否は、証明予定事実の提示及び証拠開示を待って行いますが、法的部分としては、強盗の成立と、殺意の認定について争います」
検察官二人が目を見合わせている。芝居かよ。白々しい不満の表明だ。
「説明してください」
と、裁判長。
「はい。強盗については、被告人に一定の暴行があったことは争いませんが、財物奪取に向けられていないのではないかということです」
「それと殺意について争います」
「え。ほんとですか」
口をはさんできたのは、右陪席のおじさんの裁判官だった。
「弁護人はこの手続きの意味わかってますかあ」
「争点整理ですよね」
「わかってるじゃないですか。裁判員含む裁判体で適切な判断ができるようにするためですよね」
裁判体という言葉を聞くたびに、人外の知的生命体が想起される。きっと、必死に弁解しても、人間程度の知能の生命体の知的な営みが気に入らなくて、頭からばくりなんだろうと思う。
なんにせよ、裁判を下す主体が裁判体である。
エリンは飽きてきたみたいだ。ひっつめ髪の襟元のあたりをばりばり掻いている。そして言い放つ。
「まあ。被告人の利益を考えた末のことなんで。これ以上絞れませんから」
 
一時間程度の手続きを終えた。エリンの事務所に移動して協議を行う。
「検察官たちは、気配消してたね」
「てゆうか、あなたも消してたじゃん」。
「いえ。当職は佐倉先生の勇姿を見守っておりました」
「どうでもいいんでしょ」
「え。そんなことないって」
「あなたじゃなくて検察官。まだ右の裁判官のほうが好感持てるわ。自分の存在感を裁判長に認めてもらおうと思って、仕事する気はあるよね」
ああ。この人は本当に大人だ。
「主任の検察官。同期なんだよね」
「主任は女のほうだよね。若いほう。仲は良かったりしたの」
「こっちはあれだけど。検察志望の人ってさ」
司法試験に合格した人は、最高裁判所の任命で司法修習生と呼ばれる実習生になる。司法修習中に、裁判官・検察官・弁護士から、進路を選択していく。あるいは、お上から選択されていく。この人は、志望進路別性格診断でも始めるんだろうか。
「群れを作りたがる女の子で。オタクサークルの姫ってやつかな。私の何が気に入らないのかわからないけど、あたし嫌われてたなあ」
「今回の被害品だけど。ペットボトルと」
「皇國の興廃、此の一戦にあり。ね」
「あ。うん」
「知らないの。Z旗のピンバッチでしょ。日露戦争だよ」
佐倉弁護士は、なんでも詳しいし、刑事記録も、俺なんかより、細部まで読み込んでいるのである。
あのジャマイカの国旗みたいなのがそうなんだ。俺があのコンビニに行ったときはなかったし。
で、押されっぱなしなので、
「公判前手続き、もう一回あるでしょ。次回は天羽さん呼びたいんだけど」
軽い気持ちで提案してみた。
「そろそろ千葉刑務所の留置施設に移送されてくるだろうし。呼びやすいでしょ」
「どうしたの。あのおじさん気に入ったの」
「天羽さんが殺意って印象ないでしょ。早めに裁判官に見せておきたいと思って」
「そういう線で行きたいのね。でも、漁師町の出身の人は怖いっていう先入観じゃなくてね。鋸山の石工みたいな。あの人は、私は怖い人だと思ってるんだよね」
急に田舎のほうに知識があるようなこと言ってきた。お好きな幸田文「流れる」からの引用と思われる。俺は成瀬巳喜男監督の映画でしか知らないけど。山田五十鈴が色っぽかったなあ。
ついでに、無意識にだと思いたいが、俺との距離感を図ろうとしているのだろう。間合いを図って、コントロールしようとしてくる。本当に弁護士らしい弁護士さんだ。
弁護人としての筋立てとは別として、人として感じるものがあることは当たり前のことだと思う。この時点での俺とエリンの見立ては違うわけで、あと一か月ほどの間に、主張としては擦り合わせないといけない。裁判員裁判の法廷は完全アウェーだから、ぶれない陣形を組むことが大事だ。
エリンが紅茶を入れてくれた。お気に入りの、ダージリン地域指定農園の早摘みの茶葉ということだ。台湾のお茶みたいに発酵の浅いさわやかな香りのするお茶だった。
彼女の見立てに、俺が迎合することは求められていないだろう。俺は、俺が思うようにしか感じられない。感じたことを正確に論理に落とし込んで、仕事を全うする。
 
