見出し画像

それでもなぜ、トランプは支持されるのか|会田弘継 [著]

はじめに:
本書の書評を書くまでの思いを言葉にしているうちに、少し長くなってしまいました。そこで書きながら整えて、ここにまとめています。
書評そのものは、後半にコンパクトに収めました。
この「書評の枕」では、本を手に取ろうと思ったきっかけまでさかのぼって綴っています。関連する本から本書へとつながっていく、その「回路」のような感覚に、新鮮なおもしろさを覚えました。


「選ばれた者だけが助かる未来」

ガザでは多くの子どもが死傷している。
その一方で、軍事・監視・データ分析に強みを持つ企業が、先端性や知性、あるいは「現実主義」の象徴として消費される。この落差に、私は強い不安を覚えます。
でも、ここで起きているのは、単なる無関心ではないのかもしれません。
むしろ今の時代は、暴力がとても洗練された言葉で包まれる時代なのだと思います。

たとえば、
• AI
• データ統合
• 精密性
• 安全保障
• 文明防衛
• リスク管理

こうした言葉が前に出ると、人間の死や苦しみは見えにくくなります。
誰かが殺されているという現実よりも、どれだけ高度か、どれだけ効率的か、どれだけ国家に役立つかが語られるようになる。
そのとき企業は、単なる企業ではなく、「きれいごとではなく現実を動かす側」の象徴のように見えてしまうのだと思います。

テック企業は、なぜ魅力的に見えるのか

パランティアのような企業は、単なるソフトウェア企業ではありません。彼らはしばしば、自分たちを「歴史の現実に向き合う企業」として語ります。
• 国家
• 安全保障
• 秩序
• 文明
• 防衛

そうした大きな言葉の中で、自社の技術を位置づける。この語り方には、強い魅力があります。

なぜなら、今の世界は多くの人にとって、危険で、不安定で、壊れかけているように見えるからです。
戦争、テロ、パンデミック、経済不安、気候変動。
そうした危機の時代には、「対話」や「熟議」よりも、「決断」や「統制」や「技術的優位」のほうが頼もしく見えやすい。

でも、ここには大きな危うさがあります。
「守る」という言葉の中で、誰が守られ、誰が対象化され、誰が犠牲になるのかが見えにくくなるからです。

この違和感は、ガザだけの話ではない

最初はガザの話でした。でも考えていくうちに、この違和感はもっと広い問題につながっているように思えてきました。

それは、現代のテックエリートや国家が、危機を「みんなで乗り越えるべきもの」としてではなく、「管理し、選別し、優位に立つための条件」として見始めているのではないか、という疑いです。

軍事の場面では、それがとてもはっきり見えます。
人間はデータになり、標的候補になり、リスクの束になる。
でも同じことは、気候危機の時代にも起こりうるのではないか。そこから、次の不安が出てきます。

気候危機が本当に怖い理由

気候変動が怖いのは、単に暑くなるからではありません。もちろん、猛暑、洪水、干ばつ、山火事、食料不安、感染症の拡大は深刻です。
でも本当に怖いのは、その危機の中で、誰が守られ、誰が後回しにされるのかが、はっきりしてくることです。

富裕層のエリートたちは、より涼しい地域に移住できるかもしれません。災害に強い住宅を持ち、保険に入り、医療にアクセスし、必要なら国境を越えることもできるかもしれない。
一方で、多くの人は、熱波や物価高や住環境の悪化の中で、その場にとどまるしかない。

つまり、気候危機は「人類全体の危機」であると同時に、とても不平等に分配される危機でもあります。

火星計画が象徴しているもの

イーロン・マスクの火星計画は、しばしば人類の夢として語られます。
でも、気候危機や社会不安の文脈で見ると、火星は単なる宇宙開発以上の意味を持っているように思えます。

