なぜワインだけが「恐ろしい」価格なのか?|お米などと何が違う?|物語の付加価値について考えてみた
ワインにとって産地や年代はどれだけ重要なのだろうか?
ワインはたくさんの品種がある。
産地、品種、年代、作られる場所などによって、数百円で飲めるワインから数百万円(あるいはもっと高額)にまで及ぶワインもある。
天候に恵まれ、良いワインができた年はワインのラベルに製造年がかかれることもあるようだ。
ここまで金額がかけ離れた食品はあるのだろうか?
例えばお米はいろいろな国で作られている。
日本で有名なのはコシヒカリ、ひとめぼれ、あきたこまち、つや姫などがある。
しかし、これらは毎年作られているが年によってとんでもなく値段が跳ね上がることはない(変動はあるものの、ワインのような金額になるようなことはない)。
私の実家では梨や米やその他野菜たちが毎年作られているが、「去年は1個数百円だったが今年は素晴らしい出来で、1個数万円で売れた!」などということは聞いたことがない。
ワインはそれほどまで金額が変わるということは、冷静に考えてみると恐ろしい。笑
さらに恐ろしいことに、そこまでの値段の違いが妥当なものなのか、評価することが世間一般には難しい(少なくとも私はわからない)。
季節や気候、栽培の産地など客観的な情報を見ればある程度は分かるのかもしれないが、それが味にどこまで影響を及ぼし、どれほどの違いがあるのか、到底わからない。
その金額のぶれの原因の一つは、付加価値であると思う。
その「付加価値」の正体について、もう少し掘り下げてみたい。
ワインの価格をここまで押し上げているものは、突き詰めれば
「物語(ストーリー)」の強さ なのだろう
例えば、お米や梨の場合、私たちは「今、一番美味しい状態のもの」を適正な価格で買いたいと願う。
そこにあるのは、純粋に食生活を豊かにするという、ある意味ではとても実用的な価値だ。
しかしワインの場合は、少し毛色が違う。
数万円、数十万円という値段がつくボトルには、味覚を超えた「記号」としての価値が乗っている。
例えば、
・あの有名な皇帝が愛した畑である
・何百年も同じ一族が守ってきた土地である
・歴史的な冷害を奇跡的に生き延びたブドウである
といった、味だけでは判断できないバックストーリーが存在する。
そして、その物語がワインの価値の大部分を形作っている。
お米で例えるなら、「美味しいコシヒカリ」ではなく、
「戦国時代の武将が最後の晩餐に食べた種籾を、現代まで絶やさず一族が守り続けてきた、世界に10俵しかないコシヒカリ」
のようなもの。笑
そうなると、もはやそれは単なる食品ではなく、一点物の骨董品やアート作品に近い存在になってしまう。
さらに興味深いのは、その「物語」が世界共通の評価基準としてシステム化されていることだ!
産地や気候、畑の格付けといった客観的なデータが、そのままワインの価値を決める指標になっている。
飲む側がその違いを舌で感じ取れるかどうかは、実は二の次で、
「このラベルのワインを持っている」
「このワインを飲んだことがある」
という事実そのものに価値が生まれている側面もある。
だからこそ、味にどこまで影響があるのか、到底わからないと感じるのは、実はとても健全な感覚なのかもしれない。
なぜなら、その価格差の多くは
舌ではなく、頭で味わうための情報
つまり付加価値によって作られている部分があるからだ。
もし梨やお米の世界でも、
「〇〇という名家が300年守り続けた、特定の1メートル四方の土壌からしか採れない梨」
とか、「新潟の一等地の代々受け継がれてきた〇〇家で収穫された〇〇年の最高のコシヒカリ!」
といったブランド化がワイン並みに徹底されていたら、
いつか1個数万円で取引される日が来るのかもしれない🤔笑
そう考えると、私たちが普段「今年の梨は甘いね」と笑いながら、適正な価格で美味しいものを楽しめる世界は、ある意味ではとても平和で幸せな場所なのかもしれない。
こういう矛盾もまた、ワインの面白さなのだろう。
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