C県刑務所には、正門はじめ、百年の歴史がある赤れんが造りの歴史的建造物が現存している。犯罪歴が短く、刑期が長い、懲役刑受刑者が収監される。端的には、殺人とか強盗とか、粗暴な行いを、いきなりしてしまった方々である。
刑務所に併設し、刑事被告人や未決囚向けの留置面会施設もあり、天羽さんは、ここに移送されてきた。
 
「弁護人接見お願いしまーす」
所持品検査のゲートをくぐって、担当官に話しかける。すぐ脇の小部屋で待つこと十五分ほどで、天羽さんが刑務官に連れられてきた。
髪を切られたようだ。今時、強制的・矯正的な雰囲気はないが、坊主みたいな頭のほうが、中の生活では便利なのか。素直な天羽さんは、そんな髪型になっていた。
アクリル板越しの目は、いつも通り下を向いている。
「こんにちは。変わりないですか」
「ありがとうございます」
「取調とかありますか」
「ないです」
「暇ですか」
「はい。相変わらず独居房ですし。面会もないですし」
「ご家族への連絡はいいんですか」
「はい。ダメな父親なんです」
そんなこと真顔で言われると恥ずかしい。
「それだとこっちもあれなんで。お手紙だけ。元奥さんでいいですか」
「せめて息子にしてください」
「わかりました。で。裁判の日が決まりましたよ。6月4日から6日です。天羽さんの尋問、被告人質問て言いますけど、は、5日です。二日目ね。同じ日に、被告人に意見陳述の機会があるから、今回の件の反省とかを話してもらいますね」
「反省てなんですかね」
反省は反省だろ。天羽さんのそういうところですよって思う。
「天羽さん。犯した罪に向きあうことが反省ですよ。それを言葉にしてください」
「謝ればいいんですか」
「被害者の店員さんは怪我をしているし。それは聞いているでしょ」
「はい。警察の人に。申し訳ないと思います。でも私だけが悪いんですか」
「どういうことですか」
「自動車でぶつけたら普通、交通事故ですよね」
「あなたの場合は、コンビニから物を持ち出してしまってるでしょ。逃げようとしてわざとぶつけたと思われているわけですよ」
「そういうことじゃないですよ」
天羽は声を荒げた。
「じゃあ。どういう事なんですか」
「わりきれないですよ」
そんな接見だった。時間はあるから、まだ準備はできるはずだ。これから俺は、精密にコントロールされた被告人質問を作り上げないといけない。天羽さんに証言によって、裁判官と裁判員の心の中に、天羽さんに有利な現実を刻み込むことが仕事だ。
 