火星が象徴しているのは、地球という共通の世界を修復するより、そこから脱出することを夢見る想像力です。

もちろん、近い将来に大多数の人が火星へ行けるわけではありません。
だから本当に問題なのは、火星そのものではありません。問題なのは、「みんなでこの世界を守る」より、「助かれる者だけが次へ行けばいい」という感覚が広がることです。そして実際の「脱出」は、火星ではなく地球の中で起こるかもしれません。

• 寒冷地の不動産
• 高地の安全な住宅
• 閉鎖的なコミュニティ
• 自前のインフラ
• 民間警備

こうしたもののほうが、ずっと現実的です。

テックエリートは、すでに「その先」を織り込んでいるのか

ここでひとつの仮説が出てきます。
それは、テックエリートの一部は、すでに地球環境の止めがたい悪化を織り込み、人類の救済ではなく、限られた人々の生存を前提にしているのではないか、という仮説です。

これは、そのまま陰謀論のように語るべきではありません。「彼らが秘密裏に終末を待っている」と断定することはできません。でも、いくつかの現実の兆候を見ると、この仮説には無視できない重みがあります。

たとえば、
• 富裕層の退出志向
• 安全な土地や遠隔地の不動産への関心
• 国家とテック企業の結びつきの強まり
• AIや監視技術の安全保障利用
• 危機を止める政治より危機の中で優位に立つ準備

こうした流れを見ると、「みんなを救う」より「守れるものを守る」方向に傾いているのではないかという疑いは、十分に成り立つと思います。

終末論
今の世界はもう腐っていて、崩壊は避けられず、その先に新しい世界が来る、という感覚。

加速主義
その崩壊を止めようとするより、もっと技術を進め、もっと速く変化し、その先で新しい秩序を作ろうとする思想。

テック右翼
民主主義は遅い、リベラルは偽善的だ、規制は邪魔だ、危機の時代には強い技術と決断が必要だ、と考える傾向。

これらは完全に同じものではありませんが、かなり重なり合っています。
共通しているのは、「みんなで世界を立て直す」より、「選ばれた少数が次の世界を担う」という想像力です。

ただし、この話には「リベラルへの失望」も入れなければならない

ここで大事なのは、テック右翼の危険だけを語っても足りないということです。
なぜなら現実には、多くの人がリベラルや民主党エリートにも深く失望しているからです。

• 建前ばかり
• きれいごとばかり
• 生活の苦しさに鈍感

気候政策を語る人たち自身がエリートに見えるこうした感覚には、たしかに根拠があります。
気候政策は長いあいだ、市場メカニズムや企業の自主性に頼りすぎてきました。
生活コストや階級的不安に十分向き合わず、専門家や都市エリートの言葉として語られがちでもありました。その結果、人々は「正しいことを言う人たち」に対して、しだいに不信を抱くようになった。
この失望が、テック右翼や強権的な“現実主義”に入り込む余地を作ったのだと思います。

それでも、テック右翼が答えになるわけではない

ただし、ここはとても大事です。
リベラルが無力だったからといって、テック右翼が正しいわけではありません。

リベラルの失敗のあとに現れたのが、より民主的で平等な気候政治ではなく、危機を前提にした選別の政治だったとしたら、それはやはり危険です。

監視の強化、国家と企業の一体化、軍事AI、富裕層の退出、選別的な保護。
こうしたものは、「現実的」に見えても、結局は選ばれた者だけが助かる未来を強めてしまうかもしれません。

本当に怖いのは、「共通世界」が失われること

ここまでの話をひとつにまとめると、問題の核心は、戦争でも、気候変動でも、火星でもありません。それらを貫いているのは、私たちが同じ世界を共有しているという感覚が壊れつつあることです。

ガザで子どもが死傷していても、その背後の技術に人々が熱狂する。気候危機が深まっても、みんなを守るより、守れる人だけを守る方向へ進む。
火星や安全地帯が、共通世界の修復より魅力的に見えてしまう。

こうした現象はすべて、「世界はみんなのものではなく、管理できる者、逃げられる者、選ばれた者のものだ」という感覚につながっています。
本当に怖いのは、自然の暴走だけではありません。人間が、他者と世界を共有する意思を失っていくことです。