できたひと 3

俺の自宅は、かずさ港のすぐ前、スカイコート505号室にある。
家に帰ると、三毛猫のピッピが、一瞥だけをくれて奥に入っていった。一応お出迎えをしてくれているのだ。
窓からは、遠くに首都の明かりもみえる・首都の全部だ。東京スカイツリーの下町から丸の内、何なら横浜のみなとみらいまで見えるのだから。でも、あっちからこっちは、見えないだろう。知らないものは見えない。見えてもここがC県かずさ市とは見えない。
さっきまで、事務所で川名先生と話をしていた。かずさ市に地盤も看板もない中で、何とかやってこられたのは先生のおかげだった。
先生は、俺の仕事についてあれこれ詮索しない。最低限の経費だけ入れてくれればいいという態度をとっている。
そこは流石に俺でも、多くを期待されていることを肌身で感じる。
すごく饒舌な背中なのだ。
仲川先生よお。弁護士の仕事はただのビジネスじゃないから。司法権の一翼を担う、大切な社会のインフラだから。この地元のおかげでお仕事できるわけでしょ。きちんと恩返ししないとね。この地域が地域間競争で生き残っていくためには、良質なリーガルサービスへのアクセスが必要不可欠でしょ。仲川君も会ったことあるでしょ。事件屋さんに、少し前まで、そんな素性の知れない知り合いの知り合いみたいな、ちょっとグレた小父さんが、平気で紛争に介入してたんだから。仲川君の受けてきたトレーニングや経験は、なんのために生かすのか。考えてね。
そう語ってますよね。川名先生のいつものお仕事ぶりが饒舌ですよ。そのお背中。すっごい肩に力が入っていて、タケル八幡神社の関東一の大神輿を、いっつも担いでいるみたいな話ですよ。肩に瘤ができますよ。
でも、川名先生が、実際に声に出すのは、今回もこんな言葉だけだった。
「裁判員裁判二回目でしたよね。大変でしょ。なんか聞きたいことあるかい」
「うん。できるだけのことをすればいいよ。大丈夫。弁護人と検察官とでさ、意見が対立することに意味あるんだから」
川名先生は、手続きの力を信じているのだ。
エリンなら、口先だけでこう言うだろう。二当事者対立構造の中で、すべからくバイアスは排除され、手続き的正義が実現される。
 
第二回の公判前整理手続きの日を迎えた。
裁判長が今日もクールに進行する。
 
「佐倉弁護士、証明予定事実はこの書面の通りでよろしいですか」
「はい。強盗の成立と、殺意の認定について争います。具体的事実の主張、検察官のご主張に対する認否も記載の通りです」
検察官たちが一斉にため息をつく。
「では、両者変更なしですね」
「尋問の対象はどうですか。検察官から」
「はい。被害者のコンビニの店員白浜公さんを証人として申請します」
「弁護人は」
「はい。犯行時に臨場した警察官の方と、あと、被告人質問です」
「双方意見はありますか」
ここで、検察官がガンつけながら異議を述べた。
「異議があります。警察官の証人尋問は不必要です」
「佐倉弁護士は、警察官を申請する趣旨を説明してください」
「はい。本件の事故態様を立証します」
「それって、ベストエヴィデンスなんですか。どうしても必要なんですかねえ」
と、右陪席のおじさんの裁判官がちゃちゃを入れてくる。
「はい。行為態様及び行為の前後の状況から殺意の有無が推察されると思料しますので。事故後の当事者の状況等についても聞いていきます」
裁判長が「それでは、申請の通りに採用していきたいですが、よろしいですか」
「しかるべく」
佐倉弁護士が応える。検察官たちはコクコク頷いている。結局みんな、まあ、そんなとこだと考えているのだ。
「日程についてです。手元のペーパーの通りで行きますね。一日目にコンビニ店員と警察官の二人尋問をして、被告人質問は二日目ですね」
「弁護人。情状の立証は行いますか」
 
被告人の天羽さんは、南房総の港町で生まれた。代々の漁師であるが、親類縁者には石工もいたと言っていた。
南房総から首都へ、文明開化の時代は山の石を削って運び、高度経済成長期には山そのものを削って、その砂を運び、みんなでせっせと首都の土台を作ってきた。
築炉という仕事は、石炭を燃やして鉄を溶かすための巨大構造物を、レンガを積み重ねて作る仕事である。そんな仕事が天羽さんには親しみを覚えるものだったらしい。
「仲川先生。築炉ってきれいなんですよ。すべすべに作っていくんです。」
天羽さんが言うには、積み重ねられた耐火煉瓦によって構築された巨大な面は、どこまでも滑らかで美しい。削る、少しずつずらす、その手の感覚での調整。それは、天羽さんから聞こえる言葉からは、熱いとか重いとかの話とは別の世界の話のようだった。
「八幡製鉄で二人目に宿老になったのは築炉工だったんです」
「えっ。宿老ですか」
武家か何かですか。職人のイメージと離れすぎて話が呑み込めない。どうやら伝説的スーパー技術者のことらしい。近代日本を戦後日本を作り上げてきた人たちの話だ。じゃあ。いまは、なに日本なのか
天羽さんは、築炉工の誇りの話もしてくれた。新しい高炉とかをつくる仕事よりも、今は修繕の仕事が多いそうだ。そうすると、高炉を長時間止めることはできないので、作業の時間は限られ、炉内の温度を下げるわけにもいかないので、灼熱の中で、効率的な作業が求められる。俺たち熟練工にしかできない仕事というわけだ。
「若い社長の下でも、自分は頑張ってきました。これしかないですから」
技術者は減っている。会社を継ぐ人もいない。その中で、残存者利益を狙う若い野心的な経営者も育っているのは、地方の現場仕事の業界ではよくある。この辺りの話は、川名弁護士の受け売りですけど。そういった若造と、天羽さんみたいな職人さんとの感覚が違うことは俺にもわかる。
後から調べた、ちゃんとした定義だと、築炉工とは、種々の窯炉設備において主として耐火煉瓦を積み上げて構造物を建設する技能工とのことであった。鉄鋼関係では、高炉、コークス炉などの建設と整備、修繕に従事している。
実際の作業において、戦力となる築炉工の技量とは、築炉図面を実際のれんが積みに構成する能力は勿論のこととして、実際の寸法と形状を見てれんがの立体的な配置・完成後の面的なイメージをもって築造していく能力、積みつけの順番の段取り力、レンガの切削加工の技術、モルタル塗りの技術なんかを持ってることが求められるということであった。同じ築炉工でも単なる資格もちと熟練工では、作業の質と速さが雲泥の差ということらしい。天羽さんの言いたいことはこういうことだったのかと腹落ちした。
天羽さんは、かずさ製鉄所で仕事を覚えたという事だが、若いころには、八幡製鉄発祥の地である北九州へも働きに出たことがあった。たまたま条件が良かったからということである。
その時の職場の親方は北九州の人で、天羽さんの仕事ぶりは、なぜか褒めてもらえたそうだ。親方が紹介してくれた親戚筋の娘さんが、奥さんだった人だった。天羽さんの仕事に対する誇りも、この北九州のエピソードとともに語られた。
なんで別れることになったかは、よくわからない。らしい。でも、奥さんや子どもを置いて、一人でこっちに帰ってきちゃったら、そりゃあ遠からず離婚ではないかと俺は思ったが、天羽さんには響かないストーリーという事だ。
たまに北九州へ出張したりすると普通に会ったりしていたらしい。
でも、わざわざこっちに出てきて、事件を起こした元父親のためにひと肌、という事ではないらしい。緊急事態なのにね。だからか。
 
今回の手続きは天羽さんも在席している。
手続きに当事者が参加することの意味は大きいと思うのだが、彼が存在することによる波紋は、一見しては、法律専門家たちに影響を与えていないように見えた。天羽さんはどう感じているのか。
自分のことをこの人たちは話しているようだが、全く自分の方を見ようともしない。何か、川の流れを堰き止める異物を慎重に脇にどけている。
 
佐倉弁護士が応える。
「情状立証の予定はありません」
「そうですか。その他、両者、進行についてのご意見はありますか」
検察官たちが首振ったりしてる。
「無いようであれば、お手元の進行スケジュール表の通りに進行します」
これであとは、本番一発勝負である。
 
佐倉エリ弁護士の事務所は、C私鉄線C中央駅ロータリーにある七階建てのビルの最上階だ。びっくりするくらいに背の高い観葉植物が飾られている。
「仲川先生さあ。天羽さんとはどうなの」
どうなのって言われても恋人とかじゃないし。
「うーん。このところ今ひとつかな」
「裁判員裁判にびびってないわよね」
びびるとかそういう事じゃないでしょ。
「わかるけど、裁判員裁判だからこそ弁護士が必要なんでしょ。裁判員には認知のゆがみがあるわけ。個々人の問題じゃないから認知バイアスって言ったほうがいいかもね。悪い奴をなんで弁護するのかっていう思いは、誰のせいでもないよ」
びびってる俺への慰め、と採った。
でも、更に畳みかける。
「裁判員の名簿見たでしょ。見事に多様性に配慮されているわけよ。若い男性から年配の女性まで、職業も学生さん、パートさん、リタイアした方。でも、そんなの関係ないから、あの席で、集団で、被告人を見下ろしちゃったら、みんなおんなじだから」
「さて。質問を変えます。仲川弁護士、被告人質問の準備はできましたか」
「天羽さんとはその後も接見をし、進めています。しかし、肝心なことになるとわかんないとか言ってて、ストーリーが作れていないのが現状です」
「検察官が事前に作っている調書との整合性はどうですか。」
 