では、どう考えればいいのか

かなり暗い話に見えるかもしれません。だからといって「もうすべて手遅れだ」と言いたいわけではありません。

大事なのは、問題を正確に見ることです。
• 気候危機は、単なる環境問題ではない
• 軍事テクノロジーは、単なる技術革新ではない
• 火星計画は、単なる夢ではない

それらはすべて、誰が守られ、誰が切り捨てられ、誰が未来を持つのかをめぐる政治の問題です。

そして、リベラルへの失望が本物であることも認めなければならない。
きれいごとだけでは、人は動きません。
生活不安や怒りを無視したまま、「正しい政策」を上から語っても、信頼は戻りません。

だから必要なのは、建前だけではない、しかし見捨てない政治なのだと思います。
危機を直視しながらも、選別ではなく連帯を選ぶこと。技術を使うとしても、それを支配や退出のためではなく、共通世界を守るために使うこと。そして、「現実的であること」と「冷酷であること」を、同じものにしないことです。

現代が、死や破壊や危機さえも、先端性や現実主義や未来志向として消費できる時代になってしまったことを示しているのだと思います。

そして、その先に見えてくるのは、
みんなで助かる未来ではなく、
選ばれた者だけが助かる未来への誘惑です。

だからこそ、いま問うべきなのは、
誰が正しいか、誰が強いか、誰が勝つか、だけではありません。

私たちはまだ、この世界を「みんなの世界」として守ろうとしているのか。その問いを手放さないことが、いちばん大事なのだと思います。


「それでもなぜ、トランプは支持されるのか」を読む

さて、書評の本題です。

最近、テクノロジー業界を見ていると、少し気になることがあります。
AIや監視技術を手がけるパランティアをはじめ、一部のテックエリートたちが見据える未来は、「みんなで豊かになる社会」ではなく、「限られた人だけが生き残る社会」に見えることがあるからです。

気候変動、格差拡大、民主主義の機能不全――そうした危機を前提に、どう生き延びるかが語られる。そこには、社会全体を立て直そうという発想よりも、「自分たちだけは助かる方法を確保する」という終末論的な空気が漂う。

では、そのような分断と不信は、どこから生まれてきたのだろう。その問いに答えるために読んだのが、会田弘継氏の『それでもなぜ、トランプは支持されるのか』です。

本書で繰り返し語られるのは、「トランプは原因ではなく結果である」という視点です。
日本では、トランプ支持を「熱狂的な支持者の特殊な現象」として捉えがちだ。しかし著者はそう見ない。トランプという政治家は、長年積み重なってきたアメリカ社会の病理が表面化した姿なのです。

グローバル化による産業の空洞化、広がる経済格差、都市部と地方の分断、エリート層への不信感。多くの人々が「自分たちは見捨てられた」と感じるようになった結果、その怒りや不満の受け皿としてトランプが現れた。

本書は、トランプ支持者を単純な善悪で裁かないところにある。なぜ彼らが怒り、なぜ既存政治に絶望し、なぜトランプを選んだのか。その背景を丁寧にたどることで、読者はアメリカ社会の深い亀裂を理解できるようになる。

そして、それは決してアメリカだけの話ではない。
社会への信頼が失われ、人々が「みんなで助かる未来」を想像できなくなったとき、「自分たちだけを守る」という発想が力を持ち始めます。

テックエリートの終末論も、トランプ現象も、その根底には同じ不安が流れているように見える。
本書はトランプ論であると同時に、現代社会の分断を読み解くための一冊でもあります。

「なぜトランプは支持されるのか」という問いを追いかけているうちに、いつしか「私たちはどんな未来を信じられるのか」という、もっと大きな問いにたどり着きます。

ワシントンDC・芝生への刻印:2026年6月11日
ワシントン記念塔近くのナショナル・モールの芝生に、
巨大な「8647」の文字が描かれているのが見つかりました。
8647 Tシャツあります。

いいなと思ったら応援しよう!