検察官の調書には、こう書いてあった。
「商品をもってそのまま店を出ました。
(問)会計を済ませていないことをわかっていましたか。
(答)はい。わかっていました。
(問)どうして会計をしないまま店を出たのですか。
(答)沈黙。回答なし。」
 
被疑者が要領を得ない回答をしたときの書き方である。理由がわからない。趣旨がわからない。だからその人がいった事をそのまま調書上に再現するしかない。そして、そこに表現されているのは大きな疑問符である。ねえ。この人の言ってることおかしいでしょ。あなたもそう思うよねえ。
 
「はい。調書もそんなんだからやりようがなくて」
「じゃあ。仲川くんさあ。そこんとこの質問、思い切って削っちゃおうか」
それも一案かも知れない。こちらには立証責任は無いのだし、手続き上は正しい。しかし、こちらのストーリーを示し、裁判員と裁判官を説得できるなら、したい。
 
C県地方裁判所本庁101号法廷は、県下で一番大きい箱だ。正面のひな壇には、裁判官3人、そのさらに上段には裁判員6名とと補欠の人3名のあわせて9人が行儀よく並んでいる。ひな壇の正面が証言台、その左に澄ました顔で背筋を伸ばして着座する検察官二人、裁判員向けの余所行きの顔だ。対する向こう正面がわれらが弁護人席。俺らの席の前のベンチに天羽さんが、係官達に挟み込まれるように連れられて着た。いわゆる腰縄両手錠でしょっぴかれてくる。両手の手錠は申し訳程度に布で覆い、腰にぐっとしばりつけ後ろで結んだしっぽの縄は、係官がぐっと握っている。そういう絵面だ。
エリンなら、こういうのが裁判員の認知・判断のプロセスに顕著に働きかける、とか言うのだろう。
中央を柵が横切り、手前は傍聴席、たいして注目される事件じゃないからテレビカメラは入ってないけど、一応、報道の腕章をつけた人達が見える。記者さん達は、いざ判決となっても、急いで駈け出して急いで報道しようともしないだろうし、俺らも、「勝訴」とか「不当判決」って、習字で書いた紙を持って駈け出したりもしない。
 
裁判長が進行する。
「天羽さん。被告人には黙秘権がありますから、ずっと黙っていることもできます。発言したことはあなたの有利にも不利にも扱われます。わかりましたか」
「わかりました」
「では聞きます。検察官の朗読した起訴状の内容に間違っていることはありますか」
「はい。私がわざと車をぶつけたという事はないです。」
裁判員からの圧を感じる。人間の集団としてのそれだ。道徳的判断を行う瞬間・その歓びのときを、待ち受けている顔たちだ。人を裁くことの怖さを今は感じていないのだろう。職業裁判官からは、めったに感じない類のものだ。
さて、今から3日間のお仕事である。
 
二日目午前10時。
裁判長が進行する。
「それでは被告人質問を始めます」
 
ここまでの審理を振り返る。
 
コンビニ店員 白浜公 二一歳
 
コンビニの店員さんが泣きながら証言した。
ほんと怖かったんです。お店でなんかお客さん同士がもめてました。一人がふらっと出てっちゃったんです。そうです。その被告人です。うちの商品持ったまま車に乗って行こうとしたんで、とっさにくるまの進行方向に、そうですね。図で言うとここです。
「被告人はあなたに気づいていたと思いますか」
「はい。大きな声で呼んだので」
「被告人はあなたの呼びかけに答えましたか」
「いいえ」
「自動車に乗ってからですか」
「はい」
「窓は空いてましたか」
「暗くてわかりません」
「目はあった?」
「合いません」とにかく、本当に怖くて、殺されると思いました。被告人を許すことはできません。
 
佐倉弁護士が反対尋問を行った。
「先ほど、被告人を呼んだと発言されましたが、何と言って呼びましたか」
「覚えていません」
「あなた車とぶつかりましたか」
「ぶつかりました」
「どこですか」
「膝の辺りです」
「指で指し示してもらえますか」
「右ひざの5cmくらい下という事ですか」
「その高さと自動車のバンパーの高さがあっていると思いますか」
「異議。意見を求めるものです」
主任検事が遮った。
「質問を変えます」
佐倉弁護士が意義に応えた。
「バンパーの高さはわかりますか」
「分かると思います」
「あなたのいう膝の下という場所と、バンパーの高さは、一致していますか」
「わかりません」
 
臨場した警察官 布良繁 三七歳
 
佐倉弁護士が主尋問を開始する。
「あなたの作成した被告人調書には、怖くなってコンビニ店員にぶつかってもいいと思って、アクセルを踏んだとありますが、実況見分調書と矛盾しますね」
「ちょっと矛盾しているかどうかは、私にはわかりません」
「アクセルを踏んだら自動車の停車位置はもっと先ではないですか」
「わかりません」
ベテランの捜査官がわかんないわけないだろ。自動車が加速していないことは明らかだ。
布良警部は言葉をつなぐ。
「アクセルを踏むっていう言葉には幅があると思います。矛盾していません」
意外とよくしゃべる人だな。
俺は、捜査官には言葉の強弱を巧みに操る文章力があることを知っている。それは、法律の要件に事実を寄せて記載する必要があるからだ。
「コンビニの店員さんを見たのか、仮に見たとしたらいつ見たかという記載がないのですがどうしてですか」
「わかりません。ですが、いると思って自動車を発進させたと証言したので、それで足りると思いました」
いやいや実行行為の前後態様は普通聴き取りするでしょ。この辺りの感覚は、裁判員には伝えづらい。
「本件の自動車が止まっていた駐車場ですが,傾斜が急になっていますよね」
「ちょっと今。記憶にありません」
 
で。ここからが、俺の見せ場である。
となりのエリンは、俺の方を向いて笑顔で小さくガッツポーズ、かわいく頑張れのサイン、とかは勿論しない。
「天羽さん。弁護人仲川から質問しますね。私はここから質問しますが、答えるときは私の方を見なくていいですから。あなたの正面にいる裁判官と裁判員の皆様の方を見て、応えるようにしてくださいね」
「はい。わかりました。」
天羽さん、どうした。法廷に轟くような大きな声だ。敢えてこのまま行こう。
「鏡ケ浦には何をしに行ったんですか」
「仕事帰りに行きたくなったので行きました」
「自衛隊のところのコンビニエンスストアに行ったのはどうしてですか。」
「海の方で、飲み物買うのにちょうどよかったので」
「何を買いましたか」
「異議、誤導尋問です」
主任の検察官が張り切って異議をしてきた。確かに、天羽さんは何も「買って」ないから、事実に反する。印象操作になることはなるよね。
裁判官の指揮を待たずに方向を転換する。
「質問を変えます。商品を手に取りましたか」
「はい」
相変わらず大きな声のいいお返事だ。
「何を」
「ポカリスウェットと、ピンバッチです」
「お会計をしましたか」
「いいえ」
「どうして会計をしなかったの」
口調を変えて、テンポを変えていく。大事なところだ。
「お店の人が見当たらなくて」
あれ。この人、俺との打ち合わせ覚えてないな。ここは違うだろ。
「店内で何か事件がありましたか」
「はい。女の人に絡まれてしまって」
「そのあと、お店を出ましたか」
「はい」
「どうしてですか」
「急いでいて」
「どうしてですか」
「絡まれて怖くなってしまって」
「お会計はしてありましたか」
「していません」
「店員さんには気づきましたか」
「後ろ見てませんでした。お店でも店員さん見当たらなくて。」
「怖くてって何が怖かったんですか。女性ですよね」
「かっとしやすいので、トラブルになることが怖かったんです」
「選んだ商品の意味は」
「特にないです」
「お子さんへのプレゼントとかですか」
「小学生のお子さんがいますよね。会う予定だったんですか」
「はい。すごく久しぶりに。でも関係ないっすよ」
「わざわざ館山まで行ったんですよね」
「言い訳にならないですよ。やめましょうよ弁護士さんこの話」
「異議」女検事。
「質問を変えます」
「誤導です」女検事。
「ですから質問を変えますって」
しつこい女検事だ。まじで。
「結果的に怪我をさせてしまったことについてどう思いますか」
「本当に申し訳ないことをしたと思います。
検事さんや弁護士さんには、なんていうか、少し生意気な言い方をしてしまう事もあって、これも」
「こんなもののために必死で、人にけがまでさせるって、そんなこと私は少しも考えられなかったです」
わかる。わかるが、物取りに対して罪の意識が薄すぎる。
 
主任検察官からの反対質問が始まった。
「検察官から聞きます。」
「コンビニエンスストアに行ったのはどうしてですか」
「異議、重複しているので無駄な質問です」
「異議を却下します。検察官質問を続けてください」
裁判長がクールに進行する。
あれ、俺たち裁判体の機嫌を害してるのか。
「ピンバッチを買いに行ったんです」
「どうして店を出たのですか」
「わかりません。本当に申し訳なかったと思います」
 
裁判官からの補充質問が始まった。
「どうして未精算の商品を持って店を出たのですか」
「うっかりしていました。弁護士さんともいろいろお話して、お店には、本当に申し訳ないことをしたと考えています。ピンバッチはですね。息子に買ったんです。息子が、Z旗ってゆうんですか。ピンバッチを、九州に住む息子が欲しいって。私には息子だけなんです。ネットで調べたってゆうんです。ラインも息子に言われて始めまして。それで連絡してくるんです。なんか。私の鉄の仕事も少しかっこいいと思ってくれるみたいで、進路に悩んでるみたいで」
俺が制止する前に裁判長が自然に告げた。
「わかりました。私からの質問を続けますね。車を動かすときに周囲を確認しましたか」
「確認してないです。かっかしてて」
「どうしてですか」
「お店の中でトラブったっていうか。」
「車の周りに人がいることはわかりましたか」
「はい」
「事故を起こしてしまって、そのあと来た警察の人にも、お金払いますって言ったんですけど、店員さんが受け取ってくれなくて。怒るのはもっともだって思うんですけど」
 
弁護人から改めて確認します。
「あなたは、お店の人が外に出ていることは分かっていなかったんですよね」
主任検察官がすかさず、
「異議。誘導尋問です」
問題のない異議だ。もう、天羽さんには俺の言いたいことは伝わっている。
「質問を変えます」
「周囲に人がいると思っていましたか」
「はい。お店の人がいると思いました」
やってしまった。ダメ押ししてしまった。


エピローグ

 

「仲川くんさ、裁判員ビビってたじゃん。どうだった」

「ビビッてないし。裁判員の顔、よく見えたでしょ。みんな真面目にやってたよ。」

「理念が立派とか。携わっている人が真摯に取り組んでるとかって話。制度の出来には、関係ないじゃん」

直ぐには返事ができない。

エリンが木更津港へのお散歩に付き合ってくれた。裁判員裁判に付き合ってくれたお礼ということで。

 

天羽さんは3年6か月間刑務所に行くことになった。

俺は、彼のことを分かった気になっていた。法廷で彼のことも、俺自身このことも、伝えることは出来なかった。

 

神社の鳥居の先、旧参道に向かう。この海に向かう直線は、真西に向かっている。アクアラインの描く人間のための線とは交わることのない。太陽と自然の描いてくれるラインだ。

海に着くと、ここにも鳥居がある。くぐると西方に空が開けている。

法庭の蟻(1/2)プロローグ しゃべらないひと

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